小説

奥ノ郷鎮守社縁起(前半)

飛騨の、飢えた獣の脊椎のごとき急峻な山嶺を幾つも重ねたその向こう、水晶・鷲羽を西に見上げるあたりに、人呼んで奥、あるいは奥ノ郷なる集落が存在する。現在では自治体として独立しておらず行政区分上は山ふたつ隔てた町の一部として吸収されているが、…

雛人形

祖父が食事を取らなくなったのは、祖母が亡くなった六年前からのことである。 両親や親戚も最初の頃は何とか食事をしてもらおうと言葉を尽くして説得していたが、結局祖父が折れることはなく、今では皆諦めてしまった。 おじいちゃん死んじゃうの、と私が聞…

砂漠の人魚

果てしなく広がる砂の海。日中は灼熱の地獄となり、夜間は凍える寒さをもって生物の営みを拒む過酷な土地である。 水がなければ人も獣も草木も生きてはいけない。だから、点在しているオアシスが砂漠を渡る人々の中継地点となっている。 だがすべてのオアシ…

ザ・セイント・オブ・ハイランド

その頃わたしは軌道エレベータ協会に務めていて、主に施設の修復・保全を担当する部署にいた。 人類の叡智を集めて築かれた巨大な柱も、流石に築百二十年ともなるとあちこち経年劣化が目立つ。お蔭でわたしの部署は常に仕事に追われており、一年の大半を上層…

拡張学級

クラスメイトの小早川が帰らぬ人となった。 自転車でトラックと正面衝突して即死だったらしい。 そりゃ当たり前で、自転車じゃあトラックと相撲したって勝てるはずがない。ましてや非力な小学生の身では。 そんなこと本人だって知っていたはずだけど、その日…

拡張家族

やはり、携帯電話に何かあるような気がした。 なぜだか気になって仕方がなかった。 私の物ではない。死んだ知人の持ち物である。 順を追って話そう。

拡張献花

S市東通り交番で高嶺巡査が勤務中、若い男がふらりとやってきた。 男は、入って来た時からすでに様子がおかしかった。きょろきょろと視点は定まらず、足取りもおぼつかない。高嶺は男が酔っているか、或いは薬物中毒ではないかとさえ疑った。「お巡りさん………

あとがきにかえて / 記憶の断片が行動を左右することは意外によくある

最後の写真をblogに掲載してから、bachihebi(仮)は長い溜息をついた。 ――やっと終わった。 達成感と言える程の感動はない。 写真を一枚撮って掲載するだけの単純な作業である。毎日続けたとは言え、たったの四ヶ月足らず。 そもそも、blogの内容は自分のモ…

±0

ここに一人の死にかけた男がいる。 この世の中に聖人というものが実在するならば、彼もその一人であったと言えるかもしれない。彼はこれまでの人生で、本気で人を憎んだり、呪ったりということがなかった。 勿論彼も生身の人間である以上、怒りや憎しみとい…

古譚

「『ラブプラス』美少女キャラ汚された」 漫画雑誌ストーリーにネット騒然 昔々、あるところ。 「……!」 「…………!!」 街中で騒ぎが起こっています。一人の少女を、何人もの男が恐ろしい顔をして取り囲んでいます。 少女は国民的ガールフレンドでありながら…

ヴァレンタイン異伝

2月14日はいわゆる聖人の日、聖ヴァレンタインの日である。ご存知のように本邦ではこの記念日は異性に贈り物をする習慣として定着しており、食料品店や百貨店ではチョコレートがここぞとばかりに陳列される。商業イベントとしても重要であることは言を俟たな…

口紅

今でもはっきり憶えています。私がはじめてお化粧をしたのは九歳のときのことでした。化粧台の抽斗からこっそり母の口紅を取り出して見様見真似で唇に差した時の、あの頭の芯に湯気がまとわり付くような興奮は今でも忘れられません。 きっかけとなったのは本…

クロスゲーム

父一人娘一人、父子家庭の生活を始めてから十年以上経つ。娘も先だって中学二年生になった。幼い頃は男の子よりも活発だったくらいだが、近頃急に落ち着いてきた。やはり女の子なのだなあ、と思う。誰かの影響だろうか。友達だろうか。

セドナ

偶の休みだったので午頃迄寝ていようと思って朝飯も食わずにぐうたらしていたらキムラが息せき切ってやってきた。折角気分よく怠惰を満喫していたところを邪魔されたので頗る不機嫌に応対したのだが、流石はキムラだけあってこちらの機嫌を意に介す素振りな…

勿忘草

キジムナーの化身かと思った。 一月下旬、那覇近辺に遊んだ。金武町石畳道へ行き、その先にある天然記念物の大アカギを見た。 石畳道は長い坂道で、首里城まで続いているという。首里城は既に前日に行っていたから、大アカギを拝んでからすぐに来た方へ引き…

月の娘

人類が宇宙に移民を開始して二世紀。人類史上最悪と思しきテロルは月で起こされた。 テロルとしてはごくありふれた経緯でそれは起こった。もっとも、大抵のテロルが起こる経緯は似たようなものなのかも知れない。ともかく、この場合も当事者なりの理屈、思惑…

残照

谷の外は風がつよいです。今まで住んでいた村は谷底にあるおかげであまり風が吹きこまない場所でしたが、もうわたしは戻れない。これからはこの風のつよい、何もないところで暮してゆかねばならないのでしょう。すぐに死んでしまうかもしれない。 わたしが村…

釈迦! もっとも仏に近い男

チベットが迫害されてるのは今に始まったことでもないのに俄に盛り上がっていますねこんにちは。それも今のうちで、オリンピック終わったら沈静化するんでしょうね。 まあ聖火リレーやら五輪関連式典やらにちょっかい出している人は、そうさせないために世論…

海だるま

(これより前判読不能)、それ以来ここの海では妙なものが獲れるようになった。他所で獲れたという話も聞かないので、ここにしかいないのだろう。潜ってみると、浅瀬の岩の間にたくさん青黒いものが転がっていて、大きさはテニスボールくらいからバレーボー…

最後の一葉

夕方、河原にてかねてより思案の水切りの工夫を練っていたら、いつの間にか隣に知らない女学生がやってきて一緒に石を投げ始めた。歳の頃十七八、近所の高校の制服を無難に着こなして、髪はいまどき珍しい黒髪を後ろで一本にまとめた質素と言うか地味と言う…

白鷺

田んぼに水をはる前と稲刈りが終わった後には、田おこしという作業をする。土を耕してやって、雑草が生えるのを防いだり、平らに均したりするのだ。この作業をしていると、近辺に棲息している鳥、特に白鷺が沢山集まってくる。田んぼを耕すトラクターの周り…

元アザラシと旅行してこい

多摩川に始まって日本各地の河川にフラフラ迷い込んできたアザラシの話はよく聞かれるので、私の家の近所を流れる太郎川にアザラシが現れるようになったと聞いた時も「へえ、だから?」というくらいの気持ちだった。別段アザラシが好きなわけでもないので見物…

和傘

高校三年のとき、クラスメートにS君という人がいた。彼はいささか無口ながら温厚で人当たりのよい好人物だったが、少し変わったところのある男でもあった。それが端的に表れていたのが彼の傘である。 修学旅行で京都に行った折、彼は土産に和傘を購入した。…

完全犯罪

知ってる?体の大きさにかかわらず、動物の心臓が一生に脈打つ回数はみんな同じなんですって。ゾウも、ネズミも、もちろん人間も、一生の脈拍は同じ回数なの。小さい動物は脈が速いからそのぶん寿命が短くて、逆に大きい動物は脈が遅いから寿命が長いんだっ…

うたかた

浮かんでは消えてゆく泡は、一体どこへ消えてゆくのだろうか。 地の果てには海があり、海の果ては滝となって絶え間なく落ちている。水が落ちた先には泡が立つ。海が落ちた先であるから、その泡の量たるやすさまじいものだ。あまりに泡の量が多いので、泡のか…

母なる大地に抱かれて

「最近、気になることがあるんだ」「あそこ、ほら、アオサギが何羽もいるのが見えるだろ、田んぼの真ん中」「あ、あれアオサギなんだ。うん、七、八羽はいるな」「そう、しかも一箇所に固まってる。あれ、どう思う?」「どう、って?」「あれさ、ここのとこ…

ギー(後)

そうしてひと月が過ぎた。 虎が逃げ込んで以来件の山附近にはめっきり人の足が途絶えた為、目立った人的被害は出ていないものの、たかが虎1頭に対して手を出しあぐねている当局に対する風当たりは増すばかりであった。 食料の少ない冬山では、やがて虎の方…

ギー(前)

北海道のある動物園でのこと。 その年は1頭のアムール虎が3匹の子を生んだが、明らかにその内の1匹は他の2匹と異質だった。 なんと言っても大きい。 母親も平均より大柄な個体だったので、小さい2頭の体重も平均よりは幾分多目ではあったが、更にそれよ…

さよなら、餡パンマン 第参話

悲願であったはずの黴菌マンとの決着は、3人のパンマンたちに深刻な苦悩の影を落とした。 悪事を行う者が消えた今、他者を守る力は無用の長物と成り果てたのである。彼らは悪と戦う為に流星より生まれ出でた者たちである。正義としてしか存在を認められぬ。…

さよなら、餡パンマン 第弐話

街に話が伝わってから更に明らかになったことには、今朝から食パンマンの行方も知れぬという。頼れる人物はこれで皆無といってよかった。 結局、2人のもたらした報は徒に街の住人達に恐慌を引き起こしたに過ぎなかった。 それも無理からぬ話で、既に悪意の…