口紅

今でもはっきり憶えています。私がはじめてお化粧をしたのは九歳のときのことでした。
化粧台の抽斗からこっそり母の口紅を取り出して見様見真似で唇に差した時の、あの頭の芯に湯気がまとわり付くような興奮は今でも忘れられません。


きっかけとなったのは本家で行われた葬儀です。
本家というのは父の実家で、付近でも有名な旧家でした。父は三男坊で早くに家を出ていたので私たち家族も普段は滅多に本家に行くことなどありませんでしたが、それでも盆や正月には家族揃って本家に挨拶に行くのが通例だったので、その時だけは本家の立派な屋敷や広い庭などを眺めることができました。
もっとも今になって思い返してみれば父は本家にあまり行きたがっていなかったようにも感じられます。当時私たちが住んでいた町から本家まで電車で二駅ほどの距離しかないのに、年に二、三度しか往来がないというのは些か少ないように思えますし、父が自分から本家の話題を出すことなどは殆どなかったように記憶しています。父が本家に対していかなる感情を持っていたか、父が亡くなった今となっては確かめる術もありませんが、いずれにせよあまり良いものではなかったに違いありません。
その葬儀は急なことだったという記憶があります。もっとも両親にはある程度情報が伝わっていたのかも知れませんが、先述のように父は殆ど本家について語りたがらない人だったので、私が葬儀のことを知ったのは通夜の当日のことでしたし、本家に行くまでは誰が亡くなったのかも知りませんでした。
その日のことははっきり思い出せます。学校から帰ると母はもう既に喪服を着ていました。「本家でお葬式になったから支度しなさい」そう母に急かされて黒い洋服に着替えました。外に出ると既に父も喪服で車に乗っており、そのまま三人で本家へと向かいましたが、道中は父も母もほぼ無言だったので何だか私も口を開いてはいけないように思われて、誰が亡くなったのかなどと訊けずに居心地の悪いまま本家に到着しました。
本家の門前にはもう既に花輪が並び、塀には長い鯨幕が張られていました。何人もの喪服や割烹着姿の大人が忙しなく行き来しています。父に手を引かれて屋敷の中を進んでゆくと、広間に出ました。広間には親族の大人たちがずらりと並んで座っていて、その向こうに祭壇が見えます。そのまま祭壇の前まで進むと、そこには布団が敷かれていて人が一人横たわっていました。顔には白布が被せられていて誰なのかわかりません。父に促されて布団の前に座ると、横にひざまずいた父が白布を捲って脇に避けました。
しかしそれが誰であるのか、すぐには分かりませんでした。しげしげと見て、やっとそれが誰だかわかったのですが、同時に不思議に思ったのは「なぜ自分はすぐにこれが誰だか分からなかったのか?」ということです。その疑問もすぐに解けました。
白布を除けて最初に目に入ってきた色彩、それは鮮やかな紅色です。唇、そして頬と目尻にも薄く。それらの印象が強すぎて、死骸に対する忌まわしさや恐怖は感じられませんでした。そうなのです。死化粧を施されていたために、何度か会ったことのある生前のその人と印象が大きく異なっていたからなのでした。
故人は父の一番上の兄、すなわち私の伯父でした。わずか四十歳の早世です。後で聞かされた死因は心臓発作ということでしたが、詳細は知りません。
しかし男性の死化粧に口紅とは奇妙なことです。勿論、男性にも死化粧は施されます。しかし一般的なそれは髭を剃ったり肌に色味を加えたりといったものです。しかし伯父に施された死化粧は口紅を鮮やかに引いた、明らかに女性のための作法によるものでした。後で知ったことですが、これは本家の伝統的な風習だったのです。その三年後に亡くなった祖父のときも、口紅が鮮やかに引かれていました。
少なくとも私は男性に女性用の死化粧をする同様の例を他に知りません。もっとも伯父の時が私の生まれて初めて見た葬儀でしたから、その後しばらく死化粧とはそういうものなのだと思っていました。そこにどんな由来があるのか、今でもはっきりしたことは分かりません。中世の武士が戦場に赴くときに紅を引いたという話を本で読んだことがあります。本家もそういう伝統が残っているのかと思ったこともありましたが、調べてみると本家は地方の豪農の血筋であり、武士の例とは関係がなさそうです。
父に由来について聞いてみたこともありましたが、父は苦々しそうに言葉を濁したまま、とうとう教えてはくれませんでした。ただその頑なな様子から、父が本家を出てあまり近寄りたがらないのはもしかしたらこの風習の由来と何か関係があるのではないか、そんな気がしました。父が口を閉ざしてしまうような、忌まわしい何かがあるのではないか、と。


私が母の口紅を勝手に使ったのは伯父の葬儀からひと月ほど後のことでした。ひと月の間、伯父の顔に乗せられた鮮やかな色が頭から離れなかったのです。
なぜそこまで執着してしまったのか、今になってみるとよくわかりません。生前の伯父とは大した親交もなかった筈なのに、とにかくその紅い唇が忘れられなかったのです。
遂に思い余った私は両親が留守にしている隙を見計らって母の化粧台の前に座りました。
高鳴る胸。震える手で口紅を差しました。
鈍い恍惚と甘い背徳感。
鏡の中では紅い唇の少年が嬉しそうに微笑んでいました。
母が帰ってくるまで、ずっと。