二十年ほど前の五月、Rさんが三歳の娘と近所を散歩していたときのこと。
手を繋いで歩いていたところ、ふと気づくと娘が反対側の手に細長いものを握っている。割り箸だった。
なんでそんなものを持っているのだろう。家から持ってきたはずもないから、Rさんが気付かないうちにその辺で拾ったのだろうか。
しかし振り回したり口に入れたりすると危ない。ほら、ママに見せて、と言うと娘は素直にそれを差し出した。
割っていない、真新しい割り箸だった。少なくとも汚れはついていなかったが、その辺で拾ったものなら何が付着しているか分かったものではない。
近くのゴミ箱にでも捨ててしまおうと再び歩き出したところで、手元に熱を感じた。
視線を落とすと、摘んだ割り箸が真っ黒になっている。
反射的に放り投げそうになったが、思い留まってよく検めてみた。
先程は真新しい割り箸だったはずが、すっかり消し炭になっている。火が出ているところを見ていないのに、いつのまにか燃え尽きていた。
摘んでいた指もわずかに熱さを感じたような気がした程度で、火傷ひとつ負っていない。
何が起こったというのだろう。普通の割り箸ではなかったのだろうか。
原理はともかくとして、そのまま持っていると手が真っ黒になる。娘にも触れさせたくない。
Rさんが消し炭を傍の側溝に放り込むと、ゆっくり流れていった。
この件について夫や周囲の人に話したかどうか、昔のことなのでRさんは覚えていないという。
そして時が経ち、娘が成人して就職した後のことである。Rさんが家で昔の持ち物を整理していると、古いノートが出てきた。
その表紙を見ただけで昔の思い出が蘇ってきた。これは日記だ。
子育てをしていた頃は目が回るくらい忙しかったが、後になればいい記録になるだろうと思って毎日数行ずつ日記をつけていたのだ。
懐かしさについ整理の手を止めて、ぱらぱらとページをめくってみた。
すぐに違和感があった。横書きで日記をつけているのに、ページの隅に一行だけ縦で書き込みがある。
「五月十日、わりばしを拾う」
読んだ瞬間、ずっと忘れていたあのときの、道端で割り箸を手にした光景が脳裏に蘇った。
ページをめくると次のページにも、その次のページも同じあたりに同じ文言が書かれている。
ほとんどのページに同じような筆跡で同じ文が書き込まれていた。Rさんの字ではない。
夫や娘の筆跡でもなかった。
誰が書き込んだものなのかわからない。何のためにそんなことをこんなに書き込んだのかもわからない。
折角の思い出の日記帳ではあったが、気味が悪すぎて、そのまま保管しておきたくはなかった。
修正液でその書き込みの部分を塗りつぶし、全ページコピーを取って、ノート自体は捨ててしまったという。