Uさんの職場の同僚が、雑談の中でこんなことを言った。
最近さあ、うちの近くの幼稚園の前を通るとちっちゃい子供がいてさあ。三歳か四歳くらいかな。幼稚園の庭を走り回ってるの。いや幼稚園だから子供がいるのは当たり前なんだけどさ。でも真夜中なのにいるんだよ。おかしいよな。
何時くらいの話なのそれ、と訊ねると、十二時前後だという。確かに真夜中だ。
それは虐待か何かじゃないの、ネグレクトとかさ。通報した?
Uさんがそう言うと、同僚は首をひねりながら答える。
いやあもちろんそう考えてさ、携帯取り出したんだよ。でも見てて普通じゃないんだよその子。
まずね、走り方が変なの。犬みたいに四つんばいでさ、普通人間が四つんばいになっても速く走れないでしょ。
その子は速いの。犬みたいなスピードで走り回ってんの。
そんで幼稚園の庭を横切って走っていったと思うと次の瞬間反対側から出てくるの。出てきてまたバーッと走って行って、庭のフェンス際でスッと見えなくなるの。
直後にまた全然離れたところから出てくるの。
これはもう単なる子供じゃないって思ってさあ。ポカーンとして眺めてたわけ。普通あんな動きできないんだよ。大人だって無理だよ。
でも一応不審な状況には変わりないしさ。とにかく通報したんだよ。その場で警察に。
そしたら近くの交番からすぐ来てくれたんだけどさ。でも電話してる間に子供はいなくなっちゃって。悪戯で通報したみたいになっちゃってこっちも焦ったんだけど。
それで内心ビクビクしながら見たことを説明したんだけどさ。そしたら警察官も何だか慣れた感じでさ、ああやっぱりって顔するわけ。
大して追求もされずにさあ、ご協力ありがとうございました、他にも同様の通報がありましたので見回りを増やしますって言うの。
他にも見た人いるんだって思って何だかそこでちょっと怖くなってきてさ、すぐ帰った。いやオチとかないんだけど。
それからも二回くらい見たよ。通報はしなかったけど。
駐車場の石像
二十年以上前のこと、当時高校生だったKさんは学校をサボりがちで、友人たちと夜ごとバイクを乗り回して遊んでいた。
そんなある夜、幹線道路沿いのコンビニの駐車場で友人と雑談をしていたところ、友人がKさんのほうを指さして言った。
それ仏像じゃね?
Kさんが腰を上げて振り返ると、今までKさんが腰掛けていたものは確かに何かの像だった。
お地蔵さんなのか他の神様なのか、ちょうど街灯の光が当たらないところでよく見えなかったことと、腰掛けるのにちょうどいい大きさだったのとで、それが何なのか気にすることなく腰掛けてしまっていた。
信心などとは縁のないKさんは仲間の前で気が大きくなっていたこともあり、ふと悪戯を思いついてしまった。右足でその石像の頭部を横から蹴ると、それは台座に固定などされていなかったようで、鈍い音を立ててたやすく横倒しになってしまった。それを見て友人たちもKさんもどっと笑った。
その夜はそれから街をバイクで一回りしてから友人たちと別れ、帰宅してベッドに潜り込んだ。
翌朝になって目を覚ましたのは、激しい痛みのせいだった。
急に激痛を覚えて目を覚ますと、右足首が酷く腫れて二倍くらいに膨らんでいる。歩くどころか痛くて立てない。
それだけではなく、全身至るところに赤い発疹が出ている。そのせいで酷く痒い。
医者に診てもらったところ、右足は骨折しているという。全身の発疹は蕁麻疹ということだった。
昨夜は痛くも何ともなかったし、寝ている間にベッドの中で骨が折れるほどの衝撃を受けるのもおかしい。蕁麻疹になるような変なものを食べた覚えもない。
どういうわけで急にこんなことになっているのか。
思い出したのはコンビニの駐車場での出来事だ。確かにあのとき、右足で石像を蹴った。
骨が折れるほどの衝撃で蹴ったわけではない。
だがもしかすると、あんなことをしたせいで祟られたのではないか。それ以外に心当たりがない。
折れた足ではバイクに乗れないので、親に頼んで車を出してもらい、あの時のコンビニに行ってみた。
ところが駐車場を見回してもそれらしきものが見当たらない。あの時友人たちと座り込んでいたあたりをよく見たが、確かに同じ場所のはずなのに石像などどこにもないのだ。
撤去したにしても、置かれていた痕跡すらない。元からそんなものなどなかったかのようだった。
蕁麻疹は一週間ほどで治まり骨折もやがて回復したが、あの時自分が何を蹴り倒したのか、後々までKさんは気にし続けていたという。
新雪の朝
大雪の降った翌朝のこと。
Nさんが起床して窓から自宅の庭を眺めた。案の定真っ白に積もっている。
たまにしか降雪がない地域だからみんな備えがない。十センチも積もれば交通が麻痺しかねない。
覚悟はしていたが、溜息が出た。
道が混むかもしれないから早めに家を出ないといけないかな。その前に家の前の雪かきか。
やれやれと思っていると、庭の雪の上に何かの足跡を見つけた。
塀の下から庭の半ばまでまっすぐ続いている。鳥だろうか。
いや、形が鳥の足らしくない。何かの獣だろうか。
塀を越えてきたのなら猫かな。いや、猫にしては足跡が細長い。
何の足跡だろう、と気になったNさんはサッシを開けて庭に出た。近寄って足跡をよく眺めて驚いた。
人の足跡だ。土踏まずや五本の指まではっきりと、新雪に形が残っている。
ところが大きさがおかしい。せいぜいNさんの人差し指くらいの長さしかないのだ。
赤ん坊の足くらいの大きさだ。
奇妙なことはそれだけではない。まっすぐ続いている足跡は、左足のものしかなかった。
赤ん坊が片足立ちで雪の上を進んでいく姿が思い浮かんだ。そんなはずはない。
そこまで考えて、もうひとつおかしなことに思い当たった。
足跡は庭の途中までしかついていない。それでは足跡の主はそこからどこに行ったのか。
鳥であれば飛んでいったのだろうが。
つい空を見上げたが、それらしきものは屋根の上にも見当たらなかった。
とりあえずこの変な足跡を撮影しておこうと思いついたNさんは、室内に戻ってスマホを取ってきたが、また庭に出ようとして目を疑った。
雪の上にはNさん自身の足跡しかついていなかった。
風で雪が均されたり、後から更に雪が積もって覆い隠されたはずはない。
ほんの一、二分の間に、あの小さい足跡が初めから無かったかのように消え失せていたという。
石柱
中国生まれのRさんは二歳のときに母に連れられて日本に渡り、成人してから帰化した。
日本に来た理由ははっきり聞かされておらず、どうも込み入った事情があるらしいのだが、何度か母に尋ねても曖昧にはぐらかされてしまっている。中国で暮らしていた地名すら教えてくれないのだ。
今まで一度も中国には戻っていないので、あちらの記憶はほとんどない。断片的な光景がおぼろげに思い出せるだけで、それがどこなのかもわからない。
向こうに親戚がいるかどうかも知らない。母は同じく中国から渡ってきた人の料理店で働いていたが、それ以外の中国との関係がどうも意図的に断たれて節があった。
二十年ほど前、Rさんが中学生のときに一度こんなことがあった。
学校から帰って宿題を済ませ、それから一人で食事の支度をしていた。母は勤め先でまかないを食べてくることが多いので、夕食はRさん一人で食べていた。
作り置きのおかずを温めていると、外で大勢の話し声がする。
はっきり聞き取れないが、興奮したような声で何か言い合っている。誰か喧嘩でもしているのかと思ってそちらに目を向けると、外ではなくアパートの部屋の中に変なものがあった。
灰色の細長い石が立っている。握りこぶしふたつ分くらいの太さの角ばった石の柱だ。側面は磨かれてつやつやしている。
もちろんそんなものは元から家になかった。
何だこれはと思って近づいてよく見ようと思ったところで、肩を揺り動かされた。
そちらを振り向くと母がRさんの傍に座って必死な顔で名前を呼んでいる。いつの間に帰ってきたのだろう。
変なのはそれだけでなく、Rさんは立っていたはずなのにどういうわけか横になっている。
見回すと部屋の様子に変わったところはなく、あの石の柱はない。外の喧嘩も静かになっていた。
時計を見ると食事を作ろうとしていた時刻からもう二時間は過ぎている。その間の記憶が全くない。
母が帰ってきたときには部屋の中にRさんが横になっており、声をかけてもなかなか目を覚まさなかったという。
眠かったわけでもなく、体調が悪いわけでもないのにいつのまに意識を失ってしまったのだろう。
すると先程見た石の柱は夢だったのだろうか。気付かぬうちに眠り込んで、夢を見ていただけだったのか。それにしてはあまりに記憶が鮮明だ。
母に先程のことを話すと、母はふぅっと息を漏らし、表情がみるみるうちに険しくなった。それから母はどこかに電話をかけて何事か頼んでいる様子で、電話を切るとすぐにRさんを連れて家を出た。
タクシーで向かった行き先は同じ市内の初めて訪ねる家で、普通の民家だった。
玄関を開けると奥から白髪のおばあさんが出てきて、Rさんひとりを座敷に通した。母は外で待っているという。
その家で何をしたか詳しくは話せないが、その後あの石の柱が再び現れたことは一度もないとRさんはいう。
また後日、母にあの石柱が何なのか、知っているのかと尋ねたことがあった。
すると母は、あれはお墓だよとだけ答えて詳しいことは教えてくれなかったという。
頑なに詳しいことを教えてくれないので、どうも自分たち母子が故郷を離れて日本に移ってきた事情と何か関わりがあるのではないかとRさんは考えている。
別の声
高校生の時に合唱部に所属していた人の話。
全体で合わせる練習のとき、どこからか別の声が混じって聞こえる気がした。
合唱の声が上手く響き合うと、倍音が共鳴してまるで上から別の人が唄っているような声が聞こえてくることがある。
このときもそれかと思いながら唄っていたが、聞いているうちにどうもそういうことではないとわかった。本当に誰か別の声が聞こえる。
見回してみると、練習に使っている講堂の入口に誰かいる。小学生くらいの男の子だ。口を大きく開けて叫んでいる。
初めて見る顔だ。どこの子だろうか。
勝手に歌に混じってきているのかとも思ったが、どうもそんな様子ではなく、こちらに呼びかけているようだ。
部員たちもそれに気付いて、彼の言葉を聞こうとしてひとりふたりと歌を止めた。
唄う声が減るとようやく彼の言葉がわかった。
「こっち来てー! 助けてー!」
どういうことだ、何かあったのか。話を聞きたくて近づこうとしたが、彼は身を翻して走っていく。
後を追って走ると、男の子は理科準備室へと駆け込んだ。続いて理科準備室を覗き込むと、白衣の人が倒れている。
化学の先生だ。意識がない。
救急車を呼んだ。
脳卒中で、危ういところで一命をとりとめたという。
ところで合唱部を呼びに来たあの男の子は、理科準備室に入ったところから姿が見えなかった。
それどころか合唱部以外にあの子の姿を見た者が校内に誰もいない。
放課後のことで校内には生徒や先生たちもいたが、彼らは理科準備室に合唱部員たちが走っていく姿は見ていても、走っていく男の子は見ていないということだった。
赤いジャージ
Nさんが中学生のとき、学校の行事で宿泊学習に行った。
湖畔の施設でカヌー体験をしたのだが、カヌーを漕いでいる最中に何気なく岸に目をやると、赤いジャージ姿の人たちがいた。揃って上下えんじ色のジャージを着ている。
順番待ちをしているクラスメイトたちとは離れたところに、七、八人くらい水際に並んで立っているのが見えた。
Nさんやクラスメイトたちは中学校指定の紺色のジャージを着ている。赤いジャージということは同じ学校の生徒ではない。
顔かたちまではよくわからないが、揃ってジャージを着ているから他の学校の生徒だろう、と思ってそれ以上気にせずカヌーに集中した。
岸に上がったときには赤いジャージの人たちはいなくなっていた。
その日の夕食の頃からNさんと同じ班の友達がひとり、体調を崩して別室で寝かされることになった。
気持ちが悪くて夕食が食べられず、熱もあるという。彼女はその夜のうちに親が迎えに来て、帰ってしまった。
幸い大したことはなかったらしく、翌週から彼女はいつも通り登校してきたが、しばらく後になってからNさんにこんな話をした。
カヌーのときさ、赤い人たち見なかった?
Nちゃんも見たんだ。やっぱりいたんだ。
あれジャージじゃなかったよ。
首から下が真っ赤な色をした人だった。
ジャージの色じゃなかった。そんなの着てないのに真っ赤だった。あれは火傷かなにかだよ。
あれを見たときからずっと気持ちが悪くて、でもお母さんが迎えに来て湖から離れたらすっと楽になったの。
あんなの見るんじゃなかった。
なにそれ、火傷した人たちがあそこにいたってこと? それを見て具合悪くなっちゃったの?
そうNさんが訊ねると、友達は首を横に振った。
あんなほとんど全身火傷した人が生きていられるわけないじゃない。そういうことよ。
相談
Nさんが大学生の頃、友人からこんな相談をされた。
最近さあ、星がついてくるんだよね。どうしたらいいと思う?
返事に困ってしまった。星がついてくるとはどういうことだ。
友人の詳しい話はこうだった。
夕方に一人で帰宅する途中、どうも背後から足音がする。気のせいかとも思ったが、どうも誰かが後をついてくるように思えてならない。
角を曲がるときに後方をちらりと確認すると、人の姿は特にない。代わりに、道の上に星が浮いていたという。
人の背丈くらいの高さのところに光る球が浮いている。それを見た友人はああ星か、と思ったのだという。
星? 人魂とかUFOとかではなく?
そう、星だと思ったんだよね。理由もなく。それでそれが一回だけじゃなくてもう三回は出てきてさ。なんか私のこと好きなのかなって。
好き? 星が?
そう。なんとなくだけど私が好きだからついてくるみたいで。
Nさんは混乱した。なぜその光る球が星だと思ったのか、その星からどうして好意を感じたのか、さっぱりわからない。
ねえどうしたらいいと思う? もう一度友人がそう訊いたが、Nさんには出鱈目な作り話にしか思えず、まともに相談に乗る気にはなれなかった。
ストーカーなら警察に通報すれば? いいかげんにそう返事したが、友人は首を横に振る。
星だよ? 警察がまともに相手してくれるわけないじゃん。
それはそうだ。そんな話、Nさんもまともに相手したくはない。
ついてくるだけで実害がないなら、放っておけば? そう言うと、友人は不安そうな顔になった。
放っておいて襲われたら怖いじゃない。ねえNちゃんも一回見てよ。変な星なんだって。友達じゃない。助けてよ。
そう押し切られてNさんは何度か彼女が帰宅するときに同行したが、一度も光る球も、不審な人物も出てこなかった。
ただ帰宅途中の友人は嘘や演技とは思えないくらい挙動不審で、しきりに後ろを気にしていた。
結局その後友人は大学を休みがちになり、ついに休学してしまってNさんが卒業するまで会うことはなかった。
次に会ったのは大学卒業から五年ほど後、Nさんが仕事で東京を訪れた時のことだった。
東京駅の通路で向こうから来る人の顔になんだか見覚えがあってよく見ると、あの友人だった。
声をかけると相手もすぐNさんのことに気付いたようだった。
立ち話して近況を伝えあったところ、彼女は地元の静岡に帰って就職し、結婚もしたが、もう離婚したという。
Nさんは乗る予定のバスの時刻が迫っていたこともあって、それ以上大した話もできずに別れた。
背中を向けて数歩進んで、やっぱり今の連絡先を聞いておこうと思って振り返ったとき、Nさんは目を疑った。
友人の肩の上に光る球が載っている。ぼんやりして輪郭がはっきりしないが、光る球だ。
あれは、あれが以前言っていたあの。
星なの?
Nさんが呆然としている数秒のうちに、友人は雑踏に紛れて見えなくなってしまったという。