別の声

高校生の時に合唱部に所属していた人の話。
全体で合わせる練習のとき、どこからか別の声が混じって聞こえる気がした。
合唱の声が上手く響き合うと、倍音が共鳴してまるで上から別の人が唄っているような声が聞こえてくることがある。
このときもそれかと思いながら唄っていたが、聞いているうちにどうもそういうことではないとわかった。本当に誰か別の声が聞こえる。
見回してみると、練習に使っている講堂の入口に誰かいる。小学生くらいの男の子だ。口を大きく開けて叫んでいる。
初めて見る顔だ。どこの子だろうか。
勝手に歌に混じってきているのかとも思ったが、どうもそんな様子ではなく、こちらに呼びかけているようだ。
部員たちもそれに気付いて、彼の言葉を聞こうとしてひとりふたりと歌を止めた。
唄う声が減るとようやく彼の言葉がわかった。
「こっち来てー! 助けてー!」
どういうことだ、何かあったのか。話を聞きたくて近づこうとしたが、彼は身を翻して走っていく。
後を追って走ると、男の子は理科準備室へと駆け込んだ。続いて理科準備室を覗き込むと、白衣の人が倒れている。
化学の先生だ。意識がない。
救急車を呼んだ。
脳卒中で、危ういところで一命をとりとめたという。


ところで合唱部を呼びに来たあの男の子は、理科準備室に入ったところから姿が見えなかった。
それどころか合唱部以外にあの子の姿を見た者が校内に誰もいない。
放課後のことで校内には生徒や先生たちもいたが、彼らは理科準備室に合唱部員たちが走っていく姿は見ていても、走っていく男の子は見ていないということだった。

赤いジャージ

Nさんが中学生のとき、学校の行事で宿泊学習に行った。
湖畔の施設でカヌー体験をしたのだが、カヌーを漕いでいる最中に何気なく岸に目をやると、赤いジャージ姿の人たちがいた。揃って上下えんじ色のジャージを着ている。
順番待ちをしているクラスメイトたちとは離れたところに、七、八人くらい水際に並んで立っているのが見えた。
Nさんやクラスメイトたちは中学校指定の紺色のジャージを着ている。赤いジャージということは同じ学校の生徒ではない。
顔かたちまではよくわからないが、揃ってジャージを着ているから他の学校の生徒だろう、と思ってそれ以上気にせずカヌーに集中した。
岸に上がったときには赤いジャージの人たちはいなくなっていた。

 

その日の夕食の頃からNさんと同じ班の友達がひとり、体調を崩して別室で寝かされることになった。
気持ちが悪くて夕食が食べられず、熱もあるという。彼女はその夜のうちに親が迎えに来て、帰ってしまった。
幸い大したことはなかったらしく、翌週から彼女はいつも通り登校してきたが、しばらく後になってからNさんにこんな話をした。
カヌーのときさ、赤い人たち見なかった?
Nちゃんも見たんだ。やっぱりいたんだ。
あれジャージじゃなかったよ。
首から下が真っ赤な色をした人だった。
ジャージの色じゃなかった。そんなの着てないのに真っ赤だった。あれは火傷かなにかだよ。
あれを見たときからずっと気持ちが悪くて、でもお母さんが迎えに来て湖から離れたらすっと楽になったの。
あんなの見るんじゃなかった。

 

なにそれ、火傷した人たちがあそこにいたってこと? それを見て具合悪くなっちゃったの?
そうNさんが訊ねると、友達は首を横に振った。
あんなほとんど全身火傷した人が生きていられるわけないじゃない。そういうことよ。

相談

Nさんが大学生の頃、友人からこんな相談をされた。
最近さあ、星がついてくるんだよね。どうしたらいいと思う?
返事に困ってしまった。星がついてくるとはどういうことだ。
友人の詳しい話はこうだった。
夕方に一人で帰宅する途中、どうも背後から足音がする。気のせいかとも思ったが、どうも誰かが後をついてくるように思えてならない。
角を曲がるときに後方をちらりと確認すると、人の姿は特にない。代わりに、道の上に星が浮いていたという。
人の背丈くらいの高さのところに光る球が浮いている。それを見た友人はああ星か、と思ったのだという。
星? 人魂とかUFOとかではなく?
そう、星だと思ったんだよね。理由もなく。それでそれが一回だけじゃなくてもう三回は出てきてさ。なんか私のこと好きなのかなって。
好き? 星が?
そう。なんとなくだけど私が好きだからついてくるみたいで。
Nさんは混乱した。なぜその光る球が星だと思ったのか、その星からどうして好意を感じたのか、さっぱりわからない。
ねえどうしたらいいと思う? もう一度友人がそう訊いたが、Nさんには出鱈目な作り話にしか思えず、まともに相談に乗る気にはなれなかった。
ストーカーなら警察に通報すれば? いいかげんにそう返事したが、友人は首を横に振る。
星だよ? 警察がまともに相手してくれるわけないじゃん。
それはそうだ。そんな話、Nさんもまともに相手したくはない。
ついてくるだけで実害がないなら、放っておけば? そう言うと、友人は不安そうな顔になった。
放っておいて襲われたら怖いじゃない。ねえNちゃんも一回見てよ。変な星なんだって。友達じゃない。助けてよ。
そう押し切られてNさんは何度か彼女が帰宅するときに同行したが、一度も光る球も、不審な人物も出てこなかった。
ただ帰宅途中の友人は嘘や演技とは思えないくらい挙動不審で、しきりに後ろを気にしていた。
結局その後友人は大学を休みがちになり、ついに休学してしまってNさんが卒業するまで会うことはなかった。


次に会ったのは大学卒業から五年ほど後、Nさんが仕事で東京を訪れた時のことだった。
東京駅の通路で向こうから来る人の顔になんだか見覚えがあってよく見ると、あの友人だった。
声をかけると相手もすぐNさんのことに気付いたようだった。
立ち話して近況を伝えあったところ、彼女は地元の静岡に帰って就職し、結婚もしたが、もう離婚したという。
Nさんは乗る予定のバスの時刻が迫っていたこともあって、それ以上大した話もできずに別れた。
背中を向けて数歩進んで、やっぱり今の連絡先を聞いておこうと思って振り返ったとき、Nさんは目を疑った。
友人の肩の上に光る球が載っている。ぼんやりして輪郭がはっきりしないが、光る球だ。
あれは、あれが以前言っていたあの。
星なの?
Nさんが呆然としている数秒のうちに、友人は雑踏に紛れて見えなくなってしまったという。

畳敷きの部屋

大学一年生のUさんが夏休みに帰省したときのこと。
高校生のときまで使っていた自室に入ったところ、なんだかいやに違和感がある。
家具の配置が変わったわけではない。母に聞いても部屋の中には指一本触れていないという。
しかし記憶にあるよりなんだか随分と暗く感じられる。大学の近くで暮らしているアパートの部屋のほうが明るいから、実家の部屋が暗く感じられるのだろうか。
とりあえず窓を開けて換気しつつ、掃除機をかけてはみたが、やはりどこか沈んだような雰囲気が拭えない。
気のせいだと思うことにしたものの、その夜ベッドに入った後でこんなことがあった。
実家までの移動で疲れていたので眠くはあったが、どういうわけか寝付けない。
まぶたを閉じたまま何度めかの寝返りを打って、それでもまだ眠れないので仕方なく一度台所に行って何か飲んでくることにした。
それで上体を起こしたところで奇妙なことに気付いた。
ベッドは西側の壁にぴったりつけて置かれている。ところが今はその壁がなくなっていて、その向こうに畳敷きの広い部屋が続いているのだ。
腕を伸ばすとやはり壁には触れない。ひんやりとした空気を掻くばかりだ。
しかしUさんの実家の部屋は二階にあり、ベッド脇の壁の向こうは外の空中だ。部屋などあるはずがない。
実は既に眠り込んでいて、夢を見ているのだろう。そう思った。
夢の中ならちょっと探検してみたいな。そんな考えが浮かんだUさんは、ベッドからあるはずのないほうの床へと足を下ろした。
畳に触れた足の裏にひんやりとした感触があった。
その途端に少し頭が冷えた。
いや、やっぱりおかしいでしょ。このまま奥へと進むのはまずいかもしれない。畳の向こうへと進んでいって、戻ってこれなくなったらどうする。
Uさんはすぐに畳から足を上げてベッドの反対側の自分の部屋のほうへと下りた。
そのまま部屋を出て階下のキッチンに行き、水をコップ一杯飲んでからまた部屋へ戻った。
その時にはもうベッドの向こうは壁に戻っていたという。

緑のお堂

Fさんが小学生の頃のこと、お母さんに連れられてお母さんの友人の家を訪ねた。
そこは大きなお寺で、本堂に隣接する住居に通された。
お菓子をご馳走になったが、お母さんたちの話が弾んでいるのでFさんは退屈になってきた。
トイレに行きたくなったので一人で出て行き、用を足して戻ろうとすると玄関の方で誰かがこちらを見ている。
Fさんと同じくらいの歳に見える男の子で、にこにこして手招きしてくるので、そちらに行ってみた。
ここの家の子? と訊くと笑って頷き「面白いもの見せてあげようか」と言う。
退屈していたFさんは彼の後について行き、玄関を出て本堂の裏に向かった。
そこには小さな祠があり、男の子はその古びた扉を大切そうに開けて、中を見るよう促す。
Fさんが覗き込むと、中は思ったよりずっと広くなっていて、なぜか外と同じくらい明るい。
そして中にもうひとつ立派な建物が見える。
本堂と同じような立派なお堂で、しかも全体が宝石か何かでできているのか、きれいな緑色に輝いている。
頭を動かして見る角度を変えると、光を反射して眩しくきらめいた。
祠の外を見ても、緑色のお堂なんてどこにもない。
もう一度覗き込んでも、やはり中に大きなお堂が見える。写真や映像ではない。本物にしか見えなかった。
首がぎりぎり入るかどうかという小さな扉だから、そこから中へ入ることはできなさそうだが、まるで扉の向こうに別の世界が広がっているかのようだ。
どういうこと? と男の子に訊ねたものの、彼は笑って答えず、代わりに「そろそろお母さんが待ってるよ」などと言う。
ごまかされているように思ったが、確かにそれはその通りなので、一旦客間に戻ることにした。
客間には男の子は着いてこなかった。
トイレに行ったにしては時間が経っていたので、お母さんはどこまで行っていたかFさんに問いただした。
あったことを正直に話すと、お母さんの友人は首をひねる。うちに男の子なんていないんだけどなあ。
本当のことを言っているのに疑われるのは嫌なので、Fさんはお母さんと友人を本堂の裏へと連れていった。
先ほど男の子について行ったところには、やはり小さな祠がある。ところが様子は先程と少し異なっていた。
男の子が開いて中を見せてくれた祠の扉がなくなっていて、代わりに祠の中に石の古いお地蔵さんが立っている。
中を覗き込んでも古い祠の内壁が見えるだけだ。
緑色のお堂なんてないじゃない、とお母さんは呆れていたが、友人は微笑んで言った。
それはきっとお地蔵様が見せてくれたのよ。いいものを見られたじゃない。


果たしてその言葉が事実だったかどうかはわからないが、Fさんは後にお坊さんと結婚することになった。
だからFさんはこの出来事を仏様との縁だと思っているという。

銀色の棒

ある人が通勤途中、急に腹の調子が悪くなって駅のトイレに入った。
個室のドアを閉めたところで、目の前に変なものがあることに気付いた。
便器の中から銀色の棒がまっすぐ上に突っ立っているのだ。太さは五センチくらいで、上端は天井近くまで伸びている。
誰がこんなものを置いていったんだ、いたずらか。これじゃ使えないだろ。
片手で棒を便器から引き抜こうとした。
しかしびくともしない。両手で力を込めても揺らすこともできない。
よほどしっかり刺さっているのだろうか。まるで柱だ。
これでは便器を貫通してしまっているのではないか。
とりあえず今は腹が痛い。慌てて隣の個室に移り、事なきを得た。
銀色の棒のことは駅員に知らせておいたほうがいいだろうな、と思いながらもう一度隣の個室に目をやると、棒がない。
便器を覗き込んでみたものの、棒が刺さっていたらしき穴すらなかった。刺さっていたのではなかったのか。
それではどうしてあんなに動かなかったのだろう。
自分が隣の個室で用を足している間に誰かが棒を持っていったにしても、あれほどかたく固定されていたものを大きな音も立てず、何の形跡も残さずに持ち去れるものだろうか。
得体がしれないものを感じたので、急ぎその場を離れたという。

出て消える

十年前、Rさんの長女がまだ一歳の頃。
自宅のリビングで長女を寝かしつけ、今のうちに家事を片付けておくかとキッチンに入ったまさにその瞬間。
ドダン!
背後で衝撃音が鳴り響き、家がビリビリ揺れた。
弾かれるように振り向くと、リビングの床にうずくまった男と目が合った。
二十代くらいの若い男だ。信じられないというような表情でRさんを見上げている。
不審者! 赤ちゃんを守らなきゃ!
咄嗟にベビーベッドのほうを見たRさんがまた視線を戻したときには、もう男の姿はなかった。
どこに行った!? 男が立ち上がった様子も、身動きした気配すらもなかった。
目を逸らした一瞬のうちに、元からいなかったかのように消えていた。
玄関も窓も施錠されていたし、どこから入って出ていったのかも説明がつかない。
なにより一番不思議だったのは、あれだけ大きな音と振動があったにもかかわらず、長女が穏やかに眠り続けていたことだ。
幻覚だったと考えるのが合理的ではあったが、あの時目が合った男は現実の人間にしか見えなかった。


そして去年のことである。
買い物から帰宅したRさんは、一人で留守番をしていた長女からこんな話を聞かされた。
二階の自室で過ごしていると、突然ズシンという大きな音がして振動が伝わってきた。
ところが一階に下りてみても、窓の外を眺めても特に変わったところはなかったという。
話を聞いてRさんは引っかかった。
大きな音と振動。
それは十年前の出来事と同じではないか。もしかすると、今回もあの男がリビングに現れていたのではないか。
娘が下りていく前に姿を消したのではないか。