マネキンヘッド

Rさんは高校生の頃に空手道場に通っていた。
JRの高架線路脇にある道場で、線路下が駐車場になっており、Rさんは毎回そこに自転車を駐めていた。
ある日の稽古が終わって自転車のところに向かうと、頭上の線路から道路に何か落ちてきた。
日没後のことで暗くてよく見えなかったが、ぐじッと妙に湿った音を立てて道路の上で何度か弾み、その衝撃で小さな破片が飛び散った。
なんだこれはと目を凝らすと、どうも人の首だ。
とはいえ本物ではない。マネキンの頭部だ。髪がざんばらになっている。
美容院で見たことのあるカット練習用の模型だろうか。それにしてもそんなものを誰が線路から投げ捨てたのか。
線路を見上げたが誰かいるかどうか、暗くてよくわからない。
また変なものが投げ落とされたら、もしこちらに悪意を持って何かを投げつけられたら。
狙いをつけられないように、Rさんは高架の真下を通って移動してから道路に出てその場を離れようとした。警察に通報しようかとも考えた。
それで頭上に気をつけつつ、自転車を押しながら息を潜めて動き出そうとしたところで、妙なことに気が付いた。
路上にたった今落ちてきた首が見当たらないのだ。
誰かが拾っていった姿は見ていない。数秒、目を離していた間に消えてしまった。
ひとりでに転がっていったのだろうか。そんな光景を想像しながら辺りを見回していると、どうも様子が普段と違う。
いくらなんでも人の姿がない。なさすぎる。
道場から他に出てくる姿もない。通りかかる車もいない。いつもはこんなに静まり返ってなどいないのだ。
マネキンの首がどうこうというより、状況そのものがおかしい。
とりあえず自転車を駐めなおし、道場に走って戻り、玄関を入った途端にぱっと辺りが明るくなったような感覚があった。
外に出直すといつものように道路に車が走っていた。
いつもの様子に戻ったように見えたので安心して自転車のところに戻り、ペダルをこぎ始めたその途端。
ぐじッ。
妙に湿った音で何かが弾む音が、背後の路上で響いた。
Rさんは振り返らずに全速力で自転車を走らせて帰ったという。

箸茄子

Uさんが祖母から聞いた話。
祖母は若い頃新潟の温泉宿で仲居として働いていた。十代で働き始めてすぐの頃、仲居の先輩から言われたことがあった。
もし廊下で箸を見かけても、拾ったり触ったりしないこと。見たらすぐに私か女将さんに知らせること。もちろん自分で箸を落としたらすぐ拾えばいい。
どういうことですかと聞き返しても、いいから覚えておいてと言うだけで詳しくは教えてもらえなかった。
とはいえ箸が廊下に落ちているのを見つけるということはまずなかった。
宿泊客の食事は大広間に用意することになっていたから客間の方に箸を持っていくことがないし、板場から大広間までの廊下にしても箸が落ちていることは一度もなかった。女将さんが厳しく見回りしているから落とし物が放置されているような事態がそもそもなかったのだ。
先輩の言葉の意味を理解したのはその宿で働き始めて五年以上後のことだ。
宿泊客が引き上げた後の客間を片付けた後、客間の戸を閉めて廊下に出て数歩踏み出したところ、背後で戸が音を立てた。
ズッ。
振り向くと、今閉めたばかりの客間の戸が僅かに開いている。客間の中に人はいないし廊下にも他に誰もいない。
ひとりでに戸が動いたのか。
おかしいなと思ってもう一度閉めようと手を伸ばしたところで、開いた戸の隙間から細い棒が廊下に突き出していることに気付いた。
膝の高さくらいで真横に細い棒が伸びている。
箸だ。
持ち手の方を廊下に向けて、空中に突き出ている。先端は戸の陰で見えない。
どうしてこんなところに――とそちらに手を伸ばしかけて、はっとした。先輩の言葉を思い出したからだ。
廊下で箸を見かけたらってこういうことなのか。
伸ばしかけた手を引っ込めて、一歩下がりながらも祖母は訝しんだ。
箸の先はどうなってるの?
気になった祖母は首を伸ばして戸の隙間から部屋を覗き込んで、それを見た。
顔があった。
茄子のように細長い、女の顔だ。日本髪に結い上げている。
箸はその右目に刺さっていた。
女の左目がきょろっと動いて、祖母を見上げた。
黄ばんだ目だった。
祖母は叫びだしそうになるのをこらえつつ、身を翻すと帳場に走っていった。息を切らせて駆け込んできた祖母を見て女将は雷を落としかけたが、祖母が顔を青くしているのを見て察したようで、祖母を奥に座らせてお茶を淹れてくれた。
一度見たらもう出ないから安心しなさいと女将は言ったものの、詳しいことはやはり教えてくれなかった。
女将に付き添われて先程の場所に戻ったものの、客間の戸は閉じていて、中には何もいなかった。
祖母が出産を機にその旅館の仕事を辞めるまで、女将の言う通り同じものは二度と出なかったという。

夜の幼稚園

Uさんの職場の同僚が、雑談の中でこんなことを言った。
最近さあ、うちの近くの幼稚園の前を通るとちっちゃい子供がいてさあ。三歳か四歳くらいかな。幼稚園の庭を走り回ってるの。いや幼稚園だから子供がいるのは当たり前なんだけどさ。でも真夜中なのにいるんだよ。おかしいよな。
何時くらいの話なのそれ、と訊ねると、十二時前後だという。確かに真夜中だ。
それは虐待か何かじゃないの、ネグレクトとかさ。通報した?
Uさんがそう言うと、同僚は首をひねりながら答える。
いやあもちろんそう考えてさ、携帯取り出したんだよ。でも見てて普通じゃないんだよその子。
まずね、走り方が変なの。犬みたいに四つんばいでさ、普通人間が四つんばいになっても速く走れないでしょ。
その子は速いの。犬みたいなスピードで走り回ってんの。
そんで幼稚園の庭を横切って走っていったと思うと次の瞬間反対側から出てくるの。出てきてまたバーッと走って行って、庭のフェンス際でスッと見えなくなるの。
直後にまた全然離れたところから出てくるの。
これはもう単なる子供じゃないって思ってさあ。ポカーンとして眺めてたわけ。普通あんな動きできないんだよ。大人だって無理だよ。
でも一応不審な状況には変わりないしさ。とにかく通報したんだよ。その場で警察に。
そしたら近くの交番からすぐ来てくれたんだけどさ。でも電話してる間に子供はいなくなっちゃって。悪戯で通報したみたいになっちゃってこっちも焦ったんだけど。
それで内心ビクビクしながら見たことを説明したんだけどさ。そしたら警察官も何だか慣れた感じでさ、ああやっぱりって顔するわけ。
大して追求もされずにさあ、ご協力ありがとうございました、他にも同様の通報がありましたので見回りを増やしますって言うの。
他にも見た人いるんだって思って何だかそこでちょっと怖くなってきてさ、すぐ帰った。いやオチとかないんだけど。
それからも二回くらい見たよ。通報はしなかったけど。

駐車場の石像

二十年以上前のこと、当時高校生だったKさんは学校をサボりがちで、友人たちと夜ごとバイクを乗り回して遊んでいた。
そんなある夜、幹線道路沿いのコンビニの駐車場で友人と雑談をしていたところ、友人がKさんのほうを指さして言った。
それ仏像じゃね?
Kさんが腰を上げて振り返ると、今までKさんが腰掛けていたものは確かに何かの像だった。
お地蔵さんなのか他の神様なのか、ちょうど街灯の光が当たらないところでよく見えなかったことと、腰掛けるのにちょうどいい大きさだったのとで、それが何なのか気にすることなく腰掛けてしまっていた。
信心などとは縁のないKさんは仲間の前で気が大きくなっていたこともあり、ふと悪戯を思いついてしまった。右足でその石像の頭部を横から蹴ると、それは台座に固定などされていなかったようで、鈍い音を立ててたやすく横倒しになってしまった。それを見て友人たちもKさんもどっと笑った。
その夜はそれから街をバイクで一回りしてから友人たちと別れ、帰宅してベッドに潜り込んだ。


翌朝になって目を覚ましたのは、激しい痛みのせいだった。
急に激痛を覚えて目を覚ますと、右足首が酷く腫れて二倍くらいに膨らんでいる。歩くどころか痛くて立てない。
それだけではなく、全身至るところに赤い発疹が出ている。そのせいで酷く痒い。

医者に診てもらったところ、右足は骨折しているという。全身の発疹は蕁麻疹ということだった。
昨夜は痛くも何ともなかったし、寝ている間にベッドの中で骨が折れるほどの衝撃を受けるのもおかしい。蕁麻疹になるような変なものを食べた覚えもない。
どういうわけで急にこんなことになっているのか。
思い出したのはコンビニの駐車場での出来事だ。確かにあのとき、右足で石像を蹴った。
骨が折れるほどの衝撃で蹴ったわけではない。
だがもしかすると、あんなことをしたせいで祟られたのではないか。それ以外に心当たりがない。
折れた足ではバイクに乗れないので、親に頼んで車を出してもらい、あの時のコンビニに行ってみた。
ところが駐車場を見回してもそれらしきものが見当たらない。あの時友人たちと座り込んでいたあたりをよく見たが、確かに同じ場所のはずなのに石像などどこにもないのだ。
撤去したにしても、置かれていた痕跡すらない。元からそんなものなどなかったかのようだった。
蕁麻疹は一週間ほどで治まり骨折もやがて回復したが、あの時自分が何を蹴り倒したのか、後々までKさんは気にし続けていたという。

新雪の朝

大雪の降った翌朝のこと。
Nさんが起床して窓から自宅の庭を眺めた。案の定真っ白に積もっている。
たまにしか降雪がない地域だからみんな備えがない。十センチも積もれば交通が麻痺しかねない。
覚悟はしていたが、溜息が出た。
道が混むかもしれないから早めに家を出ないといけないかな。その前に家の前の雪かきか。
やれやれと思っていると、庭の雪の上に何かの足跡を見つけた。
塀の下から庭の半ばまでまっすぐ続いている。鳥だろうか。
いや、形が鳥の足らしくない。何かの獣だろうか。
塀を越えてきたのなら猫かな。いや、猫にしては足跡が細長い。
何の足跡だろう、と気になったNさんはサッシを開けて庭に出た。近寄って足跡をよく眺めて驚いた。
人の足跡だ。土踏まずや五本の指まではっきりと、新雪に形が残っている。
ところが大きさがおかしい。せいぜいNさんの人差し指くらいの長さしかないのだ。
赤ん坊の足くらいの大きさだ。
奇妙なことはそれだけではない。まっすぐ続いている足跡は、左足のものしかなかった。
赤ん坊が片足立ちで雪の上を進んでいく姿が思い浮かんだ。そんなはずはない。
そこまで考えて、もうひとつおかしなことに思い当たった。
足跡は庭の途中までしかついていない。それでは足跡の主はそこからどこに行ったのか。
鳥であれば飛んでいったのだろうが。
つい空を見上げたが、それらしきものは屋根の上にも見当たらなかった。
とりあえずこの変な足跡を撮影しておこうと思いついたNさんは、室内に戻ってスマホを取ってきたが、また庭に出ようとして目を疑った。
雪の上にはNさん自身の足跡しかついていなかった。
風で雪が均されたり、後から更に雪が積もって覆い隠されたはずはない。
ほんの一、二分の間に、あの小さい足跡が初めから無かったかのように消え失せていたという。

石柱

中国生まれのRさんは二歳のときに母に連れられて日本に渡り、成人してから帰化した。
日本に来た理由ははっきり聞かされておらず、どうも込み入った事情があるらしいのだが、何度か母に尋ねても曖昧にはぐらかされてしまっている。中国で暮らしていた地名すら教えてくれないのだ。
今まで一度も中国には戻っていないので、あちらの記憶はほとんどない。断片的な光景がおぼろげに思い出せるだけで、それがどこなのかもわからない。
向こうに親戚がいるかどうかも知らない。母は同じく中国から渡ってきた人の料理店で働いていたが、それ以外の中国との関係がどうも意図的に断たれて節があった。


二十年ほど前、Rさんが中学生のときに一度こんなことがあった。
学校から帰って宿題を済ませ、それから一人で食事の支度をしていた。母は勤め先でまかないを食べてくることが多いので、夕食はRさん一人で食べていた。
作り置きのおかずを温めていると、外で大勢の話し声がする。
はっきり聞き取れないが、興奮したような声で何か言い合っている。誰か喧嘩でもしているのかと思ってそちらに目を向けると、外ではなくアパートの部屋の中に変なものがあった。
灰色の細長い石が立っている。握りこぶしふたつ分くらいの太さの角ばった石の柱だ。側面は磨かれてつやつやしている。
もちろんそんなものは元から家になかった。
何だこれはと思って近づいてよく見ようと思ったところで、肩を揺り動かされた。
そちらを振り向くと母がRさんの傍に座って必死な顔で名前を呼んでいる。いつの間に帰ってきたのだろう。
変なのはそれだけでなく、Rさんは立っていたはずなのにどういうわけか横になっている。
見回すと部屋の様子に変わったところはなく、あの石の柱はない。外の喧嘩も静かになっていた。
時計を見ると食事を作ろうとしていた時刻からもう二時間は過ぎている。その間の記憶が全くない。
母が帰ってきたときには部屋の中にRさんが横になっており、声をかけてもなかなか目を覚まさなかったという。
眠かったわけでもなく、体調が悪いわけでもないのにいつのまに意識を失ってしまったのだろう。
すると先程見た石の柱は夢だったのだろうか。気付かぬうちに眠り込んで、夢を見ていただけだったのか。それにしてはあまりに記憶が鮮明だ。
母に先程のことを話すと、母はふぅっと息を漏らし、表情がみるみるうちに険しくなった。それから母はどこかに電話をかけて何事か頼んでいる様子で、電話を切るとすぐにRさんを連れて家を出た。
タクシーで向かった行き先は同じ市内の初めて訪ねる家で、普通の民家だった。
玄関を開けると奥から白髪のおばあさんが出てきて、Rさんひとりを座敷に通した。母は外で待っているという。


その家で何をしたか詳しくは話せないが、その後あの石の柱が再び現れたことは一度もないとRさんはいう。
また後日、母にあの石柱が何なのか、知っているのかと尋ねたことがあった。
すると母は、あれはお墓だよとだけ答えて詳しいことは教えてくれなかったという。
頑なに詳しいことを教えてくれないので、どうも自分たち母子が故郷を離れて日本に移ってきた事情と何か関わりがあるのではないかとRさんは考えている。

別の声

高校生の時に合唱部に所属していた人の話。
全体で合わせる練習のとき、どこからか別の声が混じって聞こえる気がした。
合唱の声が上手く響き合うと、倍音が共鳴してまるで上から別の人が唄っているような声が聞こえてくることがある。
このときもそれかと思いながら唄っていたが、聞いているうちにどうもそういうことではないとわかった。本当に誰か別の声が聞こえる。
見回してみると、練習に使っている講堂の入口に誰かいる。小学生くらいの男の子だ。口を大きく開けて叫んでいる。
初めて見る顔だ。どこの子だろうか。
勝手に歌に混じってきているのかとも思ったが、どうもそんな様子ではなく、こちらに呼びかけているようだ。
部員たちもそれに気付いて、彼の言葉を聞こうとしてひとりふたりと歌を止めた。
唄う声が減るとようやく彼の言葉がわかった。
「こっち来てー! 助けてー!」
どういうことだ、何かあったのか。話を聞きたくて近づこうとしたが、彼は身を翻して走っていく。
後を追って走ると、男の子は理科準備室へと駆け込んだ。続いて理科準備室を覗き込むと、白衣の人が倒れている。
化学の先生だ。意識がない。
救急車を呼んだ。
脳卒中で、危ういところで一命をとりとめたという。


ところで合唱部を呼びに来たあの男の子は、理科準備室に入ったところから姿が見えなかった。
それどころか合唱部以外にあの子の姿を見た者が校内に誰もいない。
放課後のことで校内には生徒や先生たちもいたが、彼らは理科準備室に合唱部員たちが走っていく姿は見ていても、走っていく男の子は見ていないということだった。