重いボール

高校の女子バレーボール部が体育館で練習中のこと。
転がったボールを拾い上げた部員の一人が違和感を覚えて、手にしたボールに目をやった。
中に何か入っているように思える。軽く振るとカラカラと軽い音がして、中で何かが転がる感触がある。
当然ながらボールに開口部などない。壊さずに中に物を入れることができないなら、内部が剥がれて動いているのだろうか。
そうだとすればそのまま使うとすぐに破裂したりするかもしれない。そう思って、彼はそれをボール拾いの後輩に手渡して他のボールに混ぜないよう伝えた。
しかし練習を終えてみると、その隔離しておいたはずのボールが見当たらない。後輩がそのボールだけ別にしておいた、という場所に置かれてない。誰かが勝手に混ぜてしまったのかもしれない。他の部員にも伝えて、気がついたら廃棄しておこうということになった。
翌日以降の練習でも件のボールは見つからなかったが、他に奇妙なことが起きた。
翌日の練習中のこと、高くトスされたボールが空中でなにかにぶつかったように変に跳ね返ったのを部員たちがはっきり見た。ボールはそのままポトリと床に落ちてきて、てんてんと数回跳ねてからネットの下あたりで止まった。
ぶつかったあたりの空中にはなにかあるようには見えない。空気の壁に跳ね返されたような、奇妙なボールの動きだった。
どういうことなの、と呆気にとられながらも落ちてきたボールに一番近いところにいた部員がそれを片手で掬うように拾い上げようとした。その途端に体勢を崩して転んだ。突然一人で転がった姿に周囲の部員たちは軽く笑い声を上げたが、転んだ本人は血相を変えて主張した。
これ、重い! 重すぎる!
何を馬鹿なことを、と他の部員がそのボールを持ってみると、確かに重い。砂がぎっしり詰まっているような重さだ。
一体なにをふざけているんだ、と顧問の先生もやってきたが、ずっしり重いボールを持つと顔を曇らせた。誰がこんな悪戯を、と部員たちに尋ねる。
しかし部員たちにはそれが悪戯かどうかさえわからなかった。なにしろそのボールはつい今しがた、トスで高く打ち上がったばかりなのだ。重くなったのは空中で見えないなにかに当たって落ちてきてからとしか思えないのだが、その一瞬でボールの中に何かが詰まってしまうというのは不可解だ。悪戯だとしても誰がどうやったのか説明がつかない。
結局その重くなったボールは顧問の先生が中を調べるために体育館から持ち出していったのだが、その後どうなったのかは部員には一切教えてくれなかった。ボールについてどう尋ねても曖昧な表情で言葉を濁してしまう。
その後の練習では、ボールが見えないなにかにぶつかることは二度となかったという。

交差点

春先の夕方だったという。
バンド活動をしているKさんが練習後に帰宅する途中、交差点で信号待ちをしていた。
その日の練習を思い返しながらぼんやり辺りを眺めていると、道路の向こう側で信号待ちをしている人たちの中に高校生らしき制服姿の女の子が三人並んでいる。
その中の一人が目を引くようなかわいい子で、ついじっと視線を向けてしまった。
すると脇から男の声がする。
「なぁにじろじろ見てんだよ」
ふっとそちらに目を向けたが、誰もいない。
周囲を見回しても、他にこちら側で信号を待っているのは数歩離れたところにいる女性くらいで、至近距離で聞こえた声の主らしき者は見当たらない。
空耳だろうかと視線を前に戻すと、先程の女の子の向こう側に立っている人とちょうど目が合った。知っている顔だ。
当時Kさんが付き合っていた彼女である。
彼女はKさんとはっきり視線が合っているはずなのに、無表情でただじっとこちらを見ている。
なんであんなふうに見てくるんだ。文句でもあるのか。
とりあえず声をかけようと、信号が青に変わってから彼女のほうに近寄っていった。
ところがKさんが近寄るより前に、先程の高校生の女の子の陰に隠れるように彼女の姿が見えなくなった。
高校生たちはそのまま横断歩道を渡ってきたが、その向こう側には彼女の姿はなかった。
彼女の携帯にかけてみても出ない。


どういうわけか、それ以来彼女と一切連絡がつかなくなった。
彼女の実家は教えてもらっていないからそちらにも当たれない。共通の友人にも尋ねてみたが、そちらも心当たりはないということだった。
それから五年経つ今でも彼女とは会えていないという。
正直なところ、単に愛想をつかされただけかもしれないので、今ではもう彼女を積極的に探そうという気も薄れているとKさんは語った。
ただ、彼女が消息を絶つ直前のあの交差点での無表情な視線と、不可解に彼女を見失った状況と、すぐ傍で聞こえた男の声とが、どうにも心にしこりのようなものを残しているのだという。

朝風呂

二十年ほど前の二月、Cさんが妻と新潟旅行に出かけた。
泊まったホテルには温泉があり、朝は五時から入浴できるという。Cさんはとりわけ風呂が好きなほうでもないのだが、ちょうど五時頃に目が覚めたので、せっかくだから朝風呂を楽しむことにした。
妻はまだ寝ているというので一人で部屋を出て、まだ誰もいない廊下を大浴場まで歩いていった。
浴槽の中にも誰もおらず、貸し切り状態の中でCさんは伸び伸びとお湯に浸かった。まだ窓の外は暗いので風景を楽しむことはできないが、湯口からお湯の出る音だけが響く静かな浴場でじっと温まるのは心地よかった。
するとそこへ突然、浴場内のサウナのガラス戸が開いて中から一人出てきた。猫背で頭の禿げ上がった老人で、水風呂から桶で冷水を汲むと慣れた様子で肩からそれを一気に浴びて、それからタオルで水気を落として脱衣場へと出ていった。
Cさんは自分が一番乗りだと思っていたが、先にあの老人が入っていたようだ。それにしてもあの歳で早朝からサウナとは大したものだと驚きながら、Cさんはそのままお湯の中でじっとしていた。
すると数分した頃、またサウナのドアが開いた。もう一人入っていたのか。
ところが中から出てきた姿を見てCさんは目を疑った。先ほどの老人だったからだ。
そこからの行動も先程と全く同じだった。水風呂から汲んだ水を肩から浴びて、体を拭いて出ていく。
双子だろうか。そうだとしても行動までそっくり同じということがあるのか。
呆気にとられながらそのままお湯に入っていたCさんだったが、そうしている間にまたサウナの扉が開いたのでギクッとして視線を向けた。
同じ老人が出てきて、先程の二回と全く同じ行動を取って脱衣場へと出ていった。
これはいくらなんでもおかしいのではないか。サウナにそっくりな老人が何人も入っていたのではなく、同じ老人が繰り返し出てきているのではないか。
そんな考えが頭をかすめた。
もうのんびり湯に浸かっている気になどなれなかった。慌てて浴槽から出ると、大雑把に体を拭いて脱衣場へと出ていった。
脱衣場には誰の姿もなかった。
ロッカーもCさんが使っているもの以外鍵が刺さっている。脱いであるスリッパもCさんのものだけだ。
そうだ。脱衣場に来たときもそうだったのだ。貸し切り状態だと思ったのはそのせいだったのだ。
あの老人はCさんより先に来ていたわけではなかったはずだ。彼がサウナに入った姿は見ていない。
それなのに、サウナから出ていく姿だけが繰り返されるのはどういうことだ。
そのまま脱衣場でぼやぼやしていては、またサウナから出てきた老人が脱衣場に入ってくるのではないか。
Cさんは慌てて身支度をすると、脱衣場を飛び出して誰もいない廊下を部屋まで早足で戻った。
部屋に入ると妻はもう起きていて、布団の上でテレビを見ていたが、Cさんの姿を見ると怪訝な顔をした。そして視線を上下させる。
それから妻は急に鋭い声で叫んだ。誰よあんた!
あまりの剣幕にCさんは面食らったが、妻は立ち上がるとCさんに詰め寄り、後ろに回り込んで片手でCさんの背中を何度も払った。
それから辺りを見回すような仕草をして、ようやく落ち着いたようでまた布団の上にへたり込んだ。
急になんだよ、とCさんが問いただすと、妻は怪訝な顔で言った。あなた、お風呂で変なもの見なかった?
Cさんはぎくりとして聞き返した。変なものって、どうして。
今、部屋に入ってきたあなたの肩のむこうに知らないおじいさんの顔が見えたんだ。横顔だったけど、にやにや笑っててさ。
でも、顔しか見えなくて、首から下が見えないの。だからあなたの後ろに回ってみたら、顔もすっと引っ込んで見えなくなって。
お風呂から帰ってきたところだし、変なものがついてきたんじゃないかと思ったの。

リビングの墓石

Gさんが夜に帰宅したときのこと。
玄関から上がって洗面所に手を洗いに行く途中、リビングにいる妻にただいまと声をかけながら通り過ぎようとして、横目で見た光景に違和感を覚えた。
リビングのソファーに腰掛けた妻の、テーブルを挟んで向かい側に黒っぽい大きなものがある。
墓石だ。
なぜか我が家のリビングに墓が建っている。
妻は墓石に向かってじっとうなだれている。
何があった。
墓石の表にはGさんの家の名前が刻まれている。側面には誰かの戒名らしきものが刻まれている。
誰の墓だ。誰の。
もっと近くで見ようと廊下からリビングに足を踏み出そうとしたところ、廊下の奥のトイレから誰かが出てきた。
妻だった。ああ、おかえり。そうGさんに言った妻はいつもの妻だ。
Gさんが視線を戻すとリビングには誰もいない。墓もない。


幻にしてはいやにはっきり見えて、現実感があった。胸騒ぎがしたGさんは、すぐに人間ドックを予約した。
検査の結果、胃に腫瘍が見つかった。
その後手術と投薬でそれ以上の悪化は避けられたが、あのとき見た墓石はまさしく病気が見せた未来だったのではないか。そうGさんは語った。
ただ、リビングで見た墓石は実際のGさんの家のお墓とは色も意匠も違うものだったという。

酔っ払い

夜の十一時頃、仕事帰りのRさんが歩いていると脇のコンビニから背広姿の男がひとり出てきた。
そのままRさんの十メートルほど前方を同じ方向へ歩き始めたが、その足取りがどうも危なっかしい。歩道の上を左右へよろけながらようやく歩いているという様子だ。
どうやらかなり酔っているらしい。
夜の住宅街で車の通りはまばらだが、車道へふらふら出ていってしまっては事故の元だ。いざとなったら歩道へ引き戻すつもりで、Rさんは彼を眺めながら進んだ。
すると急に歩道の右から誰かが飛び出してきて、酔っ払いの男に勢いよくぶつかった。
そしてそのまま姿を消した。
Rさんは目を疑った。酔っぱらいにぶつかってそのまま通り過ぎていったり、来た方向へ戻っていったわけでもなく、酔っぱらいと並んで歩いているわけでもない。
酔っ払いにぶつかった瞬間にふっと消えたようにしか見えなかった。
暗くて見間違えたのかとも思ったが、どうも誰かがぶつかったのは確かなようで、酔っ払い本人も呂律の回らぬ声を発しながら周囲を見渡している。
しかし酔っていい気分のせいか、大して気にする様子もなくまた歩き始めたので、Rさんもそのまま足を動かした。
すると、また少し歩いたところで誰かが右から飛び出してきた。先程と同様に勢いよく酔っ払いにぶつかり、そしていなくなった。
まただ。どういうことだ。
酔っ払いはまたしてもきょろきょろしながら、そのまま歩いている。
Rさんはそこでひとつ気がついたことがあった。
最初に見たときよりも歩き方がしっかりしてきたな。
コンビニから出てきてすぐはヨタヨタして足取りがおぼつかなかった酔っ払いが、勢いよく誰かにぶつかられるたび、しっかり歩けるようになってきている。
ぶつかられた衝撃で酔いが覚めたのだろうか。それにしても短時間で急に覚めすぎなようにも思える。
いぶかしむRさんを尻目に、その男はずいぶんしっかりした足取りで夜の住宅街を去っていったという。

黄色と白

Rさんが以前住んでいた街には銀杏の並木道があり、Rさんは毎日そこを通って仕事に行っていた。
寒くなってくるとそこは落葉で一面が黄色に染まる。
付近の住民や清掃業者が時々落葉を片付けているようで、道路脇に落葉の山ができていることもある。それでも後から後から落ちてくるのですぐ道路は葉っぱで埋め尽くされる。Rさんはその上をサクサクと音を立てて歩いていくのがその季節の密かな楽しみだった。
ある日もRさんが落葉の上を歩いていると、前方に白っぽいものが見えた。落葉の上を滑るようにこちらに向けて移動してくる。
白くて角ばっている。魚屋などに置いてあるような発泡スチロールの箱かと思ったが、どうも表面が滑らかすぎて、蓋があるようにも見えない。
箱というよりはむしろ大きな豆腐のようだ。
あれは何だろう。
驚くことに、それがゆっくりと路上を滑ってくるのに合わせて、向こう側の落葉が一斉に引きずられている。豆腐が通った跡だけでなく、その周囲の落葉もまとめて引っ張られている。見えないブルドーザーが落葉をまとめて押しているようでもあった。
何が起きているんだ? まさか掃除ロボットか?
とりあえずスマホで撮影してみようと慌ててポケットから取り出して、視線を戻したときにはもう豆腐のようなものは影も形もない。
ただ、Rさんの数メートル先で落葉のあるところとないところの境目がきれいにできているだけだった。
呆然としながらそこを通り過ぎたRさんだったが、後になってからふと思いついたことがあった。
もしかすると、今まで誰かが落葉を片付けていたと思っていたが、その中の何度かはあの白いものがやっていたのではなかったか。運が良ければまた見られるかもしれない。
しかし、転勤で引越すまでの間にふたたび同じものを見ることはなかった。もちろん掃除ロボットがその路上で使われていたという話も聞かなかった。

供米

農家のWさんは自分の田んぼ以外に、Kさんの田んぼも請け負って耕作している。
Kさんは江戸時代から続く農家で、広い田畑を持っている。しかし本人が高齢で子供たちも農業を継ぐ気はないため、田畑のほとんどを他の農家に委託するようになっていた。
そのKさんがあるとき足を捻挫した。日常生活はなんとかなるものの、しばらく農作業が難しい。自宅の周囲の小さな水田や畑はKさん自身で世話をしていたので、完治するまでの間はそれらもWさんが面倒を見ることになった。
Kさんが自身で世話をしていた田んぼは林に挟まれた隙間のようなところで、Kさん宅からは歩いて五分程度の距離ではあるが、他の田畑とは離れたところにあった。
形も整理されておらず、歪な三角形をしている。WさんもKさんから頼まれるまでは、そこにそんな田んぼがあるとは知らなかった。
幸い、トラクターが入れるだけの広さと通路があるので農作業の手間はそこまで大きくはなかったが、どうしてこんな林の中に田んぼを作ったのかと不思議ではあった。
その田んぼでこんなことがあったという。
田植えから先はKさんが自分でできそうだというので、Wさんは耕して水を張るところまで請け負った。
ラクターで土を起こし、肥料を入れて水を入れた。水は近くの川からポンプで汲み上げている。
水を汲み上げている間は他の田んぼに行って作業をして、そろそろかなと思って戻ってみるとちょうどいい具合に水が張っている。
これでよしと水を止めると、バシャバシャと水音が立った。音の方を振り向くと、田んぼの中央あたりで水しぶきがしきりに上がっている。
そのあたりで魚が激しく跳ねているのか、あるいは鳥か獣が走り回っているのかといった水しぶきだ。
しかしその水しぶきを立てているらしき生き物の姿が見えない。水深は十センチもないのだから、魚だとしても姿が全く見えないということはありえない。
そもそもあんな大きな水しぶきを立てるくらいの大きな魚が、川と直接繋がっていない田んぼに入ってこられるはずがない。水は確かに川から汲んでいるのだが、水を汲む管の太さは五センチくらいで、小魚くらいしか通れない。
それでは何が水しぶきを立てているのか。生き物でなければ、地面から何かが吹き上げているのだろうか。耕している間はそんな様子はなかったはずだった。
なんだろうなとしばし眺めていると、その水しぶきの中からぬっと、棒のようなものが突き出した。
泥水の中から出たにしては妙に真っ白い棒だった。先が細く枝分かれしているのが見えた。
白い白い、人の腕だった。


Wさんは走ってその場を後にした。
その足でKさんに報告しにいくと、話を聞いたKさんは驚いた様子もなく、ああ見たかと言った。
ああいうものが出ることを知っていたのだろう。自分の田んぼなのだから当然かもしれないが。
見たのなら話してやらないとな、とKさんはあの田んぼの由来を語った。
あの小さな田んぼは元はKさんの持ち物ではなく、昭和の頃まではRという農家の田んぼだったという。R家はK家の隣だった。
Rの家では一族の守り神として、自宅の庭にある小さな祠を拝んでいた。件の田んぼは、その祠に捧げる供米を育てるためのものだったらしい。
ところがRの家では農業を継ぐ者が誰もおらず、平成に入ってから田んぼを全て売り払って他所へ移り住んでいった。
その田んぼのうち何箇所かを譲り受けたのがKさんだという。
譲り受けた当初、Kさんは祠や供米については何も聞かされていなかった。しかし農作業中に何度か奇妙な体験をしたのだという。
Wさんが見たような水しぶきや腕を見たこともあったし、腕ではなく脚が突き出していたこともあった。田んぼの周囲を走る足音だけがぐるぐる回り続けることもあった。
いずれも害があるようなものではなかったという。
R家の祠については後で他の高齢の農家から伝え聞いたが、すでにその時はR家が住んでいたところは空地となって祠は跡形もなかった。
Kさんは考えた。祀る者がいなくなった祠の神様がああやって現れているのではないか。忘れるな、と言っているのではないか、と。
だからKさんは今もあの田んぼで穫れた米の一部を、供米として田んぼの傍に作った小さな祭壇に捧げているのだという。