納屋

消防団に所属しているSさんが、市内の火災に出動したときのこと。
燃えていたのは農家の納屋だった。古い木造のためか激しく燃え上がり、Sさんたちが到着した時には既に二階の屋根から炎が吹き上げていた。
早速消防署のポンプ車と並んで消火作業に取り掛かったが、放水中に団員の一人の様子がおかしくなった。
突然驚いたような声を上げると、燃え盛る納屋に向かって駆け出した。
慌てて数人がかりで取り押さえたが、猶も納屋に向かおうともがきながら叫ぶ。
離せよ! 助けないと!
助けるって誰を――と問うと、じいさんとばあさんが入っていっただろ! と怒鳴る。
それを聞いた一同は青ざめた。本当なら大変なことだ。
しかし他にその姿を見たという者がいない。みんな燃え盛る現場をずっと見ていたのに、そこに入っていく人の姿に気づいたのが一人だけだったなどということがあるだろうか。
しかし、本当に誰かが入っていったのだとしても、もう手遅れだ。納屋は猛烈に燃えている最中で、防火服を着ても入っていけるような状況ではない。
とにかく早く火を消すほかないと、放水を続けた。


鎮火したあと、ほとんど燃え落ちた納屋の中は入念に調べられたが、遺体が見つかることはなかった。
人が入っていったというのは見間違えだったということで片付けられた。
ところがそれを見たという団員はその後も確かに俺は見たんだ、あれは生身の人間だった、本物のじいさんばあさんだったと言って譲らない。見間違えだろうと言われると彼は矢鱈とむきになる。一度はそれで他の団員と掴み合いの喧嘩にもなったので、それからは誰もこの件に触れなくなった。
後にSさんが知り合いの消防署員にこの話をすると、彼は軽く頷いて言った。
俺達にもたまにそういうの見えるって話はあるよ。いないはずの人が見えたとかそういうやつ。本当にたまにだけど。
現場では俺達も冷静でいられるように訓練はしてるけど、やっぱり普段とは精神状態が違うから。変なものが見えることもあるよ。

プレゼント

Wさんは大学を出て地元の信用金庫に就職した。
入ってから知ったのだが、慢性的に人手不足らしく、常に忙しい。外回りに事務の数々と、新人のうちから回される仕事が多かった。休日のはずの土日も、付き合いのある地元企業との会合が入ることが多く、休めない。
残業も常態化しており、帰りは夜10時を過ぎることが珍しくない。家に帰ると食事もそこそこに、倒れ込むように眠るのがいつものことになった。

 

そんな生活を続けていた就職二年目のある夜、Wさんは寝床でふと目を覚ました。周囲で人の話し声がする。
見回すとベッドの周りに数人の姿があって、何やら楽しそうに話している。みんな若い女の人だ。
少し驚いたが、誰なのかわかると安心した。仲のいい友達が集まっている。
彼女たちはWさんの視線に気付くと、揃って立ち上がった。なに、もう帰っちゃうのと尋ねると困ったように微笑んで言う。
「ちょっとプレゼントを渡しに行かないといけないから」
見るとそれぞれ手に膨らんだ袋を持っている。サンタさんみたいね、と言うとみんな朗らかに笑った。
ぞろぞろとみんなが部屋を出ていこうとするので、見送るために起き上がろうとしたが、なぜか体に力が入らない。
友達はそんなWさんを見て言う。
「顔色悪いね。無理しない方がいいよ。病院行ったほうがよくない?」
大丈夫だからちょっと待って、と言おうとしたが友達はそのまま出ていった。バタンとドアが閉まったときにようやくWさんは上体を起こすことができた。
疲れは溜まっているものの、起き上がってみれば体は普通に動く。
ちょっとくらい待ってくれてもよかったのに。そんなに急いでたのかな。
そんな言葉が口をついたが、そこでふと気がついた。今しがた部屋を出ていった友達の名前が出てこない。
名前どころか、顔もはっきりしない。
あれがみんな友達だと疑いなく思いこんでいたし、当たり前のように会話も交わしたが、冷静に考えてみると友達だという証拠がまるでない。
時計を見ると午前三時前。こんな時刻に予告なく友達が部屋に集まっているのもおかしい。
ベッドから降りて部屋を見回したが、寝る前と変わったところはない。無くなっているものも増えているものもない。窓にも玄関にも錠はかかっている。
彼女たちがいた形跡そのものが何一つなかった。ならばあれは夢だったのだろうか。
しかし目を覚ましてから体を起こす直前までは確かに目の前に誰かがいて、部屋を出ていったのを見た。
プレゼントを渡しに行くと言っていたが、誰に何を渡しに行ったのだろうか。


「病院行ったほうがよくない?」
あれが現実だったのかどうかはさておき、最後の言葉がどういうわけか印象に残ったWさんは無理をおして休みを取り、病院で健康診断を受けた。
多忙で疲れているほかは自覚症状などなかったが、診断結果によれば心臓に異常のある疑いがあるという。更に検査を受けたところ、初期の心不全とのことだった。
医師から仕事を減らすよう勧められたWさんは思い切って休職し、結局そのまま転職することになった。
あのまま激務を続けていたら、そのうち発作を起こして突然死していたかもしれない。彼女たちはそれを伝えに来たのではないか、それが自分へのプレゼントだったのではないか。Wさんにはそんなふうに思えるのだという。

怖い絵

高校の美術部で顧問をしている教師のKさんの話。
その美術部には怖い絵の噂が代々伝えられていた。
十年以上前、Kさんがその高校に着任するよりもっと前のことだという。
部活動中、ひとりの部員が描いたスケッチが妙に怖い。他の部員たちがひと目見て顔を覆ったり泣き出したりするほど怖かった。
しかし皆が落ち着いてみると、そもそも誰が描いたのかがはっきりしない。描いているところを見た部員はそれぞれ違う名前を挙げたし、名指しされた部員はいずれも自分ではないと首を振った。
使われていたスケッチブックはその日休んでいた部員のものだった。
何が描かれていたのかははっきりしないが、そのスケッチが今でも美術室に残されているという。


ただの噂で、世の中にいくらでもある怪談のひとつに過ぎない。Kさんもそう思っていた。
あるとき、Kさんは美術準備室の棚で一冊のスケッチブックを見つけた。資料や教本に交じって無造作に並んでいたのだが、それまで何度もその棚を見ていたはずなのに、このスケッチブックを見るのはその時が初めてだった。
単なるスケッチブックではなかった。綴じ目以外の三辺に布テープが隙間なく貼られており、開くことができない。
なにかの悪戯なのか、それともよほど中身を見られたくないのか。しかし見られたくないのならこんなところに放置しないで持ち去ればいい。持って行きたくない理由があったのだろうか。
そこまで考えて、例の怖い絵の噂を思い出した。今でも美術室に残されているという、怖いスケッチ。
これがそうなのだろうか。こうしてテープで封印されているのは――あまりに怖い絵だからなのか。
Kさんはどうすべきか少し迷った。
何が描かれているのか見てみないことには、これが噂のスケッチなのかどうかわからない。見たところで本当に同じものかどうかはわからないのだが。
噂というものは尾ひれがつくものだから、実際に見てみたら大したことなんてないのかもしれない。大したことがないものならば美術部の子たちに見せてあげてもいいし、本当にとてつもなく怖いものならばこんなところに保管しておかないで処分してしまってもいい。
いずれにせよ、中身を確かめる必要がある。布テープを切り開こうと、カッターナイフを当ててグッと力を入れた。
バタンッ!
美術室で大きな音が響いた。一体何事、とスケッチブックを抱えたまま見に行くと、壁にかけてあった絵が落ちている。
ところが絵が入っていた額は壁にかかったままで、中のカンバスだけが落下している。額の背面の板もしっかり嵌まっている。これでカンバスが落ちるはずがない。
まるで額を通り抜けてカンバスが落ちたかのようだ。
美術の授業がない時間なので、美術室には誰もいなかった。美術準備室からは美術室に誰かが入ってくればすぐわかる。誰かが悪戯したということは考えられない。
スケッチブックを開けようとした途端にこんなことが起きた。警告のようにも思えた。
Kさんはもとあったところにスケッチブックを戻し、それ以上気にしないことに決めた。だから今でもスケッチブックはそこにあるという。


見せてもらえないでしょうかと頼んでみたが、Kさんは短く、駄目ですとだけ言った。

洞穴の絵

Sさんの家には階段を下りた突き当りに油絵が飾られていた。ぼんやりした色合いの風景画で、木々の間に見える岩壁に洞穴がひとつ、黒々と口を開けている。父の祖父、つまりSさんの曽祖父が買ったものだという。
物心付いた頃からSさんはこの絵が怖かった。特にその洞穴が怖い。
洞穴は画面の右寄りに小さく描かれているだけで、森の風景が絵の主題ではあるのだろうが、どうにも洞穴に視線が向く。そして見るたびに不気味な印象を受けて目を逸らす。

 

幼い頃はその絵に怯える一方だったSさんもだんだんと慣れてきたのか鈍くなってきたのか、小学校高学年の頃にはその絵を意識することもあまりなくなってきた。落ち着いて見ればただの風景画だ。幼い頃に絵を怖がるSさんを周囲の大人が笑って眺めていたのも当然のように思えてきた。
そこに絵を買い取りたいという人が現れた。
祖母の知り合いが訪ねてきたときに気に入り、是非とも譲ってほしいと頼み込んできたという。曽祖父が気に入って買った絵とはいえもう故人だし、今いる家族はその絵に大した思い入れはない。家族で話した結果、先方の希望通り売ることに決めた。
小学生のSさんはもちろん売ることになったということを決まってから聞かされただけだったが、そう聞くとなんとなく名残惜しいような気もしてくる。改めて絵を見てみると、絵の良し悪しはわからないものの、やはりなぜか洞穴に視線が引かれた。

 

ある日Sさんが学校から帰ってくると、玄関から上がった廊下に知らない人が立っていた。全身青い服を着たおじいさんで、あの洞穴の絵をじっと眺めている。
あの絵を買いたいと言っていた人が取りに来たのかな。Sさんはそう思いながら、こんにちはと挨拶をした。
青い服のおじいさんはにこやかに会釈をしてから、無言で絵に向き直った。Sさんはそのまま二階の自分の部屋にランドセルを置き、おやつでも食べようと階段を下りてきたが、そのときにはもうおじいさんの姿はなかった。絵はまだ壁にかかっている。
キッチンにいたお母さんに、もうあのおじいさんは帰ったの? と聞くと怪訝な顔をされた。お客さんなど来ていないという。
翌週に絵を引き取りに来た人は女の人で、じゃああの青いおじいさんは一体誰だったのだろうとSさんは後から不思議に思った。

夜風

Eさんは首筋に吹き付ける風を感じて目を覚ました。
深夜、自室でテスト勉強をしていたのだが、いつの間にか机に突っ伏して眠り込んでいたようだ。時計を見ると午前三時。
風はひょうひょうと音を立てて吹き込んでいて、窓のカーテンがはためいている。寒い。
窓を閉めようと腰を浮かせたとき、そういえば、と疑問を持った。窓を開けた覚えがない。
なんで開いてるんだ、と呟いた瞬間、風がふっと止んでカーテンがぴたりと動かなくなった。
急に風が収まったな、と思いながら窓を確認するとぴったり閉まっており、ガラスに自分の顔が映っている。
じゃあ今の風はなんだったの、寝ぼけてる?
どういうこと、と首をひねってから、もうひとつ奇妙なことに気がついたEさんは慌ててカーテンを閉めた。
首をひねったときも、ガラスに映った自分は直立した姿勢のままじっとこちらを見つめて動かなかったのだ。
もうその夜はテスト勉強どころではなかった。

ピンクの手袋

Rさんが中学生の頃、家族のアルバムを見ていて気付いたことがあった。
幼い頃の自分が、どの写真でも必ず手袋をしているのだ。写真の日付によると、一歳から三歳までは季節を問わずいつも手袋をしている。
幼児用のいかにもかわいらしいデザインの手袋ではなく、ピンクではあるが無地の地味なものだ。
しかも同じ手袋のようで、一歳のときの写真に比べると三歳のときの写真では明らかに古びている。幼い頃の自分は、この手袋がそんなに気に入っていたのだろうか。
全く記憶にない。
手袋について尋ねると母の顔が曇った。
あんた何も知らない? 本当に?
まあ、あんな小さい頃のことなんて覚えてなくて当たり前だけど――母はそんな前置きから始めた。
一歳になってすぐにRさんは立って歩くようになった。よちよち歩きで家の中を動き回る。
水周りや火の元に近づいたり、家の外に出てしまっては危ないので、両親はRさんから目を離さないように注意していたのだが、それでもほんの一瞬の隙に部屋から廊下へ出てしまっていたり、玄関まで降りてしまっていたりということがあった。
なんてすばしっこい子なんだろうと呆れることもあったというが、やがて呆れるくらいでは済まない出来事があった。
部屋の中にいると思っていたRさんが廊下から部屋によたよた入って来た。小さな手になにかを握っている。
あんた何持ってるの、と顔を近づけた母は息を呑んだ。
小鳥の死骸だった。
こんなものどこで拾ってきたの、とRさんに尋ねたものの一歳児にまともな説明はできない。
玄関も窓も施錠してあるからRさんが外で拾ってきたはずはない。しかし家の中で鳥が死んでいるのもおかしい。
とりあえず死骸はすぐに捨てたが、わけがわからなかった。
しかし同じことが二度、三度と続いた。三度目などはカラスの死骸の足を握って引きずっていた。やはり家の中のことで、どこから拾ってきたか皆目わからない。どういうわけか、廊下の途中から黒い羽が点々と落ちていた。
両親は悩んだ。原因も解決法も見当がつかない。本人に言って聞かせることもできない。
いずれカラスよりもっと大きいなにかを拾ってくるのでは――と思うと恐ろしかった。
母は実家に電話で相談した。すると翌週になって荷物が届いた。
ピンクの手袋と実家からの手紙が入っている。手紙によると、実家の菩提寺の住職に相談して、頂いたお守りを手袋に縫い付けたという。
その手袋をRさんに毎日つけさせるようになってから、死骸を持ってくることはなくなった。

 


三歳になったときに少し様子を見てみようかということになり、七五三のついでに神社でお祓いをしてもらって、それから手袋を外して過ごすようになった。お祓いが効いたのか他の理由によるのかはわからないが、とにかくそれ以降死骸を持ってくることはなかった。

雪瓦

Nさんの住むアパートの隣に古い家があり、三階のNさんの部屋の窓からはこの家の二階の屋根がすぐ下に見える。
瓦も何枚かずれているし、前の通りから眺めても庭は草だらけで窓も雨戸を閉め切られている。隣に住んでいても、人が出入りするところを見たことがない。
以前その家に住んでいた一家は事故や病気が続いて、Nさんがアパートに入居したその年に出ていったと聞いた。それからずっと空き家のままだ。

 

雪が降った朝のことである。
ベッドから下りたNさんは、窓から何気なく隣の屋根に目をやった。積もったばかりの雪が瓦の形に波打っている。
そのちょうど真ん中に、人の手形がぽつりとひとつだけついていたという。