銀のバケツ

夕方、高校生のWさんが自宅の門の前まで帰ってきたところ、屋根の上に見慣れないものがあることに気がついた。
銀色のバケツを伏せたようなものが二階の瓦屋根のこちら側の斜面にぽつんと見える。
バケツだとしたら誰かが置いたのだろう。あるいは下から投げ上げたのだろうか。
どちらにしても朝にはあんなものはなかったはずだ。
なんだろうなと思いながら見上げているとそこへちょうど母親が帰ってきた。買い物に出かけていたらしい。
なああれ、どうしてバケツがあんなところに?
指さしてそう尋ねると、母親も怪訝な表情を浮かべた。あらやだ、何あれ。いつからあるの?
母親が知らないとすると、あとは父親しか心当たりがない。それとも家族以外の誰かが悪戯でやったのだろうか。
とりあえず屋根に上って下ろすか、と話しながら門から一歩入ったところで、視界の端でバケツが動いたように見えた。
錯覚かと思って見上げると、バケツが静かに浮かび上がっている。見えない糸に釣り上げられるように、揺れも回りもせず、音もなく浮いている。
バケツは見る見るうちに高度を上げていく。途中で西日を受けてオレンジ色にきらめいて、やがて点になり、すぐに見えなくなった。
家に入ってもう一つ驚いた。家じゅうの時計という時計が全て異なる時刻を指している。アナログだけでなく、炊飯器や洗濯機、シャットダウンしてあったパソコンに至るまで全て時刻が狂っていた。


夜になって帰宅した父親はそんなバケツなんて知らないと首を横に振り、俺も見たかったと残念がった。