対岸を見る

釣り好きのBさんがよく行く釣り場で糸を垂らしていたときのことだという。
そこは利根川下流で、川岸に点々と葦が群生しており、そういったところの周囲に魚が潜んでいることがよくある。Bさんお気に入りの場所だった。
昼食後にすぐ釣り始めて、日が傾いてきた頃のこと。
何の気無しに対岸に目をやると、いつの間にか人だかりができていた。
川幅が四百メートルほどあるから顔かたちまでは見えないが、二十人くらい川岸に集まっている。そしてみな、真っ黒な服装をしていた。
喪服だ。
あの辺りで葬式でもあったのだろうか。しかし今どき、その地域では自宅で葬式を行うことはほとんどなくなった。
昔は民家で葬式を行い、遺灰の入った骨壺は参列者が列を作って墓地まで持っていったものだった。現在ではそうしたやり方は廃れて、葬儀場で通夜と葬式を行い、遺灰を墓地に葬るときも身内だけでひっそり済ませる。
葬式あるいは法事があったとしても、どうして参列者が川岸に集まっているのかBさんには見当がつかなかった。喪服の集団は動いていないわけではないのだが、なんとなくふらふらしているだけのように見える。単に雑談でもしているのかもしれないが、どうしてあんな川岸に大勢でいるのだろうか。
何なのかな、とぼんやり眺めていたBさんだったが、そこでポケットのスマホが鳴った。着信音からしてメールではなく通話だ。
誰からかな、と画面に目を落としたBさんは息を呑んだ。
画面には電話番号は表示されていなかった。電話帳アプリに登録されている人名でもない。
表示されているのはたった三文字だった。
「見るな」
はっとして対岸に目を向けようとして、それでもスマホの画面から目が離せなかった。
何を見るなというのだ。
あの喪服の集団をか。
誰がこんな文字を表示させているのか。
複数の疑問が頭を掠めた。
Bさんが電話に出ない数秒のうちに、着信音は鳴り止んだ。
そのままBさんは対岸を視界に入れないようにしながら釣り道具をまとめ、そそくさとその場を立ち去った。


帰宅してからもう一度スマホを確認したが、どういうわけか着信履歴にあの着信は記録されていなかったという。