待合所

Rさんが友人たちと三人で夕飯を食べに行った。
店を出て少し歩いてから友人たちと別れ、一人になった。
少し歩いてからバスの待合所に入り、椅子に腰を下ろした。
待合所に他の人の姿はなく、白々とした蛍光灯の明かりの下、Rさんはスマホをいじりながら一人でバスを待った。
バスはなかなか来なかった。バスは時刻表ぴったりには来ないものだが、それにしてももう二十分近く待っていた。
曜日によって時刻表が違うこともある。時刻を勘違いしているのだろうかと思ったRさんは時刻表を確認しようと見回した。
ところが、待合所に時刻表らしきものが見当たらない。
なぜだろう。
待合所には古びた椅子と机が並んでいるだけで、壁には何も貼られていない。
時刻表がないなんておかしいな、とスマホで時刻表を検索しようとして、そこでふと疑念が湧いた。
ここは本当に待合所なのか?
どうして待合所に机が並んでるんだ?
もう一度周囲を見渡してみれば、やはりそこは待合所らしくなかった。
事務用の机と椅子が並んでいて、自分はそのひとつに腰かけている。バスの待合所には見えない。
なぜ自分はこの部屋をバスの待合所だと思いこんでいたのだろう。
そもそも。
どうしてバスに乗ろうと思っていたのかがわからない。食事した店から自宅までは歩いて帰れるし、バスなどもう何年も利用していない。
慌ててその部屋から出ると、そこは知らないビルの一階で、他に人の姿はなかった。
外に出てみるとそこは家に帰る方向とは逆の地区で、どうしてこちらに歩いてきたのか全くわからない。
酒を飲んだわけでもなく、前後不覚に陥るほど疲れていたわけでもない。
友人と別れてから何の疑問も持たずに当然のように道を辿り、あの部屋に入って、時刻を気にした瞬間まで疑いなくバスに乗るつもりだったことが不可解でならない。


そこからは無事に帰宅することができたが、何か脳の病気でもあるのではないかと不安になったRさんは後日病院で診てもらった。
検査しても特に異常は見つからなかったのでそれについては安心したものの、あの夜の件については尚更説明がつかない。
もう一度あのビルに行ってみようとも考えたが、記憶にある辺りを歩き回ってもどのビルなのかよくわからなかった。
あれほど自分のことが信用ならないと思ったのは初めてでした、とRさんは語った。