書斎

Eさんが大学生の時、お母さんが倒れてそのまま入院した。
病名は検査結果が出るまではっきりしないということで、お父さんと一緒に病院へと駆けつけたEさんは一旦帰宅することにした。
病院へはお父さんの運転する車で行ったが、お父さんはもう少しお母さんに付いているということで、Eさんはタクシーを呼んで帰った。
家に入って居間で一息ついて、それからお風呂でも洗っておこうと廊下に出た所で奥から明かりが漏れていることに気が付いた。
そちらにはお父さんが書斎にしている部屋がある。
電気を点けっぱなしで家を出ちゃったのか。
そう思ったEさんが明かりを消そうと書斎の戸を開けると、机に向かってお父さんが座っている。
いつの間に帰ってきたのか、全く気が付かなかった。
――もう帰ってきたんだ、早かったね。
そう声をかけたが、お父さんはこちらに背中を向けたまま振り向くことも、返事もしない。
疲れているのか、と思ったEさんはそのままお父さんを放っておいて風呂を洗い、そろそろご飯の用意をしようと考えた。
二人分の簡単な食事を用意し、書斎にお父さんを呼びに行ったが今度は明かりが消えている。
お父さんの姿は書斎にも、そして家のどこにもない。
台所は玄関に続く廊下に面しているから、台所の前を通らなければ玄関から外出できない。
Eさんは台所にいたから、お父さんが外出したなら気が付いたはずなのだが、玄関が開く音すら聞こえなかった。
どうやってお父さんは家からいなくなったのだろうか。窓から出て行った?なぜ?


ご飯を食べ終わって一時間ほど経った頃にお父さんから電話がかかってきた。
これから帰るという。
さっきはどうして一回帰ってきたの、とEさんが尋ねるとお父さんは「何言ってるんだ?」と怪訝な様子だった。
お父さんは病院でEさんと別れてからずっと病院にいたというのだ。
しかし先程書斎でEさんが見た姿は確かにお父さんのものだった。服装もその日着ていたものと同じだったし、後ろ姿とはいえ体格も髪型も間違えようがない。
電話を切ったあとでEさんはもう一度書斎へ入ってみたが、先程お父さんの姿を見た机には特に変わったところはなかった。


それから少し経ったある日、Eさんはお父さんの口からお母さんの病名を聞かされた。
癌だという。
お母さんはその後二年ほどで亡くなった。
後から考えてみれば――書斎で見たお父さんのあの後ろ姿は、何かの前兆だったようにEさんには思えて仕方がないのだという。