拡張学級

クラスメイトの小早川が帰らぬ人となった。
自転車でトラックと正面衝突して即死だったらしい。
そりゃ当たり前で、自転車じゃあトラックと相撲したって勝てるはずがない。ましてや非力な小学生の身では。
そんなこと本人だって知っていたはずだけど、その日はどういうわけかそれを実験したいと思ってしまったんだろう。知らないけど。
三日後にクラスみんなでお葬式に行った。
お棺の蓋はずっと閉められていたから、顔は見られなかった。
「みんな、小早川君のことを忘れないでいてあげようね」
担任の内田先生は涙ぐんでそんなことを言った。
言われなくたって、みんなだって小早川のことを忘れてやろうなんて思っていない。
特別いい奴でもなかったけど、悪い奴でもなかった。
夏休みのプールサイドでいきなり水着を下ろされた恨みはまだ忘れていないが、宿題をやり忘れた時に写させてもらった恩だってある。
クラスメイトとしてお互い楽しく過ごせる、悪くない関係ってものを築いてきたと思っている。
死んでしまったからって、簡単に忘れられるはずがない。
――ただし、そうは言っても「去る者は日々に疎し」なんて言い方もある。
人間ってやつは「忘れる生き物」だと、以前校長先生も全校集会の時に言っていた。もとい、おられた。
時間が経つとともに記憶が薄れていくのは自然の成行きとはいえ、ちょっと寂しい。
そんなわけで、クラス一の知恵者である坂本にその辺について聞いてみた。
「どうすれば忘れなくなると思うよ?」
坂本は読んでいた本から目を上げて、眼鏡を外して眼鏡拭きで入念に拭いてから言った。
「うん、要するに小早川君の顔がいつでも見られるようにすればいいんじゃないかな。
忘れてしまうのはつまり、記憶の反復が行われないせいだろう。
だから写真でも置いとけば、毎日小早川君のことを思い出せる。
そうすれば忘れにくくなるんじゃないの」
そんなわけで、アルバムから小早川がなるべく大きく写っている一枚を写真立てに入れて、小早川の席に置いておくことにした。
後の自分の残酷な運命も知らず、能天気な笑いを浮かべる小早川少年の写真は、クラスメートの涙と哀悼の意を誘うのに十分な効果があった。担任まで写真を見た途端に泣き出していた。
しかしそれから数日経った朝、その写真に落書きがしてあるという事件が起きた。油性ペンで小早川の顔の上にルチャドールのマスクが精巧に描かれていたのだ。
これではみんなの記憶の中で小早川がメキシコ人に書き換わってしまうじゃないか。
小早川が本当にルチャドールだったならばトラックと衝突したとしても軽やかに空中に舞い上がって傷一つなかったはずなのに。本当にそうだったらよかったのだ。
こんな不謹慎なことをする奴は一体誰だというのか。
クラスの中にそんな破廉恥な奴は存在するはずがない。
よくも俺たちの大切なルチャドールに。もといクラスメートに。
――許せぬ蛮行。
クラスは団結した。
我が組の総力を挙げた捜査により、犯人は程なくして特定された。隣のクラスの古波という女子である。
どうしてこんなことをしたのか――。
クラスの男子諸君による丁重な尋問により動機を聞き出したところ、小早川への恨みからあんなことをしたらしい。
何でも、小早川は古波の母親(41)としばらく前から不倫関係にあったという。そのせいで母親は家庭を顧みることが少なくなり、家庭崩壊寸前の状態にある。古波は、全ての原因が小早川にあると考え、恨んでいたのだという。
落書きは、そんな想いが募っての犯行だった。
意外なことから故人の熟女嗜好が明らかになってしまいクラス一同に衝撃が走ったが、そんな事情があるならもう小早川の写真を置いておくわけにもいかない。また似たようなことが起きても困る。
そんなわけで写真を置いておく作戦は失敗に終わったが、そうすると話が前に戻ってしまう。
また坂本に聞いてみた。
「どうすればいいんだ坂エモン」
「しょうがないな。僕は別にもう何もしなくてもいいと思うんだけど。
――それじゃ気がすまないって?
そうだな、じゃあこれを使おう」
そう言って坂本は携帯電話を取り出し、何やらいじり始めた。
「このアプリを使えば、好きな所に写真を表示させるように設定できる。
実際に写真を置いておかなくても好きなときに見られるよ。
勿論、スマートフォンがないと使えないけど、このクラスは殆どがスマートフォンユーザーだから大丈夫だろう」
いつの間にみんなスマートフォンユーザーになっていたのか知らないが、そんなわけで何とかカメラとかいうアプリを使って、改めて小早川の写真が飾られることになった。坂本が全部設定して、帰りの会でみんなに報告した。
それからというもの、クラスのみんなは登校してくると携帯電話を取り出して小早川の席にかざし、変わらない笑顔を見るようになった。
やがてその画面に向けて「おはよう」とか「今日も元気そうだな」なんて声を掛ける慣わしまでできた。本人はすでに元気どころではないのだけれど、写真の中ではいつまでも様子が変わらないのでついそんな言葉も出る。
そうやって毎日声を掛けてみると何だか本当に小早川がそこにいるような気がしてくるもので、やっぱりこうしてよかったなあ、などと考えていたのだが、そのうちに本当に小早川を見たと言い出す者が出てきた。
小早川の席の右隣の藤崎が授業中に消しゴムを落として床を見た時のことである。小早川の机の下に上履きをはいた足が見えたという。はっとして視線を上げたが勿論誰もいない。もう一度下を見たが足などなくなっていた。――ただ、落としたはずの消しゴムはなぜか、小早川の机の上にぽつんと置いてあったという。
また小早川の後の席にいる桜木は、何度か授業中に小早川の席から影が落ちているのを見ているという。まるでそこに人が座っているように、人型の影が床に伸びていたらしい。
そんな感じの話がいくつか出てきて、クラスみんなが何となく薄気味悪く思い始めてきたところ、今度は小早川が堂々と現れた。
朝、クラスのみんなが殆ど教室に揃った頃合に、生前そのまま姿をした小早川が「おはよーっす」なんて元気に言いながら入ってきたのである。
みんな驚きはしたけど、あまりに当たり前のようにはっきり出てきたものだから反応することもできなかったようだ。視線が集中する中を、小早川は特に変わった様子もなく自分の席まで歩いていった。
そういえば葬式のとき、クラスの誰も小早川の顔を確認していない。もしかすると、本当に小早川は死んでいなくて、一切がタチの悪いいたずらだったんじゃないか、という気もしてくる。
しかしよく見るとちょっとした拍子に輪郭がぼやけたり、向こうの景色が透けたりする瞬間がある。やっぱりこの世のものじゃないようだったが、当の本人は自分が死んだなんてこれっぽっちも思っていないようだった。
そのままその日の授業が終わって、小早川は何事もなく帰る様子である。家に帰るのか気になったので教室から後をつけてみると、校門を出た処でかき消すように見えなくなった。やっぱり幽霊だった。
翌日も、その翌日も小早川は登校して来た。
クラスみんなは気味悪がって心もち遠巻きにしているが、本人はそれに気付く様子もなく平然と過ごしている。
こんな時はやっぱり知恵袋である。
「どうしよう坂もっさん」
「たまには自分でも考えてみたらどうか」
「古来、下手の考え休むに似たりと申しましてな」
「しょうがないなあ。――じゃあこうしよう」
そう言うと坂本は携帯電話を取り出し、画像データを開いた。現在も教室に表示してある小早川の写真である。
坂本はそれを画像編集ソフトで加工した。
色を白黒に。それから写真の周りに黒枠をつけた。
どう見ても立派な遺影である。
次に、それを例のアプリで小早川の席に表示されるよう、設定し直した。
「これでいい」


翌日から小早川は来なくなった。