拡張家族

やはり、携帯電話に何かあるような気がした。
なぜだか気になって仕方がなかった。
私の物ではない。死んだ知人の持ち物である。
順を追って話そう。


高校の同級生だった浦辺が死んだ、という報せが警察から来た。
なぜ私に、と聞くと浦辺には連絡のつく親類がいないためだという返事だった。
遺品の中から私の連絡先が見つかったらしい。
私にしても浦辺に会ったのはもう三年くらい前が最後なので些か面食らう。
その時にも彼は一人暮らしをしていたようだが、最期まで孤独だったということなのだろうか。
もう少し連絡を取っておけばよかったな、と今更ながら後悔しつつ、詳しい話を聞きに警察署へ行くことになった。


出向いた私を迎えたのは初老の穏やかな刑事だった。
「浦辺さんは自宅で発見されましてね。新聞が新聞受けに溜まっていることに疑問を持った管理人が通報してきました。この猛暑ですが、ずっとエアコンが動いていたようで……そこまで酷いことにはなっていませんでした。……乾燥はしてましたが。新聞の日付や、付近の住人の証言から、亡くなってから少なくとも十日から二週間は経っていたようです。死因はまだ確定はしていませんが、恐らく心不全ではないかということで。物取りの形跡も見られないので、事件性は今の所、無さそうですな」
刑事のごく事務的な説明を聞いたが、何とも言葉が浮かばない。
最近の浦辺がどんな生活をしていたのか殆ど知らないから、話だけ聞いても今一つ現実感が無かった。
しかしそんな私が呼び出される程、浦辺は日常の人間関係が希薄だった――ということなのだろうか。
その辺りについて、刑事に聞いてみた。
「それなんですがね、聞き込みをした所によると、ここのところ二年くらいはずっと浦辺さん、殆ど誰とも会わずに暮らしていたというんですな。二年前に仕事を辞めて、後は家に篭りっきりだったとかで」
初耳だった。仕事を辞めたのも、引き篭もっていたのも。
高校生の頃の浦辺は、引き篭もるような性格ではなかったのに。
何かあったのだろうか。
訳がわからなかった。


もしかしたらという希望もあったのだが、その後確認した遺体はやはり浦辺本人だった。
最後に会ったときに比べると随分痩せていて、遺体の状態も良くなかったが――間違いなかった。
悲しいとか寂しいとかいうより、疑問の方が大きい。
なぜ、こんな唐突に逝ってしまったのか。なぜ、こうなる前に私はもう一度会っておけなかったのか。
それから数日は浦辺の遠縁を捜したり、略式ではあるが葬儀の手配をしたりと忙しかった。浦辺の親戚の所在は結局、不明のままだった。浦辺は母子家庭で、十年ほど前に亡くなった母親は生家と完全に縁が切れていたようだ。
葬儀は、ビルの大家の他は私が声をかけた同級生が十人ほど集まったきりの、ごく慎ましいものとなった。大仰なものを嫌う浦辺だったから、それはそれでよかったのだろう。


浦辺の住んでいた部屋はその月の内に引き払えば良いという事だったので、葬儀が終わって少し間を置いてから片付けに行こうと思っていた処、警察からまた連絡があった。検証のために現場から持ち出した遺品を引き取って欲しいという。
希望があれば届けてくれるということだったが、どうせ浦辺の部屋にも行かなければならないのだ。ついでに取りに行くことにした。
警察署に行くと、遺品の入った箱を持ってきたのは以前と同じ初老の刑事だった。
勿論警察は現場にあった物を根こそぎ持っていった訳ではなく、遺体の周辺にあったものをいくつか持ち出していたものらしい。
箱に入っていたのはいずれも小さい品物で、灰皿、ライター、煙草の箱、マグカップ、ボールペン、手帳、携帯電話――そんな処だった。私の連絡先はその手帳に書いてあったという。
「ちょっと気になることがあったんですがね」
刑事が言った。
「何か判ったんですか」
「いや、浦辺さんの件についてどうこうって訳じゃあ無いんですがね。ただ、その携帯電話なんですが」
「携帯?」
「それ、発見されたときは電池が切れてたんでね、こちらで充電して調べさせて貰ったんです。ですがね、それ、電話帳に何も登録されてないんですよ。通話記録も皆無でして」
「それはどういう――」
「買ったばかりにしては細かい傷も付いてますしね、暫く使ってらしたと思うんですがね」
「浦辺が電話帳を消したということでしょうか?」
「消したんでしょうかね。まあ、そうかもしれませんし、最初から入っていなかったかもしれません。何か、お心当たりは」
「……どうなんでしょう。ちょっと何とも言えないです」
「まあ、そうでしょうね。浦辺さんにも何か都合がおありだったでしょうし。……いや、つまらないことを言いました。別に、浦辺さんの死因に不審な点があるとかいう事ではありませんのでね、気になさらないでください。本当に大したことじゃあないんで。いや今日はわざわざご足労頂いて、ありがとうございました」


警察署を出たその足で、私は浦辺の部屋にやってきている。
殺風景な部屋である。
決して狭くはない。駅から徒歩十分程の雑居ビル、その四階の一室である。
葬儀の準備の時にも一度入ったが、やはり驚くほど物が無い。
生活する上での最低限の物しか置いていないようだ。
狭くない分、却って隙間が目立ってしまう。
こんな寒々しい部屋で、浦辺は二年も引き篭もっていたというのか。


それにしても、浦辺の携帯電話である。
冒頭に述べたとおり、これが無性に気になっている。
正確に言えば、刑事の言葉が気になっているのかもしれない。
確かにあの刑事の言うとおり、アドレス帳には一件も登録されていない。
そういえば一緒に渡された手帳、あれに私の連絡先が書いてあったという。
思い返すと三年前に偶々会った時、連絡先を伝えていたような気がする。
そもそも、浦辺は携帯電話のアドレス帳を使っていたのかどうか。
電話やメールを使う頻度が低いならば、アドレス帳に登録せずにいることだって考えられる。
――それならば、私以外の連絡先も手帳に書かれているのではないか。
だが。
手帳には、私以外の電話番号も住所も記されてはいなかった。
警察から私に連絡が来たのも当然である。
しかしなぜだろうか。
なぜ、浦辺はそこまで他人との交流を断っていたのか。


もう一度携帯電話を見る。
所謂、スマートフォン。殆ど使わないような人間が持つにしては、機能が多すぎる代物だ。
浦辺は確かに、これを使っていたに違いない。
しかし人との交流を断っていたという彼である。
電話やメールは殆ど使っていないとなれば、インターネットだろうか。
しかし、ブラウザには殆ど何も登録されていない。掲示板やツイッターを利用していたならば、ブックマークくらいしてあるだろうが、何もない。
引き篭もっていたのであれば、カメラも使い処がないだろう。
一体何に使っていたというのか。


そうやって弄っているうちに、見慣れぬアイコンがあることに気が付いた。
扉の形をしたアイコン。試しに起動してみる。
何かのアプリケーションのようだった。しかし見たことがない。
しばし何かを読み込んだ後、そのアプリケーションは正常に動き出した。
と思うと、画面が急に真っ暗になった。数秒待ったが変化がない。
(あれ?)
首を捻りながら持ち替えると、画面に部屋の様子が映し出された。
(あ、カメラか)
どうやら、カメラの映像をリアルタイムで見せているらしい。カメラを私の指が覆っていたので真っ暗だったのだ。
しかし、カメラで撮った映像をどうするためのアプリケーションなのだろうか。疑問に思いながらあちこち向きを変えて眺めるうち、奇妙なことに気が付いた。
実際の部屋の様子と、画面の映像が微妙に違っているのである。
例えばテーブル。実際は簡素なものが部屋の中央にぽつんと置かれているだけで、その上には何も置かれていないのだが、画面の中ではそうではない。白いテーブルクロスが掛けられ、置かれた花瓶には花が活けてある。
あるいは壁。実際には白い壁紙の他に目立った物はないのだが、やはり画面の中では違う。二枚ほど油彩の額が架けられており、別の面には品のいいタペストリーなども吊るされているのだ。
そんな調子で、実際にはひたすら物が少なく殺風景なこの部屋が、携帯の画面を通すと全く違った、上品で華やかな住まいに見えるのである。
――何だこれは。
部屋を飾りつけるアプリケーションということなのだろうか。
拡張現実。現実の風景に、文章や画像を添付する技術。
しかし、浦辺は何が望みでこんなアプリケーションを使っていたのか。単なる遊びだろうか。
何やら腑に落ちず、そのまま画面の中の部屋を見ている処で。
目の前を、何かが横切った。
部屋の中には私一人しかいないはずだ。
「えっ?」
思わず声を上げてしまったが、やはり見回した部屋の中には私しかいない。
そして画面に視線を戻して、横切ったものの正体に気が付いた。
実際に何かがいるわけではなくて、目の前を横切ったのは画面の中だけのことだったのである。
そして横切った「それ」は、今は画面の奥にいた。
若い女だった。
エプロンを着けて、流し台の前に立っている。洗い物か何かをしているようだ。
生々しく動いている。遠目には、映像だけの存在とは思えない。
(――これか)
直感した。
部屋の飾り付けがこのアプリケーションの主な機能ではないのだ。
この女と一緒に、浦辺はここで過ごしていたのか。
その生活に頭の先まで浸かっていたから、他人との交流など必要としなかったのか。
警察でこの携帯電話を調べても、何も判らなかったわけである。これは、この部屋で使わないと意味がないのだ。
どういう経緯で浦辺がそんなことを始めたのかは判らない。
このアプリケーションも、どこが出処だろうか。浦辺が作ったのかも知れないし、私が知らないだけでもう、それなりに流通している代物なのかもしれない。


私はしばしの間そのまま眺めていたが、やがて女をもっと近くで見てみたくなった。
画面を女から逸らさないように、ゆっくりと近づいてみる。
あと五歩くらいまで近づいたときだった。
女はこちらに気が付いたような素振りを見せ。
顔だけ振り向いて。
にっこりと。
嬉しそうに微笑んだ。
右に泣き黒子のある、美しい女だった。
――おかえりなさい。
女の口が、そう動いた気がした。
ぞくりと背筋に震えが走った。恐怖ではない。
奇妙な安らぎと高揚があった。
なぜ、私はこんなに――悦んでいるのだ。
脳裏に浦辺の顔が浮かんだ。
今の笑顔は浦辺に向けられたものだ。
あんな笑顔を毎日向けられたなら、確かに他人などどうでもよくなってしまうだろう。
画面の中だけとはいえ、自分だけに向けられるあの笑顔。
浦辺はその世界に踏み込んで、戻ってこなくなってしまったのだ。
最高に都合のよい、浦辺だけの楽園。
画面の向こうに、それがあるのだ。


そんなことを考えていると、画面の下の方に動くものが見えた。
視界をずらしてそれを追う。
女の足元にすがり付いたそれは、幼い子供だった。
――子供までいるのか。
無邪気にこちらを見上げるその顔は。
女の顔立ちにも似ていたし――浦辺にも似ていた。
若く美しい妻と、愛らしい子供。
浦辺はそんなもの達に囲まれて、この世を去ったのだ。
それはそれで、幸福だったのかもしれなかった。


私は携帯電話の電源をすぐに切って、足早に浦辺の部屋を出た。
それから業者に連絡して、部屋の中の一切の物を処分することに決めた。
浦辺の携帯も、すぐに販売店に持って行った。
あのアプリケーションを誰が作ったかなんて、どうでもいい。
あの家族は浦辺のモノだ。他の誰にとっても、必要などない。
最早誰の目にも映ることなく、無かった事になればいい。
そう思った。
そして、その通りになった。






――だから以下の話は蛇足であって、浦辺の件とは何の関係もない。


浦辺が住んでいたビルは数年後老朽化のために取り壊されて、改めて立派な新しいビルが建った。
その中には今度は店舗やオフィスが入って、住居として使う者は誰もいない。
最近、そのビルに幽霊が出るという噂が立っている。
深夜、警備システムに反応がある。
侵入者かと思って警備員が行ってみると誰も見つからないし、鍵も閉まったまま。
そんなことが起きるのは、決まって四階のオフィスだという。


同じオフィスで残業をしていたある人は、こんな体験をしている。
深夜まで一人で残業をして、少し休憩しようと立ち上がった。
そして何となく窓の方を見て、違和感を持った。
オフィスには自分一人しか残っていない筈なのに、ガラスには二人映っている。
自分、そしてもう一人は若い女が妙にはっきり映っている。
泣き黒子が印象的な美人が、エプロンを着けていたという。
女はガラスに映った部屋を横切って、壁の中に吸い込まれるように見えなくなったという。


また、時折このオフィスでは電話口の相手から妙な事を言われることがある。
「随分、賑やかですね」
しかしオフィスの中は特に大声で話をしている者などいない。
相手に詳しく話を聞いてみると、決まって同じ答えが返ってくる。
電話口から、楽しそうに団欒する一家の声が聞こえてくるという。