北海道のある動物園でのこと。
その年は1頭のアムール虎が3匹の子を生んだが、明らかにその内の1匹は他の2匹と異質だった。
なんと言っても大きい。
母親も平均より大柄な個体だったので、小さい2頭の体重も平均よりは幾分多目ではあったが、更にそれより4割ほど多かった。見た目もひと回り以上大きい。
当然四肢も太く力強く、成長して後の巨体を予感させた。
どうも単なる個体差であるという程度をいささか超えているので、飼育員は獣医や研究者に意見を仰いだが、結局のところ「突然変異」という結論になった。
要するに、よくわからないという事だ。
しかし標準より大きいとは言っても虎の赤子には変わりない。
動物園では成体になるまで様子を見てみようということになった。
このことは地元新聞が1度取り上げたくらいだった。
成長するに従い、その特徴が益々顕著になると同時に、隠されていた性質もまた明らかになっていった。
体が大きい分餌の量も兄弟とは段違いで、よく食べそれだけ大きくなった。
兄弟が両親と同じ大きさに育った頃には、彼はその二倍近くの体重と5割増しほどの体長を誇っていた。
形態上にも大きな特徴が現れた。
大きくなるにつれ、爪は長く鋭く伸び、犬歯は剣のように口からはみ出したのだ。
それは正しく古代の剣歯虎の再現とも言うべき姿であった。
巨体と怪力に沿うように気性も荒く、誕生時より世話をしている飼育員すらも万全の注意を払って接しなければならなくなっていた。
この頃になると動物園の方でも幾分持て余し気味となる。
しかし個体としては随分珍しいものでもあるので、徐々に注目されるようにもなっていた。
動物園としては今更手放す気にもならなかった。
事件が起こったのは冬の初めのことである。
大雪が降った日、閉園間近の夕暮れ時に突如暴れ始めた彼は、数度鉄格子に体当たりしたかと思うと、怪力によってひしゃげた隙間から悠々と外に出た。
慌てて麻酔銃を手に近寄った職員4人を次々に牙と爪の餌食にすると、まだちらほら残っていた観客を跳ね飛ばしながら園外に逃げ出した。
虎は千里を走るとの例え通り、驚くことにその後数時間休むことなく雪中70kmを駆け抜け、その晩のうちに雪山へと逃げ込んだ。
動物園および逃走経路における被害は死者5名、重軽傷者合わせて6名という惨事であった。
被害者の遺族や関係者及び近隣の市民は悲嘆と恐怖により動物園並びに虎に長距離の逃亡を許した警察を非難した。
虎誕生からの一連は全国に報じられ、最早ことは北海道だけの問題ではなくなっていた。
当然道警並びに北海道庁も出来得るならばすぐにでも虎を捕獲または射殺してしまいたかったが、雪山は天然の要塞の如く立ちはだかった。
雪深い山の中、鉄砲の威力を考えても自在に駆け回れる虎の方が圧倒的に有利だったのだ。
しかし世論の手前何もせずに雪解けを待つわけにはいかない。
警察と猟友会の共同で大規模な討伐隊が組まれたが、並外れた力のみならず追撃を巧みにかわす狡猾さも備えた虎に対し、何の効果もあげることはできなかった。