猫島

Eさんの出身は岡山の海辺で、海岸からは小島がいくつも見える。
その中のひとつが猫島と呼ばれている。地図に書かれている正式な地名ではないのだが、地元ではその名前でも通じる。
ところがこの島には猫は一匹もいないらしい。差し渡し百メートル程度の細長い無人島で、犬猫くらいの大きさの動物がいれば海からすぐ見えるはずなのだが、誰もその島で猫を見たことがない。
島の形が猫に似ているわけでもない。どちらかといえば寝転んだ人の姿のように見える。
それではなぜ猫島と呼ばれているのかというと、この島に渡って過ごしていると猫の鳴き声が聞こえてくるからだという。
この島の周りは岩礁があってよく釣れるということが近くの住民の間で知られていて、岸からも近いので手漕ぎの舟でもすぐ渡れる。
Eさんも貸しボートで猫島まで行って釣りをしたことが何度かある。やはり猫の声が聞こえたという。ボートを降りて岩場で釣っていると、背後から猫の鳴き声が聞こえた。鳥の声などではなく、確かに猫の声だった。
しかし見回してみても猫の姿はない。それでも断続的に猫の声が聞こえる。声の出処がわからない。近寄ってくるでもなく、一箇所に留まるのでもなく、次第に位置を変えながら何度も声がした。風の音が岩の隙間を抜けて猫の声に聞こえるとか、そういう様子ではなかった。
しばらく聞いていると慣れてくるので、そのまま釣りをしてから帰ったのだという。
しかしこの島に夜に行こうという者はほとんどいない。夜は猫の声どころではない色々なことが起きるからだという。
高校生のとき、Eさんの同級生のR君が週末に猫島で夜釣りをすると言い出した。もちろんEさんも他の友人たちも止めた。あそこは夜はダメだって。本当にヤバいって聞くぞ。
しかし止めているほうも実際に夜に行ったことはないので、なぜダメなのかは伝聞でしかない。
結局R君は忠告をまともに聞かずに猫島で夜釣りをしたらしい。
一人で行ったようなので本当に行ったかどうかはわからない。その夜にどんなことがあったのかもわからない。
というのもR君は翌週から学校を欠席し続け、やがてそのまま退学してしまったからだ。理由は療養のためだという。


成人してから一度だけ、EさんはR君に会ったことがある。大阪で就職したEさんが休みに故郷に帰ったときのことだ。
町を歩いていると向こうから同じくらいの年格好の男が歩いてくる。見覚えがあるなと思えばR君だった。
声をかけるとR君も気づいたようで笑顔を見せた。高校時代に比べると痩せてはいたが、笑い方は同じだった。
最近はどうしてる、と尋ねるとR君は笑顔のまま言った。島で釣りしとるわ。
どの島で、とは聞けないまま別れて、それ以来会っていないという。