黒板

美容師のKさんが以前勤めていた店でのこと。
その日最後のお客さんが帰り、店長と二人で後片付けをしているとどうも右肩が痛い。腕を使う仕事だから痛くなるのはしょっちゅうなのだが、このときはいつになく重く感じた。
整体にでも行ったほうがいいかな、と右腕の付け根を回しながら、ふと視線を上げると店内の様子が変わっている。
美容室だから壁に鏡が並んでいる。その鏡が、全部真っ黒になっている。まるで黒板だ。たった今までは普通の鏡だったはずなのに。
えっ何だこれ、と手を伸ばしたところで背中に衝撃を感じた。
はっとして振り向くと店長が箒を持っている。あれで背中を叩かれたようだ。急に何をするのか。
――いや、K君の様子がおかしかったから咄嗟に。ところで身体に変わったところない? その、肩とか。
店長はそんなことを言う。
言われてみると、先程痛かった右肩が軽い。背中を叩かれた拍子に治ったのか?
様子がおかしかったって、俺、どんな風におかしかったんです?
そう尋ねると店長は少し口ごもりながら言う。今日はとりあえず早く上がろう。さっきのことはまた後で。


実際に店長がこのときのことを教えてくれたのは数日後のことだ。
店長の話では、あのときKさんが急に黙り込んで鏡の方を見ながら動きを止めたのだという。
話しかけても反応がない。そのうちにゆっくり鏡の方に手を伸ばしだした。
何かおかしい。そう思った店長は掃除のために持っていた箒でKさんの背中を叩いた。するとKさんは正気に戻ったのだという。
それにしても店長はあのとき、肩がどうのと言っていた。肩に何か変わったところがあったのだろうか。
尋ねてみると、店長は明らかに言いづらそうな様子だ。いや、確かに肩について言ったけどさ。俺も疲れてたんだよ。
そんなふうに誤魔化されて、本当のところは教えてくれなかった。