残照

谷の外は風がつよいです。
今まで住んでいた村は谷底にあるおかげであまり風が吹きこまない場所でしたが、もうわたしは戻れない。これからはこの風のつよい、何もないところで暮してゆかねばならないのでしょう。すぐに死んでしまうかもしれない。


わたしが村を出たのは、病気のせいです。
わたしの病気ではない。村で流行った病気です。何人も死んでいます。
最初に病気で死んだのは父さんと母さんでした。だから病気を持ちこんだのは父さん母さんだということになりました。
わたし自身は病気にはかかっていないけれど、村長が、病気を持ちこんだ者の子は村に置いておけない、と言いました。
他の人たちもわたしのことを邪魔なもののように見ます。わたしがあこがれていたあの人もやっぱりそんな目をするので、悲しくなりました。
わたしが村を出れば、病気の人もよくなるだろうか。よくなればいいと思います。


谷の外はとても明るい。村には昼間もあまり光が届きません。まぶしいけれど、何だかうれしい。
谷を出て少し離れてから、一度だけふりかえってみました。村を外からながめるのはそのときが初めてでした。外から見てみれば、大きながけのほんの小さな、すき間のようなさけ目が今まで住んでいた谷でした。
あんな狭いところでわたしも、父さんと母さんも生きていたんだ。あのえらそうな村長も、あこがれていたあの人も、みんなあんなところで。
そう思うと何だか不思議でした。さびしいような、楽しいような。
わるい気持ちではなかった。


谷の外は風がつよいです。
まずは風をよけられるところを探さなければなりません。こんな寒いところではすぐに凍えてしまう。布を頭からかぶって、ひたすら歩きます。どちらに行ったらいいかはわからない。ただとにかく歩きました。岩山はいくつもあるけれど、風や雨をふせげるような洞窟なんかは一つも見つかりません。
どこまで行っても岩と砂ばかりで、ほかの人にも会いません。やっぱり村の外には誰も住んでいないのかと思いました。
でも、昔はもっとたくさんの人があちこちに住んでいたと小さな頃に父さんから聞きました。その人たちはどこへ行ってしまったんだろう。どんな人たちだったんだろう。
足が痛くなりました。こんなに長い間歩いたのは初めてです。冷たい風のせいでのども痛い。鼻も冷たい。
日はもうすぐ沈みます。日が沈めば急に寒くなる。それまでに寝られるところを見つけなければなりません。
大きな岩山をぐるっと回りこんだところで、変わったものを見つけました。白くて尖ったものが、向こうの岩山の上に立っています。
遠いのでそれが何なのかわかりませんが、大きいもののようです。気になったので、そこまで行ってみることにしました。


たどりついた時にはもう暗くなっていました。
それは何かの建物でした。岩山の下から見上げるととても大きい。白くて表面がなめらかで、たまごのようだと思いました。
その下から煙があがっている。人がいるのだろうか。
もっと近づいてみると、煙はたき火からあがっていて、たき火のそばには男の人がひとり座っています。近づいてあいさつすると、男の人はこちらを見ました。
ひげと髪の毛の長い、おじいさんです。男の人は黙って温かいお湯をくれました。とても温まります。
お湯を飲みながら自分のことを話しました。今まで住んでいた谷のこと。そこを追い出されたこと。歩いているうちにここを見つけたこと。
今夜はどうかここで寝させてくれないか、とお願いしてみました。男の人は少ししてから、黙ったままうなずいてくれました。
それから男の人は干した魚を二つくれました。この近くに魚がとれる川でもあるのでしょうか。
魚を食べるのは久しぶりです。村ではほんの少しの野菜や芋ばかり食べていました。たまごはめったに食べられませんでした。


魚を食べてから少しして、男の人が立ち上がりました。
手招きするので後をついていくと、男の人はランプを持って白い建物の中に入っていきます。
離れて見たときは建物の表面はとてもなめらかに見えたけれど、近寄ってみるとところどころはがれて、ひびだらけです。とても古いもののようでした。
男の人はランプの灯りを頼りに、何かの機械をいじっています。
やがて男の人は、初めて口を開きました。上にゆこう、と言います。
かすれてはいるけれど、年取った人の声ではありません。ひげが伸びているけれど、意外に若い人なのかもしれません。
ずっと人に会っていなかったから声がすぐには出なかった、と男の人は言いました。


それから男の人の後について長い階段を上ってゆきました。
建物のいちばん上は明るかった。大きな機械があって、それが唸り声をたてながら、ぐるぐる回っていました。
それだけではない、回っている部分は昼の太陽より明るく光っている。こんなにつよい光は村では見たことがありませんでした。
とてもまっすぐ見ていられません。
男の人は窓の外を見ながら話してくれました。この建物は灯台といって海に浮かぶ船に光を届けるためのものだと。海というのは大きな水たまりのようなもので、船というのは海の乗り物だそうです。
この灯台が使われていた大昔にはこの岩山の下は見渡す限りの海だったと男の人は言います。そんなにたくさんの水は見たことがありません。
もしそれが本当なら、なぜ今はそれがなくなってしまったのだろう。それはその頃より寒くなったからだそうです。寒くなると水がなくなってしまうのでしょうか。
男の人はお父さんから灯台を受けついだと言います。海や船の話は、その時教えてもらったらしい。そのお父さんも、おじいさんから受けついで、ずっと灯台を守ってきたと言います。
久しぶりに人に会ったから灯台を動かしたくなった、と男の人は言いました。動かすための燃料はもう残り少ないらしい。機械のことはわたしにはよくわかりません。
そんな大事なものを今使ってしまっていいのでしょうか。そう聞くと、男の人はいいんだと言いました。


外に出て、光の先を見てみました。ぐるぐる回る光は、塔を中心にまわりを照らします。でも光は夜の暗がりに吸い込まれて、何も見えません。
月がないので空には星がたくさん。谷にいたときには空がせまかったので、こんなにたくさんの星は見たことがない。
地上は暗いです。遠くから見れば、この塔の光も星のように見えるのだろうか、と思いました。
それにしても、塔の上は下よりもっと風がつよい。思わず首をすくめます。
後ろに立っていた男の人が静かに抱きついてきました。少しびっくりしましたが、暖かい。たぶん男の人も、さびしかったのだと思う。小さい頃に母さんに抱きついたことを急に思い出しました。わたしも男の人の腕に手をかけて、ぎゅっとします。


そうして二人とも黙ったまま、遠くに伸びる光をずっと眺めていました。