雛人形

祖父が食事を取らなくなったのは、祖母が亡くなった六年前からのことである。
両親や親戚も最初の頃は何とか食事をしてもらおうと言葉を尽くして説得していたが、結局祖父が折れることはなく、今では皆諦めてしまった。
おじいちゃん死んじゃうの、と私が聞くと、祖父はけろりとした顔をしてそのうちね、と答えた。
何で食べないの、と聞くと、もう別に食べなくてもいいんじゃないかなと思ってね、と言う。お前やお前のお父さんお母さんが元気に食べてくれるなら、おじいちゃんはもう食べなくてもいいんじゃないかって思ったんだよ。
おばあちゃんが死んじゃったからそう思ったの、と聞くと、うーんそれもひとつのきっかけだけど、それだけでもないよ、何となくさと言う。
何となく。それでは私も将来、祖父の歳になったら何となく食べるのをやめて、この世からいなくなりたいと思うようになるのだろうか。そんなの想像もつかない。
今では外出すらしなくなった祖父は、一日中仏壇の前でじっと座っている。この間、気になって仏壇の前の祖父をしばらく眺めてみたが、三十分以上も微動だにしていなかった。まるで置物だ。
誰か友達とかに会いに行ってみれば、とわたしが言うと、どうせ会いたい人ももういないし、いいんだ、と祖父は言う。友達もみんないなくなっちゃったしね。祖父は隙間風のような声で笑った。
水すら飲もうとしない祖父はもうほとんど干からびてしまい、目方も減る一方で、六年前に比べるとずっと少なくなってしまった。もう枯れ枝の親戚のような外見で、風が吹いたら飛んでいきそうなくらいだ。だから外に出ようとしないのかもしれない。
このまま小さくなってゆくと、あと一年経たないうちにはすっかり消えてなくなってしまうのではないか。
祖父が消えてなくなる瞬間は果たしてどうなるのだろうか。
どんどん小さくなっていった祖父は、そのまま見えなくなるほどに小さくなっていって、それからどうなるのだろう。
部屋の埃よりも小さくなって、見えなくなってからもひたすら小さくなり続けて――どこまで祖父は、祖父であり続けるのだろう。
どこまでの大きさならばまだ祖父で、どの大きさ以下からは祖父でないものになるのだろう。
そんなことを祖父に言ってみると、祖父も少し考えて、それはわからんなあ、今まで考えなかったと言う。
そのうち本当にそうなったらわかるだろうから、そうしたらお前に教えてあげよう。
そんなとぼけたことを言うので、無理だよ、そうなったらもうおじいちゃんじゃなくなってるんだからと私が返すと、祖父はそれもそうかと言ってしばらくぶりに声を上げて笑った。かさかさいうその笑い声を聞いていると、私も何だかおかしくなって笑った。
笑い終わった時には祖父はまた少し縮んで、雛人形くらいの大きさになっていた。