浮くもの

十五年ほど前のこと、Kさんは大学の夏休みに友人たちと海水浴場へ遊びに行った。
天気も良く風も穏やか、絶好の海水浴日和ではあったというが、もう九月に入っていたため人出は少なかった。
流石に盆を過ぎたらクラゲも多いだろうということで誰も海に入ろうとする者はいなかったが、貸しボートがあるというので折角だから乗ろうということになった。
ボートに四人乗って交代で漕ぎながらゆっくり海面を移動したが、思った以上に快適で楽しい。
ボートの上から見回した限りでは水中に予想したほどクラゲも見えないようなので、調子に乗ったKさんはそのまま水中に飛び込んでみた。
しかし水中で目を開けてみると上から見るよりよっぽどクラゲの数が多く、周りじゅう半透明のふわふわしたものが浮いている。
これはかなわないと浮き上がり、ボートのへりに手をかけようとした時、すぐそばを人の頭が通り過ぎていくのが見えた。
おや、と目を向けると小学生くらいだろうか、坊主頭の男の子の横顔が水面の上をすいすいと進んでいく。
顔だけ出して泳いでいるようだが、Kさんには及びもつかないほど速く、ほとんど波も立てず滑るような泳ぎっぷりだった。
見事なものだ、地元の子かな?と思ったが、何しろ水中にはこれだけのクラゲがいる。
――なあ君、ボートに一緒に乗ってく?クラゲこんなにいたら泳ぐの大変やろ。
Kさんはボートに上がってから男の子の後ろから声をかけたが、もう距離が開いてしまって聞こえなかったのか、反応がないまま後頭部がどんどん遠ざかっていく。
「もう行くぞ」
友人たちはなぜか緊張した様子でオールを漕ぎ始めた。妙に慌てている。
ん?なんかあった?
Kさんが聞くと、陸に上がってから話す、とだけ言われた。
沖の方を振り向くと先ほどの男の子の姿はもう見えなかった。
その後は桟橋でボートを降りるまで誰も口を開かない。
それで結局なんだったん?と聞くと、さっきお前海で見た子に声かけてたやろ、と言う。
「あの子な、ボートの上から見るとな、首から下がなかったんや」
……は?
「お前は水に浮いとったから水面から上しか見えてなかったやろうけど、ボートから見下ろしてたらな、よく見えた。水面の下はなんもなかった。首だけ浮いたままスーッ動いとったんや。お前、あんなもんに声かけて、そのまま通りすぎてったから良かったものの、振り向いてこっち来てたらどうなっとったかわからんぞ」
笑えない冗談言うなよ、と返したが、友人たちは揃って青ざめた顔をしている。誰も笑っていない。
もしかして本当に……?と急に恐ろしくなったのだという。