祖父の事故

Eさんの祖父は車の運転が荒い人で、一般道でも平気で八〇キロで走ったり、前の車を煽ったり、交差点で対向の直進車より先に右折したりとやりたい放題だった。
家族も何度もやめさせようとしたのだが、捕まるようなことはしないから大丈夫だと聞く耳を持たない。
いつか大変なことになると心配していると案の定、Eさんが中学生の時に大きな事故を起こした。
後でEさんが見せてもらった事故現場の写真では、祖父のワゴンが逆立ちしていた。スピードを出しすぎてカーブを曲がりきれず、スリップしてガードレールに衝突した挙げ句に横転して逆立ちしたらしい。
幸い他の人を巻き込むようなことはなく、祖父も病院に担ぎ込まれたものの命に別状はなく、何箇所かの骨にひびが入った程度で済んだ。
祖父はこれでようやく懲りたのか、退院してからもハンドルを握ろうとはせず、結局翌年に免許を返納した。それでとりあえず家族も安心したのだが、少し気になるところもあった。
退院以来、祖父は車に乗ると挙動不審なところを見せるようになった。しきりに窓の外を窺うのだ。走っている間、始終横を向いたり後ろを振り返ったりしてじっとしない。
あれだけの事故を起こしたのだから、自分で運転しなくても車に乗ること自体落ち着かないのだろうと、家族は温かく見守ろうと話し合った。
ところが単に事故のショックが尾を引いていたのではないとEさんが知ったのは、数年後のことだ。
ちょっとした会話のはずみで、Eさんが祖父に事故について聞いたことがあった。
たまたま自宅に他の家族はおらず、リビングに祖父と二人きり。その状況のおかげか、祖父は少し黙りこんでから、父ちゃんと母ちゃんには言うなよと前置きして語り始めた。
あの日、祖父はいつものように車を運転していた。すると突然、スピーカーからノイズが漏れてきた。
カーステレオはスイッチを入れていない。ボタンを押してみたり、音量を上げ下げしてみたりしたもののノイズは同じ大きさで続いている。故障だろうか。
「……って……さあ……痛いから……」
ノイズには途切れ途切れに言葉が交じるが、断片的で話の内容はわからない。若い男のものらしい声だ。同時に救急車のサイレンらしき音も聞こえる。
聞いていて気持ちが悪い。一旦停まってエンジンを切ればノイズも止むだろうか。
そう思った祖父はミラーで後方を確認した。
すると十メートルほど後ろに人が立っているのが見えた。何かがおかしかった。
こちらは時速七〇キロ近くで走っていて、周囲の風景も後方に流れていくのにその人は大きさが変わらない。
なんでだ、と思いながらもう少し進んで、もう一度ミラーを見た。やはりいる。
ついてきている。
どうやっているのかわからないが、直立した姿勢のままこちらと同じ速さで後ろをついてくる。
追いつかれるとまずい、という考えが胸をよぎった。
必死にアクセルを踏んで、その途端にひどい衝撃ではっと我に返ると車がひっくり返っていた。
車から助け出されてみるとそこはノイズを聞いた場所からかなり離れた場所で、どこをどう走ったのか途中が記憶にないのだという。
じいちゃん、それがまた出てくるのを心配してるの?
そう尋ねたEさんに、祖父は黙って頷いた。


運転をやめたせいなのかそれとも他に原因があったのか、祖父はその後ずるずると砂山が崩れていくように認知症が進み、それに伴って体力も衰えていった。
そして事故から四年後に亡くなったという。