月の娘

 人類が宇宙に移民を開始して二世紀。人類史上最悪と思しきテロルは月で起こされた。
 テロルとしてはごくありふれた経緯でそれは起こった。もっとも、大抵のテロルが起こる経緯は似たようなものなのかも知れない。ともかく、この場合も当事者なりの理屈、思惑があり、彼らは彼らなりの正義によってそれを遂行したのだろう。その理由についてはここでは語る言葉を持たない。
 しかし彼らは、少々やりすぎた。彼らがとった手段は月面及び月地下施設における、同時爆破だった。だが、彼らが爆破した施設には、月のエネルギープラント関連施設が含まれていた。彼らの思惑には、プラントの運転停止、月都市へのエネルギーの供給不足、という筋書があった。しかし実際には彼らの行為によってエネルギープラントの暴走、他施設の誘爆、といった具合に、考えうる範囲の内で最も悪い方向に事態が進んだ。
 悪いことに、当時月の施設は多くが月面ではなく、地下に建造が進められていた。地球より小さい重力は掘削作業を容易にしたし、有害な太陽の放射線に直接曝される月面より、地下のほうが人類にとって都合がよかったのだ。しかしそれがこの時は悪い方に作用した。月の地下で起こった大規模な爆発は、月の表層を広範囲にわたり吹き飛ばすことになってしまったのだ。月の地球側の表層およそ六百万平方キロメートルは、大小さまざまな破片へと粉砕されてしまった。
 宇宙空間にばら撒かれた月の破片は、すぐに地球の引力により地球へ降り注いだ。もっとも、その殆どは大気圏で流星となって燃え尽きた。しかし、その中で特に大きかった破片――直径十キロメートルを超えるものは三つあった――はいずれも地表に激突、甚大な被害をもたらす事となった。月は古来、女神に例えられた。そんなこともあってか、三つの巨大隕石は、月から放出されたことから「月の娘達」と呼ばれるようになった。
 太平洋、メキシコ湾、そしてユーラシア大陸のほぼ中央にそれぞれ落ちた巨大隕石は、まず巨大な衝撃波で地表をなぎ払った。それだけで人類のおよそ半数、広範囲の森林、無数の野生動物は死に至ったが、その後のことを考えてみれば、ここで生き残ったことが幸運であるとはとても言えない。衝撃波によって巻き上げられた大量の土壌と海水は、成層圏まで舞い上がって地球全域を覆い、すぐに土砂交じりの豪雨となって地上に降り注いだ。これをのちに「月の娘の涙」と呼んだ。この雨はその後半年以上も降り続き、地球の平均気温は急降下した。雨が止んだ後も厚い雲は消えない。この雲が薄くなり、ようやく地上から星が見える程度に落ち着くまでには、それから二十年を待たなければならなかった。
 雲が晴れてからも、空気中の塵の量は以前に比べ遥かに増えたままである。塵は薄い雲となって地球を包み続けた。地上に届く太陽光は大幅に減少し、世界中に長い冬、すなわち氷河期がやってきた。極地の氷は肥大し、それだけ海は水位を下げた。海水の循環が範囲を狭めたことで大気の循環が活発となり、世界中に強い風が吹き荒れた。人類の生活水準、技術水準は大幅に後退し、中世レベルを維持するのが精一杯だった。宇宙との交信も途絶えたままである。月の住人からも連絡は皆無であり、彼らの生存そのものを疑う声も多かった。
 そんな中、人々はあることに気が付いた。この事態の元凶となった月、その姿が以前に比べ遥かに小さくなっていることである。爆破事件により表層が吹き飛んだのはわかるが、それにしても小さすぎる。――それは、月が地球から離れているしるしだった。月はもともと、年に数センチメートルずつ地球から離れてはいた。しかし月の地球側で起こった大規模な爆発は、月の軌道を僅かにずらしてもいたらしい。月は元の何倍もの速さで地球から離れていった。それはあるいは、人類の愚行に月が見切りをつけたようにも思えた。
 しばらくの後、月は完全に地球を公転する軌道を離れ、宇宙の彼方へと消えていった。地球にいた人類にはそれを追う術がなかったので、月の行方は誰も知らない。
 そして更に何世代かを重ね、ようやく地球の寒さも和らいできた頃には、人類は月がどんなものだったのかを完全に忘れていた。生活水準と技術水準が下がり、記録を残すこと自体が困難だったためである。月の存在は僅かに言い伝えにのみ伺えたが、実物が失われているため、それが一体何だったのかがわかる者もまたいない。ただし、大災害と文明の衰退を招いた「月の娘」のことは長く伝えられており、「空から降りてきた娘が災厄と大いなる冬をもたらした」とする伝承は、世界中に残されている。




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降臨賞非応募作品
長すぎた。でも降ってくる女の子は人間じゃない方がサイコーだと思う。