白鷺

田んぼに水をはる前と稲刈りが終わった後には、田おこしという作業をする。
土を耕してやって、雑草が生えるのを防いだり、平らに均したりするのだ。
この作業をしていると、近辺に棲息している鳥、特に白鷺が沢山集まってくる。
田んぼを耕すトラクターの周りに白い鳥が群らがっているのは、私の郷里ではよく見られる光景である。
これは、土の中に住んでいた生物が掘り起こされて地表へ出てくるので、それをエサにする鳥が集まってくるのだ。
そう、思っていたのだが。


小学生の頃のある夕方のことだった。
その日も、いつものように仲のよかった友達二人と下校していた。
途中にある田んぼを通りかかったところで、田おこしするトラクターの周りに白鷺が集まっているのが見えた。
そのトラクターに乗っている人物には見覚えがあった。
アツシの父親である。アツシはクラスメートの一人だ。
ラクターの周りにはそこだけ白鷺が二、三十羽も歩いていて、なんだかアツシの父親は白鷺と凄く仲がいいみたいにも見えた。
だがふとトラクターが止まった瞬間、白鷺は一斉にアツシの父親に飛び掛った。
あっという間にアツシの父親の姿は何枚もの白い翼に遮られてしまって、トラクターの座席には白い塊ができた。
白い塊はせわしなく蠢いて、どう見てもその中心にあるものを啄ばんでいるようにしか見えない。
私たちはあまりの異様な光景に身動きできず、ただ呆然と眺めていることしかできなかった。
それはとても長い時間のように思われたが、実際にはほんの数分間の出来事だったのだと思う。
徐々に白鷺の塊がばらけてきた。
中にいたはずのアツシの父親の姿は、どこにもない。
何羽もの白鷺の胸や首に赤黒い汚れが着いているのを見て、私たちの恐怖は頂点に達した。
私たちは悲鳴を上げ、泣きながら必死に逃げた。
家に帰るとすぐさま布団を被り、心配する家族に何も言えぬままガタガタ震えて夜を明かした。


朝になってから私の家にもアツシの父親が行方不明だという知らせが来た。
昨日の夜、帰りが遅いのでアツシの家族が田んぼに行ってみると、無人のトラクターが田んぼの真ん中に放置してあって、アツシの父親はどこにも姿が見えなかったという。他の行き先に心当たりもないし、一晩待っても現れないので警察と地区自治会に届けたらしい。
いないのは当然だ。食われるところは私たちが見ていたのだから。
私はたまらず、昨日見たことを親に話した。
手がかりかと思って聞いていた両親も、聞き終わってみると子供の作り話かと思ったらしく、本当に見たと主張した私は終いには叱られる始末だった。
それも当然だろう。一般的には白鷺は人を食わないことになっていることくらい、小学生の私でも知っていた。
学校に行ってみると当然アツシは来ておらず、昨日一緒に帰った二人は私同様青い顔をしていた。二人とも、やはり昨日見た話は信じてもらえなかったらしい。


結局アツシの父親は見つからず、アツシはその後色々苦労をして高校を出て、地元の工場に就職をした。
私はといえば、地元の高校を出たあと東京の大学に進学し、卒業後東京の企業に就職した。
白鷺はあれ以来嫌いになった。


先日、久々に帰郷した時、偶々アツシと数年振りに再会した。
なぜか沈んだ調子のアツシに訳を聞いてみると「ついこの間さ、親父が帰ってきたんだ」と言う。
馬鹿な。白鷺に食われるところを見たんだ。生きているはずがない。
そう思ったのだが、口には出さなかった。アツシは続けた。
「親父なあ、いなくなってた間に他所に女を作っていてな。――子供も作ってたんだ。お袋はそれで狂ったみたいになっちまうし、ウチはもう散々だよ。
でさ……お前らさ、確か親父がいなくなった時、鳥に食われたとか何とか言ってたよな」
非難されたように思ってドキッとしたが、アツシは別に非難する意図はなかったらしく、やや黙った後でぽつりと呟いた。

――本当に食われてればよかったのに
と。


それ以来、アツシの父親にばったり会ってしまうのが怖いので郷里には近寄れないでいる。
結局あの日見たものは何だったのか、今となってはさっぱりわからなくなってしまった。
あの日食われたアツシの父親と、帰ってきたというアツシの父親、どちらが本物なのだろうか?
白鷺は今でも嫌いなままだ。



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「食人賞」への応募作です。
食人といえば最近読んだ安永知澄×河合克夫「わたしたちの好きなもの」(ビームコミックス『わたしたちの好きなもの』収録)が実にいい食人物語でした。一人娘が好きになった男を父親が次々と食べていく話です。
「狐面賞」と「京都賞」も応募しようと思って書きかけのままでした。そちらも何とか形にできるといいな。