あぜ道

Tさんの日課はランニングで、毎日夜の入浴前に近所を一回りして汗をかくことにしていた。
ある日、仕事が長引いて帰宅するのが遅れ、走り始めるのもいつもより遅い時刻になった。
しかし走らないことには決まりが悪いので、少しコースを変更して道のりを短くすることにした。
いつもはあまり通らない道ではあったが、田んぼの中の一本道で見通しは良い。
街灯は少ないものの、満月に近い月の夜でそれほど暗くは感じなかった。
気持よく走っていたTさんだったが、ふと近くで咳払いが聞こえたように思った。
もう夜の十二時近い時刻である。
こんな時間に誰かいるのか?
走りながら見回したが誰の姿も見当たらない。
気のせいか、とそのまま走り続けたTさんの耳に、今度はボソボソと誰かの話し声が届いた。
「……ない」
「……って……さあ」
「……うん」
やはり近くに誰かがいる。
今度は確信したTさんが立ち止まって声のした方に目を凝らしたが、田んぼが広がるばかりで人の姿はない。
しかし話し声はまだ聞こえていて、何を言っているのかはよく聞き取れないものの、確かに数人が会話しているようだった。
声が聞こえるのに誰の姿も見えないのは薄気味悪い。
早くその場を立ち去ろうと思ったTさんが走り出しながら視線を下に向けたその瞬間、彼は危うく悲鳴を上げそうになるくらい驚いたという。
目の前の田んぼには、畳六枚分くらいはあろうかという巨大な顔が浮き出ていたのである。
Tさんから見て手前に口があり、その向こうにある目は月の光を反射してつやつやしていた。
その半開きになった唇がわずかに動くたび、数人の話し声がTさんに聞こえてくるのである。
一目散にその場を逃げ出したTさんだったが、くぐもった話し声は家に着くまでずっと聞こえてきたという。


全力疾走したせいか、翌日Tさんはひどい筋肉痛になった。