農家のWさんは自分の田んぼ以外に、Kさんの田んぼも請け負って耕作している。
Kさんは江戸時代から続く農家で、広い田畑を持っている。しかし本人が高齢で子供たちも農業を継ぐ気はないため、田畑のほとんどを他の農家に委託するようになっていた。
そのKさんがあるとき足を捻挫した。日常生活はなんとかなるものの、しばらく農作業が難しい。自宅の周囲の小さな水田や畑はKさん自身で世話をしていたので、完治するまでの間はそれらもWさんが面倒を見ることになった。
Kさんが自身で世話をしていた田んぼは林に挟まれた隙間のようなところで、Kさん宅からは歩いて五分程度の距離ではあるが、他の田畑とは離れたところにあった。
形も整理されておらず、歪な三角形をしている。WさんもKさんから頼まれるまでは、そこにそんな田んぼがあるとは知らなかった。
幸い、トラクターが入れるだけの広さと通路があるので農作業の手間はそこまで大きくはなかったが、どうしてこんな林の中に田んぼを作ったのかと不思議ではあった。
その田んぼでこんなことがあったという。
田植えから先はKさんが自分でできそうだというので、Wさんは耕して水を張るところまで請け負った。
トラクターで土を起こし、肥料を入れて水を入れた。水は近くの川からポンプで汲み上げている。
水を汲み上げている間は他の田んぼに行って作業をして、そろそろかなと思って戻ってみるとちょうどいい具合に水が張っている。
これでよしと水を止めると、バシャバシャと水音が立った。音の方を振り向くと、田んぼの中央あたりで水しぶきがしきりに上がっている。
そのあたりで魚が激しく跳ねているのか、あるいは鳥か獣が走り回っているのかといった水しぶきだ。
しかしその水しぶきを立てているらしき生き物の姿が見えない。水深は十センチもないのだから、魚だとしても姿が全く見えないということはありえない。
そもそもあんな大きな水しぶきを立てるくらいの大きな魚が、川と直接繋がっていない田んぼに入ってこられるはずがない。水は確かに川から汲んでいるのだが、水を汲む管の太さは五センチくらいで、小魚くらいしか通れない。
それでは何が水しぶきを立てているのか。生き物でなければ、地面から何かが吹き上げているのだろうか。耕している間はそんな様子はなかったはずだった。
なんだろうなとしばし眺めていると、その水しぶきの中からぬっと、棒のようなものが突き出した。
泥水の中から出たにしては妙に真っ白い棒だった。先が細く枝分かれしているのが見えた。
白い白い、人の腕だった。
Wさんは走ってその場を後にした。
その足でKさんに報告しにいくと、話を聞いたKさんは驚いた様子もなく、ああ見たかと言った。
ああいうものが出ることを知っていたのだろう。自分の田んぼなのだから当然かもしれないが。
見たのなら話してやらないとな、とKさんはあの田んぼの由来を語った。
あの小さな田んぼは元はKさんの持ち物ではなく、昭和の頃まではRという農家の田んぼだったという。R家はK家の隣だった。
Rの家では一族の守り神として、自宅の庭にある小さな祠を拝んでいた。件の田んぼは、その祠に捧げる供米を育てるためのものだったらしい。
ところがRの家では農業を継ぐ者が誰もおらず、平成に入ってから田んぼを全て売り払って他所へ移り住んでいった。
その田んぼのうち何箇所かを譲り受けたのがKさんだという。
譲り受けた当初、Kさんは祠や供米については何も聞かされていなかった。しかし農作業中に何度か奇妙な体験をしたのだという。
Wさんが見たような水しぶきや腕を見たこともあったし、腕ではなく脚が突き出していたこともあった。田んぼの周囲を走る足音だけがぐるぐる回り続けることもあった。
いずれも害があるようなものではなかったという。
R家の祠については後で他の高齢の農家から伝え聞いたが、すでにその時はR家が住んでいたところは空地となって祠は跡形もなかった。
Kさんは考えた。祀る者がいなくなった祠の神様がああやって現れているのではないか。忘れるな、と言っているのではないか、と。
だからKさんは今もあの田んぼで穫れた米の一部を、供米として田んぼの傍に作った小さな祭壇に捧げているのだという。