あとがきにかえて / 記憶の断片が行動を左右することは意外によくある

最後の写真をblogに掲載してから、bachihebi(仮)は長い溜息をついた。
――やっと終わった。
達成感と言える程の感動はない。
写真を一枚撮って掲載するだけの単純な作業である。毎日続けたとは言え、たったの四ヶ月足らず。
そもそも、blogの内容は自分のモノだ。望み通り始めて、望み通り締め括ることができた。それ以上の経過は望むべくもない。
ただ、気楽だったというわけでもない。写真に添える文章が思い浮かばないまま、二時間以上も編集画面を凝視していたことは一度や二度ではない。
それなりに真剣だったのである。途中で止めようとは一度も思わなかった。心配だったのは不測の事態で中断してしまうことであり、自分の意思で止めようとする事は考えられなかった。
何故だろうか。何故、この企画を始めようと思ったのだろうか。
元は、稲の生育を毎日観察したら面白いのではないか、という位の発想だった。
だが果たして、それだけだろうか。どうも違うような気がする。
何か、きっかけになるような事は――あっただろうか。
ここに至って初めて、bachihebiはそれを考える。


脳裏に浮かんだ風景があった。
見渡す限り、稲刈りの終わった田んぼ。
所々に白く見えるのは、虫を啄みに来た白鷺だ。
だが、一番近くに見える白は鳥ではない。
幼い少年が倒れている。
白いシャツ。うつ伏せで動かない。
顔を泥に突っ込んで、力なく伸びた手足も泥に塗れている。


彼は近所に住む同級生だった。名を仮にマサキとしておく。
マサキとbachihebiは仲がよかった。家が近いこともあって、遊ぶ時はいつも一緒だった。
下らない事に熱中した時も、酷い悪戯をしでかした時も。それで怒られたのも一緒。
悪友と言って良い。
マサキとbachihebiは、どちらも農業とは無縁の家に生まれた。
しかし二人が育ったのは、水田地帯の真只中である。同じクラスで農家の子でないのは、二人を含めて片手で数えられるほどだった。
自分が農家の者ではないことに、何とはなしに疎外感を感じていた所はある。二人が仲良くしていたのは、そんな所に密かに共感があったから――なのかも知れなかった。
そんなマサキが亡くなったのは小学五年生の秋だった。
bachihebiにとって初めて体験した、親しい人間の死だった。
今でもその日の事は思い出せる。


偶々その日は家で用事があって、まっすぐ帰宅したbachihebiは外へ遊びに行けなかった。
その時、何を考えていたかまでは覚えていない。
次の日に何をして遊ぼうかとか、そんなことだっただろうか。
夏休み明けの暑い日で、蝉が輪唱する夕方だった。薄暗くなってきた頃――蝉の声にサイレンが交じった。
救急車。
どんどん近づいてきて、停まった。随分近いな、と思った。
救急車が日常生活に登場する事は稀で、それだけに何だか特別なイベントのような気がして、好奇心旺盛な悪ガキbachihebiは大いに興味を引かれたのだが、かと言って見に行くことはできない。外出は禁じられていた。
せめて何か見えないかと覗いた窓から、近所の住人達がぽつぽつと歩いてゆくのが見えた。
野次馬が集まりつつあった。
その時判ったのはそれくらいで、騒ぎの真相を知ったのは夜遅くになってからだった。
マサキが田んぼで倒れていたという。
詳しいことは聞かされなかった。
すぐにマサキの家に行って詳細を聞きたかったが、親に止められてそれはできなかった。
bachihebiにも只ならぬ様子だということは察せられたが、最悪の予想ができるほどの賢さは持ち合わせていなかった。精々「マサキは明日休みかな」程度にしか考えていなかった。
子供だったが、それ以上に莫迦だったのだ。


翌日、確かにマサキは登校してこなかった。
そして、珍しく沈鬱な面持ちをした担任の口から――マサキの死が告げられた。
意味がわからなかった。
昨日、学校であんなに元気だったし。
確かに今、この場にマサキはいないけど。
死んだなんてこと、あるはずないじゃないか。
だって、俺の友達だよ?
まだ小学生だよ?
冗談としても笑えないって。
だが、担任は笑わなかった。


笑っていたのは写真の中のマサキだけで、棺の中のマサキすら、いつに無く取り澄ました顔をしていた。
感じたのは、強烈な違和感だった。
こんなのマサキではない。
お調子者で。
口を開けば大抵、下品な冗談ばかりが飛び出す。
じっとしているのが苦手で。
いつも明るかった。
そんなマサキが、こんな風にじっと寝ていられる筈なんかない。
勿論それがマサキ本人なのだということは理解していたし、受け入れていたつもりだった。
こんなの、どうしても現実感がない。
マサキが死んだということはショックで、酷く悲しいことだったのだが、現実感が薄いためか涙は少しも出なかった。
そして自分が泣けないことが不思議だった。自分はそんなに薄情な人間だったのかと、愕然とした。むしろそっちの方がショックな位だった。


マサキの死は地方紙に小さく載った。テレビは取材に来なかった。
そして調査の結果、彼の死は事故だったと結論付けられた。
田んぼに入って一人で遊んでいたところで泥濘に足を取られて転び、打ち所が悪かったためにそのまま命を落としたということらしい。
bachihebiは現場をその目で確認していないので、それが事実だったのかどうかは知らない。警察の言うことだから間違いは無いのだろうとも思うし、マサキがそんな間抜けな死に方をする筈が無いとも思う。
田んぼに入って遊ぶなど、以前から何度もしていたことなのだ。その時に限ってヘマをするなんて、そんなことがあるだろうか。
しかし。もし本当に事故なのだとしたら。そう考えると背筋が粟立つ思いがした。
あの日、bachihebiが一緒に遊んでいたら。
転んだマサキを、すぐに助け起こすことができていたら。
――結果は違っていたのではないか。
そう考え出すと、夜も眠れなくなった。眠っても悪い夢を見た。
そんな状態は、その後暫く尾を曳いた。


本当の意味でマサキの死を受け入れたのはずっと後になってからのことで、高校生の時だった。
学校の帰り道、稲刈り最中の田んぼを何となく眺めて、突然マサキのことを思い出した。
田んぼでどんな風に死んでいたのだろうか。そんなことをぼんやり考えた。
マサキが命を落とした情景を具体的に想像するのは、その時が初めてだった。無意識のうちに、考えないようにしていたのかも知れなかった。
マサキが死んだのは小学五年生の時だったから、これ位の身長だったか。あの頃に比べれば、自分も背が伸びたな。
そんなことを考えているうちに、不意に悲しくなった。
目頭が痛くなって、涙が音を立てるくらい一気に溢れてきた。
止めようと思っても止まらない。路上だというのに、小さい子供のような泣き方をした。
悲しくて仕方がなかった。もうマサキには会えないのだと――この時初めて納得した。
それまで心の中ではまだ、マサキの死を拒んでいる所があったのだろう。
だからこの時までは、まだbachihebiの無意識の中ではマサキは生きていたのだ。
それが、この時何かの弾みでようやく納得できた。この時マサキは本当に死んだのだ。
先に挙げたマサキの死の情景は、この時bachihebiが想像したものに過ぎない。そもそも実際の現場は見ていない。
だから事実とは違っているだろうし、抽象化されている部分もある。
しかしそれがきっかけでマサキの死を受け入れることができた。
bachihebiにとってはその情景こそが真実と言ってよかった。
それゆえ、田んぼにはどこか死の影が付きまとう。


bachihebiが田んぼに思い当たるのは、この事くらいだった。
今回の企画も、その影響が無いとは言い切れない。
かと言って直接の理由という程でもないのだろう。今まで忘れていたのだから。
心の中のことなんて、はっきり言い切れることのほうが少ないように思う。
そのくらいで丁度いいのだろう。
稲刈りも最盛期を迎え、思えばマサキの命日も近い。
久しぶりにあいつの墓参りに行こうか、とbachihebiは思った。