素振り

大学を卒業するまで実家住まいだったFさんは三年ほど前、就職を機に念願の一人暮らしを始めた。
1DKの狭いアパートだったが、開放感に浸っていた彼にはそれで十分満足な部屋だった。
そうしてその年の冬のことだったという。
夜の十時頃に帰宅したFさんだったが、なぜかドアの鍵が開かない。
鍵は回るものの、開いた手応えもないし、実際開かない。
それまでも時々どちらに回せば開け閉めできるか迷ってしまうことはあったが、それでも両方に回してみればどちらかは開くはずである。
それがどちらに回しても一向に開かないのだ。
壊れたのか?
仕方がないので管理人を呼んできた。
ところが、管理人の目の前で鍵を差し込んで回してみると、今度はカチャリと音がして開いた様子である。
管理人は露骨に迷惑そうな顔をしたが、確かに先程は何度やっても開かなかったのでFさんも納得できなかった。
とにかく開くことは開いたのですぐにドアを開けて入ろうとした時、予想していなかったものが目に入ってきた。
部屋の中に誰かがいて、何かしている。
Fさんが「えっ?」と声を上げると、管理人も部屋を覗きこんでそのままの姿勢で固まってしまった。
部屋の中にいたのは、野球帽を目深に被った少年だった。
少年は部屋の真ん中でバットを振っている。
繰り返し何度も、一心不乱に素振りをしているのである。
六畳間にテレビやカラーボックスが置いてある、狭い部屋である。
泥棒なのか何なのかはともかく、素振りなどされてはたまらない。
呆気に取られてしまったFさんだったが、まずは何としても止めようとドアから足を一歩踏み入れた瞬間、少年がふっと見えなくなった。
消えてしまったとしか思えなかったという。
すぐに部屋に踏み込んだものの、中にはFさん以外誰の姿も無かった。
窓も中から鍵がかかっている。
そこでFさんはふと気が付いたことがあった。
部屋を開けたときは明かりが点いていなかったのに、なぜ少年の姿ははっきり見えたのだろう?
首を傾げながらドアの方を振り向くと、まだ管理人が口をぽかんと開けてぼんやりしていた。
管理人に聞いても、あんなもの今まで見たことはないということだった。


それ以来は特に変わったことは無かったので、Fさんは今でもその部屋に住んでいるという。