Nさんが今のマンションに引越してから半年ほど経った頃だという。
出かける時に玄関ドアを閉めると、いつも決まって洟をすするような音がすることに気がついた。
引越した当初からそういう音がしていたかどうかはわからないが、気がつくと毎日その音を聞いている。
最初はドアの開閉で何かが擦れているのかと思い、開け閉めしながら蝶番やドアクローザのあたりをよく見てみたものの、それらしい音は出ない。
音がするのは決まってその日初めて外に出る時だけだ。後は何度出入りしようと、同様の音は聞こえない。
近くの部屋の住人が洟をすする音が聞こえてくるのだろうかとも思ったが、防音がしっかりしているから廊下には各部屋の音は漏れてこない。
音の原因は不明だが、害があるわけでもないのでそれ以上気にしないことにした。
そんなある日、仕事が休みでNさんは丸一日の間一歩も外へ出なかったことがあった。特に誰かが訪ねてくることもなく、Nさんは部屋に籠もって撮り溜めたテレビ番組や借りてきたDVDを観て過ごした。
翌朝出勤するタイミングで、そういえば昨日はずっと外に出なかったなと気がついた。今日も例の音が聞こえるのだろうか、まさか昨日の分と合わせて二回聞こえるなんてことはないだろうな。
などと半ば面白がる気持ちで外に出ようとしたが、ドアを三十センチほど開けたところで何かに当たった。
あれ、と下を見るとドアの隙間からピンクの靴下を穿いた足の先が見えた。外に人が立っている。
あっすみません、とNさんが謝ったのと同時に足がスッと引っ込み、ドアが抵抗なく開いた。
外に出ながら改めて謝ろうと思ったが廊下には誰の姿もない。ドアの陰にもいない。他に隠れられるところもない。
違和感があった。
隙間から見えた足は靴下だけで、靴を履いていなかった。なぜ靴を履かずにマンションの廊下にいたのか。
ドアが開いた幅からして、ぶつかった人はドアのすぐ前にいたはずだ。ドアはそれなりに厚く、ドアクローザの機能によってゆっくりとしか開かない。
ドアのすぐ傍を通りかかったとしても、開くのに気づいてから避けるのは簡単のはずだ。あの足の主はたまたま通りかかったのではなく、ドアの外にじっと立っていたように思える。見えた足先からするとドアの方を向いて。
そこで何をしていたのか? 一体どこに消えたのか?
それ以来Nさんはドアを開く前に必ずドアスコープで外に人がいないか確認するようになった。因果関係は不明ながら、洟をすする音も聞こえなくなったという。