窓拭き

学生のNさんが暮らす団地の回覧板に、あるとき「不審者が出没しています。戸締まりに気を付けて、何かあったらすぐ110番してください」との注意が書かれていた。
近所の人に話を聞いても具体的に被害があったという話は誰も知らなかったが、念のため家族一同気を付けておこう、ということになった。
それから数日してNさんが学校から帰宅すると、玄関先から見上げた二階の窓を内側から拭いている誰かの腕が見えた。
家の中が暗いのと下から見上げているのとでそれが誰なのかはわからなかったが、恐らく母だろうと思ったNさんはそのまま玄関の把手に手をかけた。
しかし施錠されていて開かない。
――ああ、不審者を用心して二階にいる時は鍵をかけたのか。
Nさんはいつも家の鍵を持ち歩いていたので特に困ることもなく、玄関を開けて家に入った。
靴を脱ぎながら階段の上に向かって「ただいまー」と声をかけると、返ってきた返事はなぜか母の声ではなかった。
「おかえりぃ」
なんだか妙にくぐもった、低い声だ。家族の誰もこんな声ではない。
上にいるのは誰だ?
まさか不審者が家に入ってきた!?
ゾッとしたNさんはもしものために玄関脇の収納から柄の長いモップを取り出すと、それを槍のように構えて階段をゆっくり上がっていった。
跳ね上がる心臓の鼓動を何とか抑えながら二階の部屋をひとつずつ見て回ったが、誰の姿もない。
押し入れやクローゼットまで開けて回っても、鼠一匹見当たらなかった。
――じゃあさっき上から返事したのは誰?窓を拭いてたのは?
そう言えば誰かが拭いていた窓はどうなってた?と改めて見に行くと、他の部屋同様に窓はきっちり施錠されていたが、奇妙なことが一つだけあった。
なぜかカーテンが閉まっている。
先程下から見上げた時には誰かが拭いている腕が見えたのだから、カーテンは間違いなく開いていた。
それが閉まっているのだから、あの後に誰かが閉めたのは確かだ。二階から返事をしたのと同じ誰かかもしれない。
しかし誰が、どうやって?家の二階と一階を繋ぐ通路はNさんが上がってきた階段しかない。
窓から出て行ったのだとすれば施錠されているのはおかしい。
一体今のは何だったんだろう、とNさんがぼんやり考えているうちに、買い物袋を下げた母が帰ってきた。
やっぱりあれはお母さんじゃなかったんだ、と確認したNさんだったが、結局どういうことが起こっていたのかは分からずじまいだったという。