鉢植え

幼い頃から草花が好きだったTさんは一般企業に就職したものの、数年間悩んだ末に決心して退社し、念願の生花店を開いた。
空き店舗も理想通りの立地で見つけることができ、商売もなんとか短期間で軌道に乗せることができた。
しかしひとつだけ、どうしても腑に落ちないことがあった。
発端はある晩のこと。
夜七時、店を閉めてから在庫のチェックをしていた時である。
陳列してある鉢植えの植木鉢が、ひとつ割れているのに気が付いた。
棚の正面から見て、丁度真ん中を縦に亀裂がまっすぐ走っている。
もともと亀裂が入っていたのか、と舌打ちしてその株を別の鉢に植え替えた。
そしてまた別の晩のことである。
Tさんはまた閉店後に割れた鉢を見つけた。
前回と同じ場所である。とはいえ、鉢植え置き場は決まっていたので当然といえば当然ではあった。
まったく同じ位置のような気もしたが、その時は大して気にもせず、別の鉢に植え替えた。
そして三度目。最初に割れた鉢を見付けてから、僅か三週間ほど後のことだった。
またもや閉店後に割れた鉢を見つけたTさんは、そこで初めておかしいと思い始めた。
鉢の割れ方も、位置も、ぴったり同じなのである。一度目のことは流石にそれほど記憶に無いものの、二度目と三度目については確かに同じだった。
しかしなぜなのだろうか。
割れる鉢はひとつだけ。位置は毎度同じ。開店中は割れたことに気が付かない。
誰かのいたずらだとしても、被害がひとつだけなのは意図がわからないし、なんとも気味が悪かった。
どうも位置が限られていることに秘密があるような気がして、それからはその位置には鉢植えではなく切り花を置いてみることにした。
するとその次の日のこと、切り花を入れておいた容器は割れていなかったが、その周りにいつの間にか泥だらけの手形が幾つか付いている。
店内でTさんがこんなに泥だらけの手形を付けたことはない。汚したとしても当然すぐ拭き取っている。
或いはお客さんの誰かが付けた手形かもしれなかったが、Tさんが接客していた限りではそう手を汚していた人は見当たらなかった。
はっきりしたことは何とも言えなかったが、位置が同じなので植木鉢の件と無関係とも言い切れない。
そこでTさんは、今度は少し悪戯心を起こした。
同じ位置に、今度はあるものを置いてみたのである。
そしてその二日後のことだったという。
閉店後に掃除をしていると、店内から「ひっ」とくぐもった声が聞こえた。
誰かお客さんでも来たのかと見回してみるが、シャッターを閉めた後なので誰もいない。
気のせいかと思ったところで、例の位置に置いておいたサボテンの鉢が、少しだけ傾いていることに気が付いた。
鉢植えのサボテンは根が短いので、横から力を加えるとすぐ傾いてしまう。
ということは、誰かがそのサボテンに触ったということか。
もしかすると、今の声はサボテンを触ってしまった誰かが漏らした声だったのではないか。
気配は全く感じられなかったが、そこにいた誰かがサボテンに触れて、刺を味わったのだろうか。


それ以来は奇妙なことは起こらなくなったといい、今もTさんの店は営業を続けている。