泥手形

レストランで働くMさんが夜の十時頃に仕事を終えて帰ろうとしたときのこと。
店の裏の駐車場に駐めてあるMさんの車のボンネットが一箇所、白っぽく汚れているのが街灯に照らされて見えた。
近寄るとそれは手形で、乾いた泥が開いた右手の形にべったりこびりついている。大きさから考えて子どもの仕業のようだ。近所の子どもの悪戯だろうか。
車好きのMさんが給料を貯めて無理をして買った外車である。気分は悪かったが幸いただの泥汚れのようだ。
持っていたペットボトルの水をかけて雑巾で拭くと手形はすぐに落ちたのでMさんはそのまま車に乗り込んで家路についた。
店から十キロほど離れた自宅に着いたMさんは車庫の前に車を停めて降りようとしたが、ドアに手を掛けたところでおかしなものが視界に入った。
運転席のドアガラスに泥で手形がついている。ボンネットについていたのと同じくらいの大きさのものが、ひとつ。
しかしいつの間に?
車に乗った時にはそんなものはなかった。あれば当然気が付いている。
店から家まで寄り道はしていないから、途中で車が停まったのはせいぜい赤信号くらいだ。その隙に手形をつけるなど無理だろうし、そんなことをすればMさんが気付いたはずだった。
運転中にも左右は何度も確認していたが、その時にはこんなものには気が付かなかった。
家に着いて車を停めたその直後に手形がつけられたとしか思えなかった。
だとすればそれをやった奴はどこにいる?
手形をつけた何者かが店から一緒についてきたような気がして、Mさんは後部座席からトランク、車の周りまで見てみたものの誰の姿もない。
一体誰がいつの間に手形をつけた? どうやって?
背筋にじわりと汗が吹き出すのを感じたMさんだったが、すぐに腹も立ってきた。
俺の大事な車に二回も手形なんてもんをつけてくれやがって。誰だか知らねえがふざけるなよ。
車の傍に立ったMさんは、近くにいるかもしれないその誰かに向かって言った。
「おいてめえ、もう一度同じことを俺の車にしやがったらどうなるかわかってんだろうな。汚え手形なんかベタベタつけんじゃねえぞ。次は許さねえからな」
反応はなかった。
ただ、それ以来手形は一度もついていないという。