尺取虫

都内のとある駅でのことだという。
その日Hさんは出張のため、いつもより早い朝六時半に駅に着いた。
毎日出勤ラッシュには人混みでごった返す駅だが、流石にその時刻には人もまだそれほど多くはなかった。
缶コーヒーを飲みながらホームで電車を待っていると、向かいのホームに何やら妙なものがあることに気が付いた。
白い色をした、細長いものが見える。
長さは駐車場の車止めくらいで、太さは大人の腕くらいだろうか。
初めはポリ袋か何かが落ちているのだろうか、と思っていたのだが、それにしては風が吹いても動かない。
あれは何だろうか、とぼんやり眺めていると、突然その白いものが動き出した。
その細長い何かは、中央辺りで折れ曲がっては伸びる、を繰り返してホームを這っている。
まるで大きな尺取虫だった。
その奇妙な動きに呆気にとられたHさんだったが、よく目を凝らして見ているうちに、ようやくそれが何なのかがわかった。
白い尺取虫の頭のあたりに、カエデの葉のように細かく枝分かれした部分が付いている。
――あれは手じゃないか!
尺取虫のように見えたのは、真っ白い腕そのものだった。
肩から手のひらまでが、単独で向かいのホームを這い回っている。
向かい側のホームにも何人か電車を待っている人が立っているのだが、彼らは足元を腕が這っていてもまったく関心がないようだった。
気付いていないのか、或いは見えていないのか。
対して、Hさん側のホームでは他にも気が付いた人がいたようで、にわかにざわつきだした。
と、そこで向かいのホームに電車が入ってきた。
電車が駅を離れた時、あの白い腕もまたいなくなっていた。
消えたのか、隠れたのか。はたまた乗客とともに電車に乗って行ったのか。


この出来事以来、Hさんはどこの駅でも足元をよく見回す癖がついたという。