武士坂

Kさんの住む街に落ち武者が出るという噂の坂がある。近隣では武士坂と呼ばれているが、これは俗称で正式な名前は特にない。住宅街の中にある緩い勾配の坂だ。
幽霊か不審人物か正体は定かでないが、とにかくそこで鎧を着た落ち武者に出くわしたという話をKさんは複数の人から実体験として聞かされたという。
Kさん自身は噂の落ち武者とやらを一度も見たことはないが、この坂で奇妙なものを見たことがある。
夕方にここを友人と二人で通りかかったときのこと、坂に沿って並ぶ家のひとつの玄関から棒が斜めに突き出していた。
近づくにつれてそれが人の脚だとわかった。
誰かが玄関の戸の内側に寝転び、脚を上げて外に突き出しているようだ。玄関は道の端に接しているから、突き出した脚も道路にはみ出している。
Kさんと友人はそれを避けて道の反対側の端に寄って通り過ぎようとした。
すると近づくにつれて、脚がどんどん玄関から出てくる。
腰、胴体、頭、腕。
おばあさんだ。眠っているのか、目を閉じて腕も万歳するように挙げている。
しかしどうやって出てきているのかわからない。自分で歩いたり這ったりしているのではなく、両脚を斜めに上げたまま、背中を地面に引きずって出てくる。どうやったらそんな動きが可能なのか。
誰かがおばあさんの脚を掴んで引きずっているような動きだが、その誰かの姿がないのだ。
すぐ目の前で、おばあさんはとうとう道の中央まで出てきた。そこで脚がバタッと落ちた。
その途端、おばあさんはガバっと上体を起こした。慌てたように周囲を見る。
Kさんたちと目が合うと、おばあさんはきまりが悪そうな苦笑いを浮かべ、立ち上がってそそくさと玄関の中に去っていった。
Kさんと友人は顔を見合わせると、無言のまま足早にその場を立ち去った。ずいぶん離れてからようやく友人が口を開いた。
あれ、普通の動きじゃなかったよね。