通るもの

Kさんは若い頃に交通事故を起こした。雨の日にスピードを出しすぎてスリップし、車が上下反転する事故だった。大怪我を負い、病院に担ぎ込まれて丸一日意識が戻らなかった。
ひと月近く入院したが、それ以来奇妙なことが起きるようになった。
入院中は病室の外に常に人が行き来している気配があった。病院の職員や患者が動き回っているのだと思っていたが、退院後もなぜかそれがずっと続いている。家の前に、部屋の外に、あるいはすぐ背後に、誰かが通り過ぎていく気配がある。足音や息遣いを感じるのである。
すぐに視線を向けても誰もいない。当初は勘違いだと思っていた。
しかし毎日のようにこれが続くと、流石に気になってくる。通院のときに医者に話してみると、事故や大怪我のショックで幻覚が出ることがあるということを医者から聞かされた。
検査の結果も目立った異常はないから、体が回復するうちに幻覚もじきに薄れていくかもしれない。しばらくは様子を見ようということになった。


それからも人の気配はしばしば感じられて、本当に人がいる場合といない場合の区別も次第についてきた。幻覚の場合はなんとなく現実感が薄いように思える。
慣れればそれほど気にならなくなってきたが、そんなある日のこと。
自室でテレビを見ているとき、ふとまた人の気配を感じた。もうあまり意識はしなくなっていたが、気配を感じると視線を向けるのが癖になっていた。
足が見えた。裸足の白い脚が背後を横切って歩いていく。
はっとして視線を上げると何かをしっかり抱える腕が見えた。紙のように真っ白な肌。
体ごと振り向いたときには誰もいない。顔も腕に抱えたものも見えなかったが、赤ん坊を抱いた女のように思えた。
それまではぼんやりとした気配くらいしか感じたことがなかったのに、それからは時々はっきりした姿を見るようになった。いずれも突然すぐ側を通り過ぎていく。
現れる姿はその時によって異なるが、知っている人の姿を見たことは一度もないという。