池の水

Uさんが小学生のとき、一度だけこんなことがあったのだという。
共働きの両親は出勤が早く、それに合わせて朝食も早いので、Uさんも一緒に朝食を食べてから親と同時に家を出て、六時半くらいにはいつも学校に着いていた。
その日はよく晴れた朝で、少し風があった。
校門から入ると正面に植木と池がある。Uさんは毎朝この池の傍に寄って、そこに泳いでいる金魚や亀を眺めてから校舎に入ることにしていた。
するとその朝は池の様子が違っていた。
金魚がいるにはいるものの、じっとして動かないのだ。真冬ならばそういうことも普通だが、その日は秋口でまだ寒くなどない。
しかも池の底でじっとしているのではなく、どの金魚も水の中ほどで静止している。ひれを動かしているようには見えないのになぜ沈まないのだろうとUさんは違和感を覚えた。
じっと見ていると、えらも動いていない。死んでいるのか。
だが死んでしまっているのなら腹を上にしたり横になったりしているはずだ。生きているとは思うものの、それにしてはぴたりと止まって動かない。一体どういうことだろう。
おかしいと言えば奇妙なのは金魚だけではなかった。風があり、池の周囲の植木は枝がざわざわと揺れているのに、池の水面には全く波が立っていないのだ。
なぜだろうと思ったUさんは、池の縁に跪いて水面に手を伸ばした。水に指先を漬けると予想外の柔らかい感触があった。
思わず手を引っ込めると指には水滴がついていない。もう一度ゆっくり触ると、水面がぐにゅっとへこんだ。
ゼリーのように水が固まっている。手のひらで水面を叩くと、そこから波紋がゆっくりと広がった。
水が固まっているから金魚が動けないのか。なぜ池の水がこんなことになっているのだろう。
Uさんはもっとよく見てみるために、固まった水をすくい上げようと両手を差し入れた。
そこへ一際強い突風が吹いてきて、木の枝がばさばさ鳴った。Uさんもランドセルを煽られて体勢を崩し、池の縁に片手を突いた。
するとその風に吹き散らされるように池の水面にさざ波が立ち、その下で金魚が一斉に動き出した。
もう一度触れてみても、池の水はもうただの水に戻っていたという。