中国生まれのRさんは二歳のときに母に連れられて日本に渡り、成人してから帰化した。
日本に来た理由ははっきり聞かされておらず、どうも込み入った事情があるらしいのだが、何度か母に尋ねても曖昧にはぐらかされてしまっている。中国で暮らしていた地名すら教えてくれないのだ。
今まで一度も中国には戻っていないので、あちらの記憶はほとんどない。断片的な光景がおぼろげに思い出せるだけで、それがどこなのかもわからない。
向こうに親戚がいるかどうかも知らない。母は同じく中国から渡ってきた人の料理店で働いていたが、それ以外の中国との関係がどうも意図的に断たれて節があった。
二十年ほど前、Rさんが中学生のときに一度こんなことがあった。
学校から帰って宿題を済ませ、それから一人で食事の支度をしていた。母は勤め先でまかないを食べてくることが多いので、夕食はRさん一人で食べていた。
作り置きのおかずを温めていると、外で大勢の話し声がする。
はっきり聞き取れないが、興奮したような声で何か言い合っている。誰か喧嘩でもしているのかと思ってそちらに目を向けると、外ではなくアパートの部屋の中に変なものがあった。
灰色の細長い石が立っている。握りこぶしふたつ分くらいの太さの角ばった石の柱だ。側面は磨かれてつやつやしている。
もちろんそんなものは元から家になかった。
何だこれはと思って近づいてよく見ようと思ったところで、肩を揺り動かされた。
そちらを振り向くと母がRさんの傍に座って必死な顔で名前を呼んでいる。いつの間に帰ってきたのだろう。
変なのはそれだけでなく、Rさんは立っていたはずなのにどういうわけか横になっている。
見回すと部屋の様子に変わったところはなく、あの石の柱はない。外の喧嘩も静かになっていた。
時計を見ると食事を作ろうとしていた時刻からもう二時間は過ぎている。その間の記憶が全くない。
母が帰ってきたときには部屋の中にRさんが横になっており、声をかけてもなかなか目を覚まさなかったという。
眠かったわけでもなく、体調が悪いわけでもないのにいつのまに意識を失ってしまったのだろう。
すると先程見た石の柱は夢だったのだろうか。気付かぬうちに眠り込んで、夢を見ていただけだったのか。それにしてはあまりに記憶が鮮明だ。
母に先程のことを話すと、母はふぅっと息を漏らし、表情がみるみるうちに険しくなった。それから母はどこかに電話をかけて何事か頼んでいる様子で、電話を切るとすぐにRさんを連れて家を出た。
タクシーで向かった行き先は同じ市内の初めて訪ねる家で、普通の民家だった。
玄関を開けると奥から白髪のおばあさんが出てきて、Rさんひとりを座敷に通した。母は外で待っているという。
その家で何をしたか詳しくは話せないが、その後あの石の柱が再び現れたことは一度もないとRさんはいう。
また後日、母にあの石柱が何なのか、知っているのかと尋ねたことがあった。
すると母は、あれはお墓だよとだけ答えて詳しいことは教えてくれなかったという。
頑なに詳しいことを教えてくれないので、どうも自分たち母子が故郷を離れて日本に移ってきた事情と何か関わりがあるのではないかとRさんは考えている。