吹雪手

風と雪が強い夜だったという。
日没後から風がかなり強くなり、家が揺れるほどになってきたので窓のシャッターを下ろそうと窓に手をかけた。
そこにパンッと軽い音を立てて、隣の窓ガラスに手のひらが張り付いた。手袋が飛ばされてきたのかと思って目をこらしたが、手のひらのしわや指紋まで見える。
生々しい人の手だ。作り物とも思えない。
しかし腕はない。手首から先だけがある。血は出ていないが断面は覗き込みたくない。
手首だけでどうやってくっついているのかわからないが、ずり落ちたりせずに同じ場所に張り付いている。
窓に手をかけた姿勢のまま固まって数秒間それを見ていたが、すぐに奇妙なことに気がついた。
ガラスの外には網戸がある。張り付いた手首はガラスと網戸の間にある。
網戸をすり抜けてガラスに張り付いたのだろうか。
このことに気づいてしまってからはもう窓を開けるのが怖くなって、窓から手を離した。後ずさるように窓から離れる。
窓の外を見回したが、吹雪の中に誰の姿もない。
風は依然強く、雪が網戸に吹き付ける。一際強い風が吹いてきて家がズシンと揺れた。
その拍子に窓の手首がぺらりと剥がれてどこかに飛んでいった。
一瞬のことで、手首が網戸をどう通り過ぎたのかはよく見えなかった。
シャッターを閉めるかどうか迷ったが、あの手首が入ってきたりしたらと思うと窓を開ける気にはなれなかったという。

夜の巨人

午後七時頃、Fさんが仕事から帰宅すると家に明かりがついていない。
いつもなら妻と娘がいるはずの時刻だ。しかし家の中がしんとして人の気配がない。
携帯にも特に連絡はなかった。台所や娘の部屋も覗いたが誰もいない。
なにか急用で二人とも外出したのだろうか。それならばメールくらいくれてもいいのだが。
とりあえず着替えようと寝室に入ったところで、窓の外に見慣れないものが見えた。
人の腕と胴体だ。服は着ていない。
しかし異様に大きい。二階の窓からだというのに、肩も腰も窓の上下に見切れていて胸から腹の範囲しか見えない。
巨人だ。それがゆっくり窓の外を横切っていく。

 


思わずFさんの喉から大きな叫び声が出ていた。
すると背後の廊下から足音が駆け寄ってきて、寝室のドアが開いた。妻と娘が顔を出す。
大声出してどうしたの、と妻が聞くので窓を指差したが外には巨人など影も形もない。恐る恐る窓に近寄って外を見回したがそれらしきものは見当たらない。
――全く人騒がせな。知らないうちに帰ってきて急に騒いで。
妻は呆れたように言う。知らないうちに帰ってきたのはそっちだろ、とFさんが返すと妻は怪訝な顔をした。
帰ってきたって誰がよ。出掛けてないけど。
妻と娘の話によると日が暮れてからは外出していない。今も台所で夕食の支度をしていたという。
確かに台所と食卓には出来たての食事が並んでおり、とてもFさんが帰ってきてからの数分で並べたものとは思えなかった。
それでは先程帰ってきたときの、あの静まり返った家はなんだったというのか。

電灯外し

ある朝Eさんがマンションの自室で目を覚まし、こたつの上に置いた眼鏡を取ろうとして異変に気がついた。
こたつの上に眼鏡だけでなく、蛍光灯が載っている。ホコリを被った丸形の蛍光灯だ。
なぜこんなものがここに、と天井を見上げると蛍光灯がついていない。どうやら天井に付けてあった蛍光灯を外してこたつの上に置いたようだ。
しかしそんなことをした覚えがない。寝る前は確かに蛍光灯は天井に付いていたし、たった今目を覚ましたばかりで自分ではそんなことはしていない。
一人暮らしだから家族がやった可能性はない。戸締まりはしっかりしているから侵入者がやったとも考えられない。百歩譲って侵入者の仕業にしても他に変わったこともないので、訳がわからない。
夜の間に自分で寝ぼけて外して、すっかり忘れているのだろうか。
腑に落ちないながらも、その朝はとりあえず蛍光灯を元通り付け直してから出勤した。
すると職場で同僚が脚立を持ってくるところに出くわした。
どうしたと尋ねると、事務所の天井の蛍光灯が全て外されていたのだという。
朝一番に出勤した社員が鍵を開けて入ったときにはもうその状態で、誰の仕業かはまだわからないとのことだった。
うちと同じだ、と思ったEさんだが、勘繰られるのも嫌なので自宅であったことについては触れずに、蛍光灯を元に戻すのを手伝った。


その夜、Eさんは帰宅してから買ってきた弁当と惣菜で夕食を済ませ、台所で食器を片付けた。
そしてリビングに戻ったところでまた様子がおかしい。部屋の明かりが消えている。
台所に行ったときには明かりは点けたままのはずだったのに、今は暗くなっている。
スイッチに手を伸ばしたがいくら押しても明るくならない。
点けたままのテレビの明かりに照らされて、こたつの上の丸いものが見える。蛍光灯だ。
また外れている。背中に嫌な汗が吹き出した。

いつの間に。誰が。
部屋の中にはEさん以外誰もいない。しかし自分のはずがない。
本当に他に誰もいないのだろうか。
隠れるような場所もないが、どうにも気味が悪い。すぐにEさんは部屋を出て、駅前の漫画喫茶に入り、翌朝まで過ごした。
警察に通報することも考えたが、蛍光灯が外されただけで大した害がない。侵入者がいる証拠もない。
明るくなってからようやく帰宅する気になったが、戻ってみると部屋には昨夜から特に変わったところはなかった。
それから数日は部屋の蛍光灯を外したまま過ごしたという。

武士坂

Kさんの住む街に落ち武者が出るという噂の坂がある。近隣では武士坂と呼ばれているが、これは俗称で正式な名前は特にない。住宅街の中にある緩い勾配の坂だ。
幽霊か不審人物か正体は定かでないが、とにかくそこで鎧を着た落ち武者に出くわしたという話をKさんは複数の人から実体験として聞かされたという。
Kさん自身は噂の落ち武者とやらを一度も見たことはないが、この坂で奇妙なものを見たことがある。
夕方にここを友人と二人で通りかかったときのこと、坂に沿って並ぶ家のひとつの玄関から棒が斜めに突き出していた。
近づくにつれてそれが人の脚だとわかった。
誰かが玄関の戸の内側に寝転び、脚を上げて外に突き出しているようだ。玄関は道の端に接しているから、突き出した脚も道路にはみ出している。
Kさんと友人はそれを避けて道の反対側の端に寄って通り過ぎようとした。
すると近づくにつれて、脚がどんどん玄関から出てくる。
腰、胴体、頭、腕。
おばあさんだ。眠っているのか、目を閉じて腕も万歳するように挙げている。
しかしどうやって出てきているのかわからない。自分で歩いたり這ったりしているのではなく、両脚を斜めに上げたまま、背中を地面に引きずって出てくる。どうやったらそんな動きが可能なのか。
誰かがおばあさんの脚を掴んで引きずっているような動きだが、その誰かの姿がないのだ。
すぐ目の前で、おばあさんはとうとう道の中央まで出てきた。そこで脚がバタッと落ちた。
その途端、おばあさんはガバっと上体を起こした。慌てたように周囲を見る。
Kさんたちと目が合うと、おばあさんはきまりが悪そうな苦笑いを浮かべ、立ち上がってそそくさと玄関の中に去っていった。
Kさんと友人は顔を見合わせると、無言のまま足早にその場を立ち去った。ずいぶん離れてからようやく友人が口を開いた。
あれ、普通の動きじゃなかったよね。

砂利道

Nさんの実家の近くに舗装されていない砂利道があり、見通しがよい一本道なのだが、通行者が少ない。
舗装されていないから自転車で通る人がほとんどいないのは当たり前としても、車の通りも少ないし、歩いて通る人は更に珍しい。
この道を通ると何か出る、というのが近隣で有名な話だからだという。
そのせいで夜に通る人がほとんどいないのはもちろん、明るいうちにも時折車が通る程度らしい。
知り合いの知り合いが見た人を知っている、というおぼろげな話ではなく、実際に見たという人が何人もいて、Nさんも見たことがある。


Nさんの場合はこうだった。
中学生の頃、まだここに出るという話を知らなかった。だから友達の家に遊びに行った帰り、ここを何気なく通った。
すると向こう側からおばあさんが歩いてくる。近所のおばあさんだ。
すれ違うときにこんにちはと声をかけて頭を下げた。
だがおばあさんの足が見えない。えっ、と視線を上げるとおばあさんの姿もない。
消えた!? と見回すとおばあさんは消えていなかった。
地上から1メートルほどの高さを同じ歩調で歩いていく。おばあさんが飛んでる。いや浮いてる。
一瞬呆気に取られたが、どういうことかと気になって追いかけようとした。
しかし踏み出したところでおばあさんの姿が見る見る薄くなり、夕焼け空に溶けるようにして見えなくなった。
思い返してみれば、近所にあんなおばあさんはいない。なぜひと目見て近所のおばあさんだと思ったかがわからなかった。


Nさんのお母さんやお父さんもこの道を車で通ったときにそれぞれ異なる奇妙なものに出会ったという。
お父さんは気味が悪いからここを通らないようにしているが、気にしなければ実害はないと言ってお母さんは頻繁に通っているらしい。

ゆうた

大学生のBさんが講義中に居眠りした。
大教室での講義だったせいか先生に見咎められることなく終了まで意識がないままで、終わってから友人に起こされた。
すでに他の学生は教室から去っている。寝ぼけ眼のまま慌てて教科書とノートを片付けようとして、ふとノートの紙面に目が留まった。


ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた……


同じ言葉が繰り返し三行にわたって書かれている。覗き込んだ友人も怪訝な顔をした。
自分の筆跡のようだが、書いた覚えがない。居眠りしながら書いたはずはないが、居眠りする前に取ったノートの続きに書かれている。
ゆうたって誰だろう。ありふれた名前だが、知り合いにはいない。
気味が悪いので消しゴムで急いで消した。
「あーあ、消しちゃった」
背後から声がした。
友人と揃って振り向いたが、誰もいない。
今誰かの声したよね、と友人と顔を見合わせたところで、声が聞こえた方から駆け寄ってくる足音がする。
しかしやはり誰かの姿はない。
足音はあっという間にやってきて、ブワッと風が、というか空気のかたまりが勢いよく通り過ぎた。


Bさんと友人は慌ててその教室から逃げ出したという。

解体工事

Eさんが民家の解体工事をしたときのこと。
二階建てで築二十年くらいの平凡な民家だったが、重機で崩し始めたときに異変があった。
カラカラとガラス戸を開け閉めするような音がするのだ。Eさんだけでなく、現場にいる者がみなこの音を耳にした。
重機のエンジン音や建物を破壊する音、飛散を抑えるための放水音、様々な音がなっている騒々しい現場だ。
それにもかかわらず、カラカラ、カラカラという軽い音が騒音に混じって断続的に聞こえてくる。重機の運転をしている者までこれを聞いたという。運転席でもはっきり聞こえたらしい。
方向から考えると崩している家の中から聞こえてくるように思える。しかし窓ガラスは前もって外されているし、窓の開閉する音など普通は騒音に掻き消されて聞こえるはずがない。家の中に残っている人がいないことも確認済だ。
音は、家がすっかり崩れ去るまで続いた。


おかしなことはまだあった。Eさんがその日の夕方、作業着を着替えようとしたときである。
隣で着替えていた同僚がEさんの背中を見て言う。なんか首のあたり腫れてねえか?
そう言われてみると背中がなんとなく痒い。シャツを脱いでみると、さらに同僚が驚いた。
首から背中にかけて、幾筋もミミズ腫れが斜めに走っている。まるで爪で引っ掻かれた痕のようだ。
Eさんだけではなかった。その日、解体工事に参加した同僚が何人も背中に同様の痕ができていた。
作業着を着ていたので背中に擦り傷ができるようなことは考えにくいし、そもそも直接瓦礫処理に関わっていなかった者の背中にも傷ができている。
いつ、どうしてそんな傷ができたのか誰にもわからなかった。


余談がある。
このとき解体された民家というのは、「空家の探検」のKさんの実家の近くに建っていた。
Kさんにも確認してみたが、この民家がまさしくKさんが中学生の時に探検した空家であるという。
同じ家を舞台に、奇妙な体験談が複数存在するのは偶然だろうか?