夢犬

いつ頃からだったかは覚えていないが、Nさんは定期的に犬の夢を見ていた。忘れた頃に夢に同じ犬が出てくるのだ。
人懐っこい茶色の大型犬で、自分によく懐いてくれるので、Nさんもかわいがって撫でたり一緒に散歩に行ったりする。
現実にはNさんは犬を飼ったこともないし、夢に見るのと同じような犬と触れ合ったこともない。
犬は嫌いではないが別に好きというわけでもなく、飼いたいと思ったこともなかった。
だが夢の中では妙にその犬が気に入っていて、触れ合うのが嬉しい。目が覚めてから思い返して不思議になるくらい、夢の中の自分はその犬のことを気に入っていた。


Nさんが結婚して二年目の夏、奥さんの実家に泊ったときのことである。
明け方に廊下が騒がしくて目が覚めた。客間から顔を出すと義母と義父が血相を変えている。
何があったんですかと尋ねると、家の中を知らない犬が歩いていたのだと義母が言う。
義母が顔を洗って廊下へ出たところで、目の前を茶色い大きな犬が通り過ぎていった。目で追ったがあっという間に見えなくなった。
家の中を探したがどこにもいない。
犬など飼っていないし、戸締まりもちゃんとしているのに、一体どこから来てどこへ消えたのか。
寝惚けていたんだろうと義父は真面目に受け取っていない様子だったが、義母は確かに見たのだと譲らない。
まさかあの犬か? 茶色の大きな犬と聞いて、Nさんははっと思い当たったが説明に困るので口には出さなかった。
Nさんはその日も例の犬の夢を見ていた。まさかあの犬が夢から出て家の中を歩き回ったというわけでもないだろうが――。
そこへ妻も起きてきた。
妻もなんとなくだが、廊下を犬が歩くような、爪が床に当たるチャッチャッという音を布団の中で聞いたという。
それが本当なら、義母の見間違いとも片付けにくい。
だがいくら探しても家の中に犬の姿はなかった。


このとき本当に夢から犬が出ていってしまったのか、Nさんはそれから十年、一度も犬の夢を見ていない。
出てこなくなったと思うと妙に寂しくなってきて、代わりに犬を飼い始めようか少し迷っているという。
でも――犬を飼い始めてからもしあの犬が帰ってきたら、嫉妬したり喧嘩になったりしないか心配で。Nさんはそう言って苦笑した。