カレー工場

Uさんは小学四年生のときに父親の仕事の都合で引越した。
引越す前の家から歩いて三十分ほどのところにカレー工場があった。
前を通りかかったことしかないので中がどうなっているのかは知らないが、白い大きな建物で道路に面した壁にふたつシャッターがある。
聞いた話によるとスリランカの人が経営する工場で、注文した人の家に配達する分だけを作っており、店では買えないのだという。
どんなカレーなのかなと興味はありながらも、引越しするまで結局それを味わう機会はなかった。


中学生の頃にそんな話をふと思い出したUさんは、家族に話したところ変な顔をされた。
誰もその工場のことを知らないという。
いやあったでしょ、とUさんは主張したものの、そういえば工場をスリランカ人が経営しているとか、店では買えないとか、そういう詳しいことを教えてくれたのは誰だったのか、思い出せない。なんとなく父に聞いたような気がしていたが、父はそんな工場見たことないという。
テレビで見たか本で読んだか、あるいは夢で見たか。何かそういう話を自分の家の近くだと勘違いしたまま覚えていたんだろうと家族は口を揃えるので、Uさんもそう思うことにした。


Uさんは大学を出てから東京で就職し、職場の同僚と結婚して埼玉に新居を買った。
家の近くを散歩していたときのこと、ふっと食欲をそそる香りが鼻をかすめた。
スパイスのいい匂い。カレーだ。
どこか近所で食事の支度をしているんだろう。
そう思いながら何気なく視線を巡らせたところで、ある建物が視界に入った。
白い大きな建物で、道路側の壁に搬入口のような大きいシャッターがふたつある。その光景に見覚えがあった。
間違いない、あのカレー工場だ! こんなところにあったのか!
見れば見るほど記憶にある通りの外観である。
しかしそこは小学四年生以前に住んでいた町ではないし、結婚して新居を探し始めるまで来たこともないようなところだ。
やはりテレビかなにかで見た風景を勘違いしていたということだろうか。
漂ってきたカレーの匂いと、見覚えのある建物。
偶然ではあるのだろう。だが妙なタイミングの良さには、何かに引き寄せられたような感じがあった。
近所の人に尋ねてみたが、その白い建物はもうずっと前から空き物件で、かつて工場として使われていたかどうかわからないという。
それから何年もしないうちにその建物は取り壊されてしまって、今は空き地になっている。