洞穴の絵

Sさんの家には階段を下りた突き当りに油絵が飾られていた。ぼんやりした色合いの風景画で、木々の間に見える岩壁に洞穴がひとつ、黒々と口を開けている。父の祖父、つまりSさんの曽祖父が買ったものだという。
物心付いた頃からSさんはこの絵が怖かった。特にその洞穴が怖い。
洞穴は画面の右寄りに小さく描かれているだけで、森の風景が絵の主題ではあるのだろうが、どうにも洞穴に視線が向く。そして見るたびに不気味な印象を受けて目を逸らす。

 

幼い頃はその絵に怯える一方だったSさんもだんだんと慣れてきたのか鈍くなってきたのか、小学校高学年の頃にはその絵を意識することもあまりなくなってきた。落ち着いて見ればただの風景画だ。幼い頃に絵を怖がるSさんを周囲の大人が笑って眺めていたのも当然のように思えてきた。
そこに絵を買い取りたいという人が現れた。
祖母の知り合いが訪ねてきたときに気に入り、是非とも譲ってほしいと頼み込んできたという。曽祖父が気に入って買った絵とはいえもう故人だし、今いる家族はその絵に大した思い入れはない。家族で話した結果、先方の希望通り売ることに決めた。
小学生のSさんはもちろん売ることになったということを決まってから聞かされただけだったが、そう聞くとなんとなく名残惜しいような気もしてくる。改めて絵を見てみると、絵の良し悪しはわからないものの、やはりなぜか洞穴に視線が引かれた。

 

ある日Sさんが学校から帰ってくると、玄関から上がった廊下に知らない人が立っていた。全身青い服を着たおじいさんで、あの洞穴の絵をじっと眺めている。
あの絵を買いたいと言っていた人が取りに来たのかな。Sさんはそう思いながら、こんにちはと挨拶をした。
青い服のおじいさんはにこやかに会釈をしてから、無言で絵に向き直った。Sさんはそのまま二階の自分の部屋にランドセルを置き、おやつでも食べようと階段を下りてきたが、そのときにはもうおじいさんの姿はなかった。絵はまだ壁にかかっている。
キッチンにいたお母さんに、もうあのおじいさんは帰ったの? と聞くと怪訝な顔をされた。お客さんなど来ていないという。
翌週に絵を引き取りに来た人は女の人で、じゃああの青いおじいさんは一体誰だったのだろうとSさんは後から不思議に思った。