川女

Tさんが大学生のとき、初めて彼女の部屋に泊まった夜のこと。
ふと目を覚ますとまだ真っ暗で、うっすら見える時計は午前四時だ。
もう一眠りしようと目を閉じたが、そこでアパートの玄関ドアが開く音が聞こえた。
誰かが部屋に上がってくる。目を開くと女がひとり部屋に入ってきた。
咄嗟に起き上がろうとして、体に全く力が入らないことに気がついた。
並んで寝ている彼女に声をかけようとしたが、声も出ない。首も回らないから彼女に顔を向けることもできない。
入ってきた女はそのまま近寄ってきて、ベッドの脇でTさんを見下ろしてくる。その無表情な顔が目が覚めるほどの美人だ。
しかしその女から強烈に生臭いにおいが漂ってくる。まるで汚れた川の水のような嫌なにおいで、河原に放置された魚の死骸を彷彿させる。息が詰まるほどの悪臭である。
女は黙ったまま屈んでTさんに顔を近づけ、ぼそぼそ呟いた。しかし聞き取れない。

女が屈んだ拍子に更に悪臭が強くなって、思わずTさんは咳き込んだ。
その途端にふっと体が軽くなって動けるようになった。慌てて身を起こすとあの女はどこにもいない。
横では彼女が穏やかに眠っている。ベッドから降りて玄関を確認しに行ったが、鍵はしっかりかかっている。
あの生臭さもない。じゃああれは夢だったのかと安心してまた彼女の隣で横になった。


そんなことがあって以来、Tさんは友人たちから妙なことを聞かれるようになった。
この前一緒にいた女の人って誰?
友人がTさんを街で見かけたときに、一緒に歩くきれいな女の人がいたのだという。時には腕を組んでもいたという。Tさんの付き合っている彼女とは全くの別人だったらしい。
Tさんには心当たりがまるでない。彼女を含め、腕を組んで歩いたことなどない。しかし友人たちは見間違いではないと断言する。
そんな女は知らないとTさんは何度も説明したものの、どうもそのことが原因で彼女から浮気を疑われるようになり、結局いくらも経たないうちにその彼女とは別れてしまった。