焼き魚

真夏のことだったという。
夜九時過ぎ、Nさんが仕事から帰宅する途中でかすかな焼き魚のにおいを感じた。
干物かなにかを焼くにおいだ。
どこかの家で食事の支度だろうか。
少し時間が遅いけど、自分と同じように帰りが遅い人なのかな。
そんなことを考えながら家に向かって歩いていると、だんだんにおいが強くなってくる。
ウチの近くなのか?
しかしマンションの自室に入ったNさんは仰天した。
自分の部屋が一番臭い。明らかに外よりも焼き魚のにおいが強い。
一人暮らしだから自分以外の人間がその部屋で食事をするはずがないし、自分ももうずっと部屋で焼き魚など食べてはいない。
そもそも家を出る前はこんなにおいなど全くなかったのに。
まさか誰かが侵入してうちで魚を焼いた?
しかしキッチンのグリルを見てみるときれいなままだし、そもそもキッチンよりもリビングの方がにおう。なぜだ。
窓を全開にして換気してもなかなかにおいが薄れない。普通に部屋の中で焼き魚を作ったくらいではこんなににおうはずがない。
一体何がこんなに焼き魚臭いんだ?
顔をしかめながらにおいの強いところを探すと、どうやら本棚が特に臭い。
本の間か奥に何かが挟まってるのか?
そんな心当たりはないものの、並んでいる本を何冊かまとめて抜き出してみると、不意に本棚の奥から一瞬ふわりと風が吹くのを感じた。
えっ?
本棚の奥には背板しかないし、その更に奥は壁だ。そちらから風が吹いてくるはずがない。
念のため本を全部どかしてみたが、やはり風が通るような隙間はどこにもなかった。
何だったんだろう今の風、気のせいかな、と辺りを見回すと、いつの間にか焼き魚のにおいはすっかり消えていた。
あれだけ強く漂っていたにおいも本棚から吹いてきた風も、原因は全くわからずじまいだったという。