かぶさるもの

Nさんが二年前まで住んでいたマンションでの話。
六階建ての三階にNさんの部屋があり、毎日Nさんはエレベーターで昇り降りしていた。
ある深夜、仕事から帰宅したNさんはいつも通り一階でエレベーターを呼び出した。
階数表示が下りてきてすぐに目の前で扉が開き、一歩踏み出そうとしたところでNさんの足が止まった。
中に誰かが座りこんでいる。壁に背を預けるように寄りかかり、両足を前に投げ出して。
だがこれはなんだろう。つるりとした白っぽい毛布のようなものを上半身にすっぽりとかぶっているように見える。
そのせいでズボンを穿いた脚しか見えない。
なんだこれ? とよく目を凝らすと、そのつるりとしたものはぶよぶよと震えるように動いている。
数秒間見つめてみてもそれが何なのかはさっぱりわからない。
声をかけようか迷ったところで、エレベーターの扉が自動的に閉まりそうになった。
慌ててそれを両手で押さえると、目の前のそのつるりとしたものが急に動いた。
それは驚くような速さでバスケットボールくらいの大きさに丸まると、滑るようにNさんの足元をすり抜けた。
咄嗟に振り向いた時にはもうどこにもその姿はなかった。
エレベーターの中に目を戻すと、足を投げ出して座っていたのは赤ら顔の中年男で、酔って眠り込んでいるだけだった。
男を起こして話を聞いてみても、あのつるりとした何かについては全く心当たりもなければ、そんなものに覆いかぶさられていたことにさえ気付いていなかったという。


そんなことがあったのでNさんは引越しを決意した。引越すまでは昇り降りに階段を使い、決してそのエレベーターに乗らないようにしていたという。