駅の階段

高校生のTさんはバレー部の練習中に右足を痛め、病院で靭帯損傷と診断された。その後二ヶ月ほど足首にギプスを着けっぱなしの不便な生活が続いた。
ギプスを付けたままでは部活動どころか階段の昇り降りにも支障をきたす有様で、学校内や通学中の駅の階段などは苦痛でしかなかった。学校はもちろんいつも使う駅にもエレベーターやエスカレーターなどないので毎日難儀した。右足首がほとんど動かせないので左足だけで跳ぶようにして昇り降りするしかない。しかしこれもあまりやりすぎると左足にばかり負担がかかってよくないので、無理のない範囲でできるだけ右足も使うことにした。
そうしていると、駅の階段を昇り降りしているときだけんぜか妙な音が聞こえてくることに気が付いた。音というか笑いをこらえる声というか、クックッという小さな音が駅の階段でだけ聞こえる。ハトの鳴き声かとも思ったが、見える範囲にハトの姿はなかったし、立ち止まると聞こえなくなる。大抵は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな音だったが、ときどきはっきりと子供の笑い声のようなものが交じって聞こえた。やはり周囲に子供の姿はなかった。
他の場所では聞こえないからギプスが音を立てているわけではなさそうだし、階段の手すりが音を立てているようでもない。何の音なのかはっきりわからないが、なんとなく自分のよたよたした階段の昇り降りを笑われているように思えてTさんは気分が悪かった。しかしはっきりと誰かが笑っているという証拠があるわけでもないので、聞こえないふりをして毎日やり過ごすようにしていた。
とにかく転ばないように、左足だけに負担をかけすぎないようにということだけに集中しながら毎日階段を昇り降りするうち、やがてギプスを外せる日がやってきた。ギプスを外した翌日から駅の階段で例の音は聞こえなくなったという。