防災倉庫

Nさんの実家のある街に防災倉庫と呼ばれる建物がある。
コンクリート製で箱型の建物で、街の隅に位置する公園に隣接している。
防災倉庫と呼ばれている通りにかつては地区の防災用品や備蓄品を収めた倉庫だった。公園に隣接して建てられたのはその公園が地区の避難所のひとつだったからだ。
しかし、後にハザードマップ作成のための調査が行われると、その場所は水害が起きたときに浸水する恐れがある、ということが判明し、急遽もっと高い場所に新しい倉庫が建てられることになった。
古い方の倉庫は空になったまま、今でも取り壊されずに存在している。


故あって会社を辞めたNさんが実家に戻ったのは二年前の初夏だった。
蝉がやかましく鳴く蒸し暑い日が続いていたが、しばらく里帰りもしていなかったから久しぶりの地元が懐かしく、日が傾いてきた時刻を見計らって買い物がてら散歩に出た。
すると公園の近くを通りかかったとき、蝉の声に交じってかすかに甲高い笛のような音が聞こえてきた。気のせいだろうかと思ったが、やはりどこかで細く高い音が鳴っている。
公園に近づくにつれて、それは笛の音ではなく幼い子供の泣き声だと気がついた。何かあったのだろうかと、Nさんは声のする方へと早足で向かった。
すると公園の奥、防災倉庫の扉の前に女の子がひとりしゃがんで泣いているのが見えた。
近寄って声をかけてみたが、その子は顔を上げずに泣き声を上げ続ける。
どこか怪我でもしているのだろうか、とよく見てみると、その子の右腕が倉庫の扉にめり込んでいた。
見間違えかと思って目を凝らしたが、確かに腕が金属の扉に刺さっているというか、貫通しているようにしか見えない。扉に穴が開いていて、そこに腕がぴったり嵌まっているのだろうか。
腕が抜けなくなっちゃったの? と女の子に話しかけたが、聞こえていないかのように無反応で泣き続けている。顔を上げようともしないばかりか、しゃがみこんだままぴくりとも動かない。
ただ喉の奥を鳴らすような甲高い泣き声だけが辺りに響いている。本当にこの子が泣いているのだろうか。
そういえば、とその時Nさんは気がついた。つい先程まであれほど聞こえていた蝉の声が、いつの間にか完全に止んでいる。
周囲には他に誰の姿もない。
一体この子は何なのだろうか。これは生きた人間なのか。
急に気味が悪くなったNさんは、後ろも振り返らずに公園から走って逃げ出した。
そのまま実家まで戻り、一息ついてみると家の周りでは蝉の声が聞こえている。
落ち着いて考えてみると、やはりあれは腕が抜けなくて困っている子供だったのではないかという気がしてきた。
そうだとすればこれから暗くなる時刻だ。放っておくわけにもいかない。
そこで家にいた母親と一緒にもう一度防災倉庫まで行ってみたが、大きな南京錠のかかった扉には穴など開いておらず、先程の女の子の姿もなかった。
その時には蝉の声がうるさいくらいだったという。