鈴蘭

Hさんは職場で知り合った男性と付き合い始め、一年半後に結婚した。
新婚旅行でイタリアに着いたその晩の話。
到着したのは現地時間でまだ夕方だったが、慣れない飛行機に十時間以上乗っていたので二人ともすっかり疲れていた。
夕食をとってから早々にホテルの部屋に入り、軽くシャワーを浴びてから二人揃ってすぐに寝入ってしまった。


ふとHさんが目を覚ますと隣で夫が低く唸り声をあげているのが聞こえてきた。
何だろうと思ってそちらを見ると、夫の上に何か大きな草が生えている……ように見える。
寝ぼけ眼をこすりながらよくよく見ると、草丈一メートル以上はありそうな植物が一株、夫の胴体の上に立っていた。
鈴蘭のような花が六、七個は咲いているのも見える。花ひとつひとつは握りこぶしくらいの大きさがあった。
部屋の中はバスルームの方の照明がひとつ点いているだけで暗いのに、その巨大な鈴蘭だけは奇妙に輪郭がはっきり見える。
夫が苦しそうに唸っているのはこれのせいなのだろうか。
とりあえず起こさなきゃ、とHさんが上体を起こした時、その鈴蘭の花がざわざわと動いて、花の細部までよく見えた。
鈴蘭の花のように思えたのは、実はひとつひとつが真っ白な子供の顔だった。子供の顔が鈴蘭の花のように茎に連なっている。
子供の顔はみな何かを話すように口をぱくぱくさせながら、Hさんの方をまっすぐ見つめている。
それを見ても不思議とHさんに恐怖は無く、ただこの子たちは何か言いたいのかな、と思ったという。
しかし何も聞こえてこないし、仮に言葉が聞こえてきたとしてもHさんにイタリア語の心得はない。
ごめんね、私にはよくわからないから悪いけど他の人の所に行って。
手を合わせてそう語りかけると鈴蘭は暗がりに溶けるように消えたのだという。
時計を見ると午前二時過ぎだったので、Hさんはもう一眠りしようと目を閉じた。


翌朝、目を覚ました夫はまだ疲れが抜けきっていない様子で、聞けばよく眠れなかったという。
鈴蘭のことについては触れずに彼が寝ながら唸っていたことを話すと、夫は顔をしかめながら言う。
「部屋の周りで子供が何人も走り回る夢を見てさあ。寝苦しくて仕方なかったんだよね。唸ってたのはそのせいかも」