染み

二十年ほど前、Wさんが大学生のときの話。
課題のレポートに必要な本を友人が貸してくれたので、徹夜で片付けてしまおうと机に向かっていた。
なかなか書き進まないことにもどかしさを感じながらも少しずつレポート用紙を埋めていると、ふと目の前にぽたりと何かが落ちた。
それは机の上に開いたままの本の上に落ちて、丸く弾けて広がった。
その本はまさしく友人が貸してくれた本で、ページの上にはあろうことか五百円玉大の赤い染みができてしまっている。
染みを作ったのは真っ赤なインクのような液体だった。
借り物の本を汚しては申し訳ない。Wさんは慌ててティッシュで拭こうとしたが、ページに染み込んでしまった部分はいくらティッシュで押さえても取り返しがつかず、丸く赤い染みが残った上に紙がふやけて波打ってしまっている。
……でも、なんでこんな雫が垂れてきたの?
机の上を見上げても天井しか見えず、天井にも特に変わったところはない。部屋の中に虫が飛んでいて、それがフンか何かを落としたという様子もない。机の周りに飲み物やインクの瓶などこぼれるようなものも置いていない。ティッシュに染み込んだ赤い液体は特に臭いもなく、一体それが何の液体なのか見当がつかない。
なぜそんな染みができてしまったのか、Wさんにもさっぱりわからなかった。


しかし借りている間に汚してしまったのは紛れもない事実なので、友人にありのままを説明して詫びるしかない。
弁償でも何でもしよう。
そう腹を決めて、翌日大学で友人に本を返した。
渡す時に頭を下げ、ごめん、汚した!と平謝りした。
染みの付いてしまったページには付箋を貼っておいたので、そこを開いて見せた。
あれ?
どこも汚れていない。
汚れを拭いた時にもよく見たのだから確かにそのページで間違いはないのだが、どこにも染みがないばかりか、液体が染みこんでふやけた形跡すらない。
別のページだったかな?と本をめくってみても、あの赤い染みは全く見当たらなかった。
何だか勘違いだったみたい、と友人には説明して本を返したが、Wさんは全くすっきりしない。
下宿に帰ってゴミ箱を漁ってみると、昨夜本を拭くのに使ったくしゃくしゃのティッシュも真っ白だったという。