• 藤田玄播先生ご逝去との報が届いた。先月頭の演奏会の折にお会いしたばかりであった。その時には手術をしたばかりとのことで車椅子に座っていらっしゃったが、演奏会の指揮も見事にされていたので突然との感が否めない。その時の演奏会が事実、先生最後の指揮になってしまった。
    • 私が学生の時、先生が友人の家に宿泊されたことがあった。先生が宿泊するときには夜通し飲み会になるのが常だった。私も友人に付き合って朝まで呑んだ。朝になり、ベッドから起きだした藤田先生が開口一番「キャベツの味噌汁が食いてえなあ」と仰る。私が作ろうとしたものの、大した自炊をしない友人の家には味噌がなかった。朝のことでスーパーも開いていない。今思えばコンビニで味噌くらい売っていた気もするが、その時はそこまで気が回らなかった。キャベツは半玉あった。台所を漁るとインスタントの味噌汁があったのでキャベツだけを別に茹で、インスタントの味噌汁に入れて先生に提供した。先生はうまいと仰って喜んで召し上がった。お前らは食べないの、と仰ったがインスタント味噌汁は一人前しかなかったのだった。味噌が切れてしまいまして、と答えると先生はそうかと言って笑った。そんな思い出。
    • 江戸っ子でいつもべらんめえ口調であった。演奏が下手だと様々な悪口雑言が飛び出した。「そんなプルプルした音じゃ、ホルンじゃなくてプルンだよ!」
    • 先生は若いころ大病を患って生死の境をさまよったそうで、その時のことを何度も語っておられた。カトリック信徒だった先生は、その時神に誓ったのだという。もしもここで命を永らえることができるのなら、残りの人生を音楽に捧げようと。それからの先生は、今日までその言葉通りに過ごされたのだろう。天命を全うされた先生の霊に主の祝福のあらんことを。

wikipedia:藤田玄播

  • 同人原稿を何とか書き上げて提出した。3月の文学フリマで出る本に掲載予定。(よく見たら4月だった)
    • 母が幼い子に読み聞かせるような物語を目指した。
      • 嘘である。古老が冬の夜に語って聞かせる殺伐とした昔話みたいなのができあがった。