夏が来れば思い出すかもしれない百九日目


小学生の頃は毎年夏休みになると祖父の家に遊びに行った。
祖父が住んでいたのは海辺の町で、どこにいても潮の匂いがした。お蔭で家の周りにある鉄製品にはみんな赤錆が浮いている有様で、だから記憶の中の祖父の家はどこか赤茶けた印象がある。
祖父の家の前からは長い坂道が続いていた。そこをまっすぐ下っていけば防風林に突き当たり、鬱蒼とした木々の間を抜けると長い砂浜に出られる。祖父の家に滞在している間はこの浜が専らの遊び場で、朝から晩まで食事時以外はこの浜にいたものだから夏の私は見る見るうちに日焼けが濃くなった。
歩いていける距離に砂浜があるので、祖父の家で寝ると潮騒が聞こえた。何か重たいものがうねるような、どこか気だるい響き。この音を聞きながら眠りに着くと、夢の中にまで海が出てきたものだった。海からは、潮騒の他に時折何かのサイレンも聞こえてきた。方向からすると、岬の灯台で鳴らしているように聞こえた。船か何かを呼んでいるのだろうか。今もまだあのサイレンの意味は知らない。ただ、サイレンがなった時には必ず祖父は雨戸を閉めたような記憶がある。何か関係があったのだろうか。このサイレンは祖父の葬儀の時にも聞こえていたように思う。誰も雨戸は閉めなかった。
改めて考えてみると、不思議なこともあった。祖父の家の前の坂道には、時折魚が落ちていた。海が近いから、魚を乗せた車の荷台から零れたのだろうかとも思ったが、それにしては数が多い。浜の方から道沿いに点々と、小さい魚が続いていた。これは何なのかと祖父に聞いたこともあったが、気にしなくて良いという答えしか返ってこなかった。
魚ではないものが落ちていたこともあった。綺麗なガラスの欠片。青や緑、まるで南国の海の色をそのまま固めたような小さな欠片が道沿いに点々と落ちていた。思わず手に取ると、表面は滑らかで艶があり、何とも言えぬ色気のようなものを感じた。祖父に見せた所、それは拾ったらいけんことになっとる、と言う。仕方なしに元あったところに戻しておいたら、翌日には綺麗さっぱり無くなっていた。誰かが拾って行ったのだろうか。
祖父は毎日、祖母の遺影に手を合わせていた。祖母はかなり昔に亡くなっていて、私も直接会った事が無い。どうして亡くなったのか祖父に聞いたことがあったが、教えてくれなかった。母も祖父の養子なので詳しくは知らないと言う。実際、祖母の死は何か訳有りだったようで、祖母の墓がどこにあるのか、誰も知らない。そもそも祖母がどこかの墓に入っているかどうかすら判らない。また祖父もそのあたりの事実を誰にも告げずに亡くなった。だから今も祖父と祖母は一緒の墓には入っていない。せめてもと、二人の遺影は並べて置いてある。