たすけて

春先のことだという。
Hさんが当時付き合っていた女性と伊豆の海に行った。
海水浴シーズンでもないので他に人の姿はなく、二人で海を見ながら砂浜を散歩していた。
すると背後から女性の声が聞こえた。
「誰か、誰かたすけてえええええ!」
その必死な声に二人が振り向くと、髪を振り乱した中年女性が走ってこちらにやってくる。
どうしたんですか!?と問いかけると、女性は肩を上下させながら海を指さして言った。
「子供が、子供が流されて、ほら、あそこ……」
息を呑んで女性が指差す先に視線をやったが、ただ曇り空の下にわずかに波立つ海が広がるばかりでどこにも子供らしき姿は見えない。
どこですか!?と言いながらHさんは女性の方に向き直った。
するとたった今いたはずの女性の姿がどこにもない。
海の方を見ていたのはほんの数秒間で、近くに隠れる場所もない。
全力で走ったとしても視界の外まで行けるはずがなかった。
そもそも助けを呼びに来たのなら、すぐ姿を消すのはおかしい。
Hさんは変なものを見たと思ったが、本当に事故だったならいけないので、一応念のため近くの警察に見たことを伝えた。
もちろん女性が急に消えたとは言わず、ただいつの間にかいなくなったとだけ言った。
すると話を聞いた警察官はこう答えた。
――多分心配いりませんよ、あそこの浜は時々そういう話があるんです、その女の人って急に消えたんでしょ?