九十五/ 空耳

二十年近く前、高校生だったSさんは学校の吹奏楽部に所属していた。
ある時、クラスの用事で練習に遅れた彼が練習場所である音楽室に向かうと、到着しないうちに合奏が始まってしまったようで、音が廊下にも聞こえてきた。
しかしそれを聞いて、Sさんはいささか引っかかるところがあった。自分のパートの音が聞こえるのである。明らかにSさんと同じ、ファゴットの音がする。だが部内にファゴットパートは彼一人なのだ。
他の楽器の音がそういうふうに聞こえるだけなのかとも思ったが、自分の楽器の音を聞き間違えるはずはないし、何より動きが全く自分のパートと同じだ。誰かがファゴットを吹いているのだろうか。気になったSさんは早足で音楽室に向かった。
音楽室に近づくにつれ、音ははっきり聞こえてくる。まぎれもないファゴットの音も混じっている。音楽室の扉の前に来た時、確かにそれは聞こえていた。
しかしSさんがドアを開けた瞬間、流れる曲の中でファゴットの音だけが、空中に溶けるように聞こえなくなった。合奏をしている部員の中に、ファゴットを持っている者は誰もいない。
Sさん愛用の楽器は、いつものようにケースに入ったまま楽器置き場にちゃんとあったという。