六十六/ 不動の書

市の図書館に勤めるAさんに聞いた話。
その図書館には、位置を変えることができない本があるという。
ある時、書架のスペースの問題から、一部の古い本を閉架書庫に移すことになった。
休館日に出勤して移動作業をしていると、いざ閉架書庫に運び込んでリストと照らし合わせてみて、足りない本があった。このリストは開架書庫で箱詰めした時にチェックしたものなので、閉架書庫に運び込まれていないとすれば、どこか途中に落としてしまった可能性がある。
考えられる場所をよく見ながら移動経路を辿ってみると、結局その本は動かす前の元の場所にあった。箱詰めしたつもりでチェックして、そのまま動かさなかったということだろうか。そう思ったAさんは、その本を手にとって閉架書庫へ持って行った。
そのまま作業を続けて、今度は新しい本を開架書庫に並べる段階になったとき、Aさんはまた先程の本が開架書庫に並んでいるのを発見した。この本は一冊しかないはずで、先程Aさん自身が閉架書庫へ運んだのだから、また誰かがここに戻してしまったということになる。
誰がそんなことをしたのか、一緒に作業していた同僚に聞いてみたが、だれも動かした覚えがないという。腑に落ちなかったものの、別の作業中だったので、とりあえずその本を脇にどかしておいて、帰り際に閉架書庫へと戻しておいた。
翌日、作業を再開したAさんは書棚を見てまた首を捻ってしまった。あの本がまた開架書庫に並んでいるのである。前日はこの本を閉架書庫に納めてすぐ、閉架書庫のドアを施錠してしまったし、この日もまだ一度も閉架書庫は開錠されていないはずだった。念の為閉架書庫を確認してみたが、やはり前日その本を納めた場所だけ一冊分の隙間があった。
結局、それから誰がやっても知らぬうちにその本は開架書庫の同じ場所に戻ってしまう。元の場所に別の本を入れて隙間をなくしてしまっても、それをどかして元の本が収まっている。どかした本は、書棚の上に載っていたという。
どうしようもないので、この本を閉架書庫に移すのは断念して、そのままにすることになった。その本は動かさないというのが、今も職員の間での暗黙のルールとなっている。
その本は別に何の変哲もないもので、アマチュア歌人自費出版した歌集らしい。著者の家族が寄贈したもののようだが、手にとる人もほとんど無いようで、古いわりに中は随分きれいだという。