天国

小学生の一時期、Rさんと友達は近所の神社を遊び場にしていた。
長い石段の上にある境内は滅多に人がおらず、気兼ねなく騒ぐことができた。
この神社で鬼ごっこをしていたときのこと。
ある友達が鬼役に追われて社殿の裏に逃げていった。鬼もそれを追っていく。
Rさんたちは笑いながらそれを見ていたが、すぐ社殿の反対側から出てくると思っていたのに数分しても出てこない。何かあったのだろうかと心配になったRさんたちは様子を見に行くことにした。
すると社殿の裏で二人ともしゃがみこんでいる。
具合が悪くなったのかと驚いて駆け寄ると、二人はそうじゃないよこれを見ろ、と眼の前を指さした。
そこには小さなほこらがある。以前から建てられているもので、何が祀られているのかは知らない。粗削りの石を組んだ上に木の板で屋根を付けただけの簡素なものだ。
それがこのときは様子が違っていた。中に階段がある。古びた木の階段だ。それが上に向かって、ほこらの奥に続いている。
そんなものがあるはずはないのだ。ほこらは横から見ると奥行きがせいぜい五十センチ程度しかない。中にある階段はもっと何メートルも伸びているように見える。構造上おかしいのは小学生が見てもわかる。
奥の方は光が届かないようで、先が見えない。
前はこんなのなかったよね。何だろこれ、どこに続いてるのかな。天国だろ、神社だし。そんなことを口々に言っているうち、Rさんは携帯電話のカメラで写真を撮っておこうと思いついた。
しかしポケットに携帯が入っていない。どうやら自転車のカゴに置いてきてしまったか。自転車は石段の下だ。
ちょっと携帯取ってくる、と友達に言い残してRさんは石段を駆け下りた。思った通り携帯はカゴの中にあった。
息を切らしてまた石段を登ったが、携帯のカメラを起動させながら社殿の裏に回ると友達の姿がない。
おーい、どこー? と声をかけながらほこらに近寄ってみて驚いた。ほこらの中に階段がない。見慣れたほこらの姿だ。
それよりも友達はどこへ行ったのかが気になる。姿もないし声も聞こえない。どこかに隠れているのかと思ったが境内を一回りしても誰もいない。
風が周囲の森を揺らす音が、急に大きくなったように感じられた。
これは本で読んだことのある神隠しというものではないだろうか。みんなあの階段を登ってほこらの奥に行ってしまったのか。階段が消えたから帰ってこれなくなってしまったのではないか。
そんなことを考えて心細くなったRさんはすぐにその場を離れることにした。石段を降りていくと下にはRさんの自転車だけがぽつんとある。携帯を取ったときは友達の自転車も一緒に駐めてあった。自転車が消えているということは、友達は神隠しにあったのではなく先に帰ったということらしい。
安心したRさんは黙って帰った友達に腹を立てながら家に帰った。
翌日学校では友達がみんないつも通り揃っていた。やはり神隠しなどではなかった。
どうしてみんな先に帰っちゃったんだと責めると、友達はきょとんとした顔をする。何のことだかわからない様子だ。
友達が口を揃えて言うには、昨日は神社ではなくRさんも一緒に公園で遊んでいた。帰るときもRさんだけ置き去りにはせず、いつものように公園で解散したという。
昨日神社で遊んだと主張するのはRさんだけだった。当然ほこらの中の階段を見たというのもRさんだけだ。友達は冗談めかす様子もなく、Rさんを騙そうとしているようにも思えない。
それ以来、神社を遊び場所にすることはほとんどなくなった。


もしかすると、携帯を取りに行っている間にほこらで何かがあったのではないか。そのせいでみんなの頭がおかしくなって、あの日神社に行っていなかったことになってしまったのではないか。
十年以上経った今でも、Rさんはそんな疑いを持っているという。

ティッシュペーパー

自宅のマンションでリモートワーク中だったEさんは、ふと気がつくと机に突っ伏していた。
どうやら作業中に居眠りしていたらしい。いつ眠ってしまったのか、時計に目をやると午後三時過ぎだ。
コーヒーでも淹れて気分転換でもしようと、腰を浮かせかけた姿勢で硬直してしまった。
すぐ傍らに人がいる。
若い女がこちらに背を向けて床に正座している。いくぶん俯くような姿勢で凍りついたようにじっと座っている。
その姿を眺めながら、Eさんは不思議と恐怖は感じなかった。ただ懐かしさが胸に湧いてきて、あやうく涙さえ浮かびそうになった。
あれは――。
お姉ちゃんだ。
お嫁に行ったお姉ちゃんが、離婚して帰ってきたのだ。
懐かしさのあまりEさんはその後姿にお姉ちゃんお帰り、と声をかけようとして、なんとなく言葉が出なかった。
お姉ちゃん、と誰かを呼んだ覚えがない。口がその単語に慣れていない。


そもそもEさんに姉などいない。
じゃあここにいるのは誰だ、なぜ家の中に知らない女が。
我に返ったときには、目の前に誰もいなくなっていた。立ち去った気配もない。ただその場から女の姿が消えていた。
どういうわけか、女の座っていた床の上にティッシュペーパーが縦横三列の九枚、丁寧に広げて正方形に敷き詰められていた。そんなものを敷いた上に座っていたのだろうか。もしそうならば、ティッシュペーパーを乱さずに立ち去ることなど生身の人間には不可能ではないか。
女が現れて消えたことやティッシュペーパーが敷かれていたことも不可解だったが、それよりもなぜかひと目見たときに姉だと思い込んでいたことがとにかく怖かったという。

通るもの

Kさんは若い頃に交通事故を起こした。雨の日にスピードを出しすぎてスリップし、車が上下反転する事故だった。大怪我を負い、病院に担ぎ込まれて丸一日意識が戻らなかった。
ひと月近く入院したが、それ以来奇妙なことが起きるようになった。
入院中は病室の外に常に人が行き来している気配があった。病院の職員や患者が動き回っているのだと思っていたが、退院後もなぜかそれがずっと続いている。家の前に、部屋の外に、あるいはすぐ背後に、誰かが通り過ぎていく気配がある。足音や息遣いを感じるのである。
すぐに視線を向けても誰もいない。当初は勘違いだと思っていた。
しかし毎日のようにこれが続くと、流石に気になってくる。通院のときに医者に話してみると、事故や大怪我のショックで幻覚が出ることがあるということを医者から聞かされた。
検査の結果も目立った異常はないから、体が回復するうちに幻覚もじきに薄れていくかもしれない。しばらくは様子を見ようということになった。


それからも人の気配はしばしば感じられて、本当に人がいる場合といない場合の区別も次第についてきた。幻覚の場合はなんとなく現実感が薄いように思える。
慣れればそれほど気にならなくなってきたが、そんなある日のこと。
自室でテレビを見ているとき、ふとまた人の気配を感じた。もうあまり意識はしなくなっていたが、気配を感じると視線を向けるのが癖になっていた。
足が見えた。裸足の白い脚が背後を横切って歩いていく。
はっとして視線を上げると何かをしっかり抱える腕が見えた。紙のように真っ白な肌。
体ごと振り向いたときには誰もいない。顔も腕に抱えたものも見えなかったが、赤ん坊を抱いた女のように思えた。
それまではぼんやりとした気配くらいしか感じたことがなかったのに、それからは時々はっきりした姿を見るようになった。いずれも突然すぐ側を通り過ぎていく。
現れる姿はその時によって異なるが、知っている人の姿を見たことは一度もないという。

木造アパート

埼玉から千葉に転勤が決まったYさんが引越し先を探していたときのこと。
不動産屋に案内されたアパートの三階で、窓から外に目をやった。すると道を挟んだ向こうにも二階建てのアパートがある。
その二階の端の部屋の窓が開いていて、中に人の姿が見えた。
割烹着姿の若いお母さんとおかっぱ頭の幼い女の子がちゃぶ台越しに向かい合って座っている。お母さんは繕い物をしていて、女の子はクレヨンかなにかで紙に熱心に何かを描いている。
親子の微笑ましい光景だが、今どき割烹着やおかっぱ頭とは珍しい。向かい側のアパート自体も古びた木造で、何だかそこだけが数十年前の風景という印象だ。
建物も住人の姿も何もかもがレトロな雰囲気で、Yさんは何だか感心してしまったという。


その眺めが気に入ったからというわけではないが、Yさんはその時案内されたアパートに入居を決め、翌月に引越して来た。
改めて窓から外を見ると、あの木造アパートがない。道を挟んだ向かい側には民家が並んでおり、あの古いアパートは影も形もない。
老朽化で取り壊されたのだろうか、とも思ったが、同じ場所に建っている民家はどれも新築には見えない。
方向を勘違いしているのかと思ったが、それらしき古い建物は周囲のどこにもない。あの日見て回った他の物件と勘違いしているわけでもない。
後で近所の人やアパートの大家さんに尋ねてみたが、その場所に木造アパートが建っていた事実は過去にもないという。
あの幸せそうな親子の姿も幻だったのだろうかと、Yさんはそれを残念に思ったという。

無人浜

R君が高校生のとき、自転車で三十分ほどかけて通学しており、その途中で浜沿いの道を通った。
その地点では三百メートルほどの長さで砂浜が道路の横に続いていたが、ある時ふと思ったことがあった。
この砂浜――人がいない。
近場の他の浜や岸では大抵どこでも釣り人や散歩する人の姿を見かけるが、この浜ではそういう姿が一切ない。道路には通行があるのに、砂浜に人がいないのだ。
嵐の後に集団でゴミ拾いをしている人たちを一度だけ見たくらいで、とにかく人が寄り付かない。
どうしてだろうと考えると妙に気になり始めた。友人や家族にも聞いてみたが、誰もその浜に人がいないということを認識していなかったし、理由も心当たりがないという。学校の帰りに何度か自転車を降りて砂浜に入ってみたこともあったが、特に何の変哲もない砂浜で、人を寄せ付けないような何かがあるとも思えない。
釣りをするにも他にもっといい場所があるとか、散歩するには通りづらいとか、何かしらの知らない理由があるのだろうと推測して、R君は自身を納得させた。


夏の終わり頃、部活動で帰りが遅くなったR君がいつものようにこの浜を通りかかると、波打ち際に人の姿がある。
向こう側から走ってきているのが月明かりの下、黒い影になって見える。
珍しいなと思って眺めながら自転車のペダルを漕いでいたが、ふと何か聞き慣れない音がしていることに気がついた。
びよん、びよ、びよっ。
波の音に交じってなにか奇妙な音が続いている。次第に近づいてきている。
どうもあの波打ち際を走っている人の方から聞こえているようだ。一体走りながら何をしているのだろう。
R君は砂浜に目を凝らした。
近づいてくるにつれて、走ってきたものが何だったのかがわかり、R君は呆然とした。
それはそのままの勢いでR君の数メートル先を通り過ぎていく。R君はそれが戻ってくるかもしれないと思い、急いでその場を離れた。
以来、R君は帰りが遅くなる時は浜沿いの道を避けて遠回りするようになったという。


走ってきたのは何だったんです? そう尋ねると、R君は口籠った。
それから途切れ途切れにこんなことを言った。
金属だと思うんですけど、薄い板でした。人の形をしてて。それが走るとたわんで、びよんびよん音がするんです。
あんなのが出るから人がいなかったのか、それとも人がいないからあれがいたのか、それはわかりませんが。

泥足

Oさんが亡くなった祖父母の住んでいた古い平屋を取り壊して、そこに新しい家を建てた。
家族でそこに引越したが、その日からOさんにおかしなことが起こり始めた。
二階の部屋で寝ていると、真夜中に目が覚める。寝返りをうとうとしても体が動かない。
金縛りか、疲れているせいだな、と思っていると部屋が何となく広いように感じられる。壁がいつもより遠い。しかも少しずつ遠ざかり続けているようにも見える。
どういうことだろうと不思議がっているうちにミシミシと周囲で音がする。誰かが歩き回っているようだが、姿はない。
足音は時にベッドのOさんをまたいで行ったりするが、やはり姿は見えない。
音がふと止んだと思ったら部屋が明るくなっていて、もう朝だった。金縛りも解けている。


そんなことが二、三日に一度くらいの割合で起こる。
広さの感覚が狂うのも足音が聞こえるのも金縛りと同時に起こる単なる幻覚で、環境が変わったことや疲れが原因だろうとOさんは大して気にしなかった。
実際、次第に金縛りになる間隔が長くなっていって、引越し後半年経つ頃にはほとんどなくなった。
それで安心していたOさんだったが、引越しして一年経った頃のこと。
寝室のベッドを動かして下を掃除しようと、奥さんと二人でベッドをずらしてみて、二人揃ってあっと声を上げた。
ベッドの下のフローリングに、ひとつだけ裸足の足跡が乾いた泥でついていた。子供のものらしき小さな足跡だった。
Oさんの子供はもう大学生だし、そんな小さい足の持ち主は家にいない。
それにベッドを置いたままその下の床に足跡がつくはずはない。もちろんベッドを置いたときにはそんな足跡などなかった。
いやねえ、なにこれ。奥さんがぼやきながら雑巾で足跡を拭き取った。


その後Oさんは一度も金縛りになっていない。

雪景色

Hさんのお祖父さんが危篤になった夜のこと。
当時Hさんは中学生で、両親と一緒に隣県の病院に駆け付けた。到着して一時間余りでお祖父さんは息を引き取り、Hさんはお母さんの運転する車でお祖父さんの家に一旦引き上げることになった。
お祖母さんもしばらく前に亡くなっていて、入院するまでお祖父さんが一人で暮らしていたその家は主を失い、どこか寒々としていた。
お母さんはすぐ病院に引き返したのでHさんはひとりになった。じきに他の親戚もやってくるということだったが、Hさんは手持ち無沙汰で家の中を見て回った。お祖父さんが元気だった頃は夏休みや冬休みに遊びに来ていたし、お祖父さんが入院してからも見舞いに来たときにこの家に泊まっているので目新しいわけではないが、どうにも落ち着かなかったのだ。
すると一階の仏間の壁に、額に入った油絵が掛かっているのが目に入った。以前に来た時にもあったかどうかは記憶にない。
茅葺屋根の家が並ぶ田舎に一面雪が積もった風景が描かれている。その雪景色の中に子供が三人、元気に走っている。
ところが彼らは前を向いているわけではなく、三人ともこちらに顔を向けてにっこり笑っている。
どうにもその笑顔が気持ち悪い。雪景色は写実的に描かれているのに、笑った子供たちの顔は口が顔の端までキュッと割れていて、そこだけ漫画のようだ。顔の表現だけが浮いている。顔だけこちらを向いているのも不気味だ。
雪景色のせいだけではなく、見ているとなぜかぞっと寒気を感じる。
ひとりでその絵を見ていることに耐えられず、足音を立てないようにリビングに戻るとテレビを点けて絵のことは考えないようにした。やがて伯父さんや従兄もやってきたので、絵についてはいつのまにか気にならなくなった。


通夜は三日後ということになり、翌日にHさんは一旦家に帰ることになった。
帰る前に仏壇に線香をあげて、それからふとあの絵に視線が向いた。
どういうわけか、雪景色の中から子供たちの姿は消えていたという。