いますか

あるときGさんが近所の人からこういうことを言われた。
お宅の伯父さんに会いましたよ。
Gさんの家のすぐそばで、にこやかなお年寄りに声をかけられた。「Gは家にいますか」と訊いてくる。
それが近所の人も面識のある、Gさんの母方の伯父さんだった。
Gさんが家にいるかどうかはわからないと答えると、伯父さんは礼を述べてGさんの家の門に入っていったという。
そういう話が一度ではなく何度もあったのだが、そのたびにGさんは困惑した。伯父さんはもう一年以上前に亡くなっているからだ。
その話からすると伯父さんは自分を訪ねてきたようなのだが、なぜかGさん本人は伯父さんの姿を見ていない。
伯父さんの妹であるGさんの母に話してみたのだが、どういうわけか見当もつかないという。
兄さんはいつもニコニコしてるわりに、ちょっと何考えてるかわかんないところあったから……。母はそう言う。
伯父さんの息子である従弟にも伝えたが、そちらにはそういうことは一切起きていないという。息子や孫のところに出てこないで、なんでそっちに出るんだ? と逆に訊き返されてしまったが、Gさんも直接見たわけではないので何とも答えようがなかった。
一度はGさんの職場に伯父さんらしき人が訪ねてきたことがあり、応接室で姿を消した。騒ぎにならぬよう、気が変わってすぐ帰ったんでしょうと取り繕ったものの、Gさんも流石にうんざりしてしまった。
すぐに伯父さんの墓参りに行き、何か言いたいことがあるなら自分のところにはっきり出てきてくれと拝んだ。それ以降Gさんのところに伯父さんが姿を見せたということはないが、伯父さんを見たという話も絶えてなくなった。
なぜ伯父さんが訪ねて来ていたのかは今でも全くわからないという。

焚き火

真夏のことだったという。
Eさんが家の裏にある畑の隅で、お父さんと一緒にゴミを燃やしていた。
家の中で出た可燃ゴミだけでなく、庭の木の枝や刈って放置していた草などを一箇所に集めて焼いた。
周囲は森や畑で隣家が離れているため、Eさんの家ではゴミが溜まるとゴミ回収の日に出すのではなく、家の敷地内で燃やしてしまうことも多い。
いつもはもっぱらお父さんが一人でやるのだが、この時は少し前に草刈りと枝打ちをしたのでゴミが多く、Eさんも手伝っていた。
刈った草を燃やしているとパチパチ音がして白い煙が登る。その時ふと携帯電話の着信音が鳴った。
ポケットから取り出したものの、鳴っているのはEさんの携帯ではない。お父さんも同様だ。
じゃあこの音はどこから、と耳を澄ますとどうやら焚き火の中から聞こえている。
間違えて誰かの携帯を一緒に焼いてしまっているのだろうか。これはまずい、と思ったがよく燃えているので今更消しても手遅れかもしれない。消火のために水をかけたりしたらその水で携帯が壊れそうでもある。
どうせ壊れるにしても早く取り出しておいたほうがまだマシだろうか。そう考えて二人はバケツの水をかけた。
すぐに炎はおさまったので、燃えさしを棒でかきわけた。着信音はまだ続いている。
しかし携帯は見当たらない。
音は聞こえているのにおかしいな、と探った結果、音の出どころらしきものに突き当たった。
握りこぶしくらいの石ころだ。音は確かにそこから出ている。
棒で転がしたところで音が止んだ。まだ熱いから拾い上げることはできないが、棒でつついても転がしても単なる石にしか見えない。
こりゃあ化かされたかな、とお父さんが呟いた。水をかけてしまったのでその日はもう焚き火は続けられなかった。
翌日Eさんは改めてあの石を見に行ったが、なぜか今度は見当たらなかったという。

髪切り

Oさんという女性があるときアルバムを眺めていて、ひとつ気になったことがあった。
幼い頃の自分が、一時期丸刈り頭になっているのだ。その頃の写真にはどのOさんも青々と刈り込んだ頭で写っている。
日付を確認すると三歳から四歳までの二年間ほど、ずっとその状態だ。それ以前の写真では髪は伸ばしてあるし、それ以後の写真でも次第に伸びてきているのがわかる。なぜこの二年間だけ、ずっと丸刈りだったのか。
物心がつく以前のことで、自分自身にはっきりした記憶はない。母に丸刈りの理由を尋ねると、表情をいくらか曇らせながら語ってくれた。


Oさんが三歳になって間もないころ、いつの間にかOさんの髪が左半分だけ丸刈りになっていた。それどうしたの、と本人に尋ねても要領を得ない。
左肩には髪がびっしり着いていて、室内のOさんが歩き回ったあたりにも至るところに髪が落ちている。
母はOさんが自分でやったのかと思い、Oさんを叱った。それからは家中の刃物をOさんの手に届かないところに置くよう徹底した。
半分だけ丸刈りなのはみっともないので、右半分も同じように丸刈りにした。
そうしてOさんの耳が隠れるくらいまで髪が伸びてきたころ、また母は仰天した。再びOさんの左半分が丸刈りになったからだ。
刃物はOさんの手に届かないから自分でやったはずはない。そもそも前回も少しおかしいと思ったのだが、自分でやったにしては随分きれいに半分だけツルツルになっている。剃刀をあてたように綺麗に髪がなくなっているのだ。
それにごく僅かな時間でのことだ。家の中で母がOさんから目を離したほんの数分の間にその状態になっていた。他の人間がOさんに近づくことはできなかったし、仮に誰かがいたとしてもその短い時間でやれることではない。まるで髪がひとりでに落ちたようだ。
本人は特に気にする様子もなく平気な顔をしているが、どう考えても普通の事態ではないと母は考えた。
Oさんを病院に連れて行ったものの、髪は根本から抜けたわけではなく切れているだけだという。頭皮にも特に異常は見つからなかった。
病院では解決しなかったので、母はOさんを神社に連れて行って一緒にお参りした上で、お札とお守りをもらってきた。
お守りをOさんに持たせて、お札は家に貼った。Oさんはそれ以来髪がいくらか伸びるたびに、母や父の手ですぐ丸刈りにされた。
五歳になる頃に少し様子を見てみようということになり、しばらく髪を伸ばしてみたものの、今度は以前のように半分丸刈りになることはなかったので、両親はほっとしたのだという。

裾の手

Hさんは一時期リサイクルショップで働いていたが、この店でたびたびおかしなことが起きた。
ちょっと目を離した隙に物が移動しているというのは珍しいことではなかったし、閉店後の店内で裸足の足音だけが聞こえることも何度かあった。月に二度か三度くらいは奇妙な出来事が起きる。
はじめはHさんも驚いていたのだが、仕事が忙しくてすぐにそれどころではなくなった。
ある時、入って間もないアルバイトの学生と一緒に、入荷した古着をハンガーに付けていた。黙々と作業していると、急にアルバイトの学生が短く声を上げた。
どうかしたの、とそちらを見ると、大学生の手首を誰かの手が掴んでいる。
その腕は、傍らにあるジーンズの裾から伸びてきている。妙に灰色がかったくすんだ色の手だ。そしてむくんだように太い。
Hさんが持っていたハンガーで咄嗟に叩こうとすると、腕はジーンズの中に素早く引っ込み、ジーンズは中に何もないかのようにぺたりと潰れた。
上着やシャツの袖から腕が出てくるのはまだわかるが、ズボンの裾から腕が出てくるのはよくわからない。
学生はすっかりうろたえて泣きだした。
その様子を見て、そうだよなこれが普通の反応だよな、とHさんは目が覚めたような気持ちになった。
いつの間にか自分は、奇妙な出来事が当たり前のことなのだと思いこんでいた。そうやって慣れていたこと自体が急に怖くなったのだという。


その店は今も営業しているという。まだああいう変なこと続いてるのかな、とHさんは苦笑いして語った。

場違い

二十年ほど前、福島でのことだという。
山歩きに詳しい人が、知人から山菜採りの案内を頼まれて二人で山に入った。
山菜やキノコのよく採れるポイントをいくつか回っていたところで、知人が何か変わったものを見つけたらしく、おやっと声を上げて離れたところを指差した。
あれ、椰子の木じゃないの。
示す方向には確かに椰子の木らしきものが他の木に交じって立っているのが見える。
しかしそんなものがあるはずがないのだ。
椰子の木は南国の植物だが、福島にだって生えていないこともない。しかしそれらは自生しているわけではなく、誰かが植えたものだ。
そこは民家からかなり離れた地点で、誰かが自由に木を植えるようなところではない。それについ数週間前にもそこに来たばかりで、そのときにはそんなものは存在しなかった。
しかし現実に視線の先には見上げる高さの椰子の木が風に揺れている。どう考えても普通ではない。
ところが知人は警戒する様子もなく、もっとよく見ようと近寄っていった。
そこへ突然辺りに大きな音が鳴り響いた。
ウゥゥーーーーーーッ……。
サイレンだ。まるで空襲警報である。
こんな山奥に放送設備などない。しかし現実にサイレンの音が響き渡っている。
流石に知人もこれはおかしいと思ったようで、その日は山菜採りをすぐに打ち切って山を下りた。
山の麓で会った人にサイレンについて尋ねたものの、そんなものは聞こえなかったということだった。

少し経ってからまた同じ場所を訪れたときには、椰子の木などどこにも見当たらなかったという。

 


山の中で普段は見かけないものに出会ったら、すぐにその場を離れたほうがいいんだ。自分か山か、どっちかに何か普通じゃないことがあるってことだから。

その人はそう語った。

袴裃

車の販売店に勤めるFさんの同僚にUという男性がいて、あまり評判がよくなかった。
仕事は人並みにはこなすものの、煙草も酒も人一倍呑み、博打も風俗も好きで給料の大半は遊びにつぎ込んでいるという噂だった。
職場での人間関係に特に問題はなかったものの、私生活で彼と付き合いのある同僚はいなかったし、彼の方も進んで同僚と交流しようとは思っていないようだった。
そしてあるとき、Uが知人の紹介で見合いをして、そのまま結婚するという話が出た。
そのこと自体も職場の皆にとっては意外だったが、皆を本当に驚かせたのは結婚を境にしてUの生活態度が改まったらしいということだった。
酒も煙草も博打も風俗通いもぴたりと止めたという。にわかには信じられない話ではあったが、様子を窺う限りは本当のように見えた。
職場でも彼が喫煙スペースにいるのを見かけることはなくなり、頻繁に漂わせていた煙草臭さが消えた。
職場の飲み会に参加してもアルコールを全く口にしない。
以前より仕事に集中できるようになったらしく、上司からの評判もよくなった。
どうしてそんなに急に変わったんだ、奥さんが怖いとか? Fさんがあるときそう尋ねると、Uは苦笑して答えた。
いや、嫁は優しいよ。まだお互い気を使ってるところはあるけど、割とうまくやってるよ。
じゃあどうして、という質問に、Uは少し言い淀んでから、出たんだと呟いた。


見合いをしてから数日後、パチンコで負けて帰宅したときのことだという。
アパートの自室に入るとテーブルの上に何かいる。侍だ、とひと目で思った。
袴裃姿の侍が、テーブルの上に正座してこちらを見据えている、
何だお前、と言おうとした矢先に侍はテーブルの上に両手をついて深々とお辞儀をして、そのまま闇に同化するように見えなくなった。
帰宅直後で部屋の中は真っ暗だ。すぐに部屋の明かりを点けたが、あの侍はどこにもいない。
そもそも部屋が暗かったのに、あの侍がはっきり見えたのはどういうわけだったのだろうか。
単なる幻覚だったか。そのときはそう思うことにした。
ところがその翌日から、煙草に火を点けたり酒を飲んだりするたびにあの侍の姿がはっきりと目に浮かぶようになった。
博打や風俗でもなぜかしきりにあの侍のことが脳裏をかすめ、思うように楽しめない。ある時などはパチンコ店から出たところで視界の端を袴裃姿がちらりとかすめたが、目で追っても誰もいなかったという。


なんだかあの侍に常に監視されている気がして、とても以前のように遊ぶ気になれないんだとUは語った。
それから十年近く経つ。Uは今も品行方正なままだが、今もまだ侍の姿を見るかどうかはFさんも聞いていないという。

卒業旅行の朝

Fさんは大学卒業を前にして、友人二人と一緒に伊勢志摩に二泊三日の卒業旅行をした。
その二日目の夜に泊まったのは古い旅館で、三人が通されたのは本館とは渡り廊下で繋がった別棟だった。別館というよりは離れという様子で、襖で仕切られた二部屋の客室以外には洗面所とトイレと納戸しかない。
隠れ家のような趣で、通常料金の割に特別感があって悪くないと思ったのだが、どうも本館の北側にあるせいなのか、少し部屋の中が暗いような寒いような印象もあった。しかし夜だから日当たりは関係ないし、卒業旅行で盛り上がっているところでもあったので、特に気にはしなかった。
三人は昼にコンビニで買い込んできたビールを飲みながら日付が変わる頃まで話に花を咲かせたが、昼にもはしゃいでいた疲れからか誰ともなく横になって眠りについた。
どれくらい眠った頃なのか、Fさんはふと物音で目を覚ました。布団を軽く叩くような音が近くでする。
目を開けてそちらを見ると、白く細長いものがしきりに動いている。
壁際に置いてある鏡台の鏡面から生白い腕だけがぬっと伸びて、すぐ傍に寝ている友人の布団を何度も叩いている。
なにこれ!?
一瞬で目が覚めた。
当初はポス、ポスと軽く弾むような叩き方だったのが、見ているうちにだんだん音が変わってきて、力が籠もってきたのがわかる。
ポンッ、ポンッ。
パシッ、パシッ。
パンッ! パンッ!
もう明け方なのか、わずかに障子から外の光が差し込んでいる。叩かれた布団から舞い上がった埃が、差し込む光を受けて白く見える。鏡台から伸びる腕も光を照り返して輪郭が白く浮き出ている。
幻ではない。実体のある腕だ。そう感じた。
布団を叩かれている友人は熟睡しているのか、ピクリとも動かない。
腕に気付かれないようにゆっくり頭を動かし、反対側に寝ているもうひとりの友人に目を向けると、頭まで布団をかぶってこちらも動かない。
Fさんも怖さのあまり、あの腕をなんとかしようという気も起こらず、そのまま目を閉じてじっと時が過ぎるのを待った。
次に目を覚ますともう朝八時近くで、朝食の時刻だった。友人たちももう目を覚ましている。
早朝に見た腕について友人たちに言いだす気にもなれず、身支度をしていたところでふと気づいた。
そもそもこの部屋には鏡台など昨夜からなかった。それではあれは単なる夢だったか。
と安心しかけたところで、壁際の畳に四角い跡がついているのが見えた。あの鏡台があった位置だ。
まさか本当に、ここに鏡台があったのだろうか。
それについて仲居に尋ねることもできず、旅行の楽しさに水を差すのを恐れて友人たちに話すこともできないまま、その旅館を後にしたという。